筑紫君磐井(ちくしのきみいしい/つくしのきみいわい・筑紫王)

筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)は、継体(けいたい)大王(おおきみ・天皇)の御世に歴史に登場する。

その継体(けいたい)大王(おおきみ・天皇)の即位だが、ある疑いが囁かれている。

学者の説によっては、国内(越前)王族説を採らず、即位の為に任那からやって来て、妻子が在りながら、先々代の大王(天皇)、仁賢(にんけん)大王(おおきみ・天皇第二十四代)の娘・手白髪姫(たしらがひめ)を皇后に迎える「政略結婚をした。」と成っている。

つまり、継体大王(けいたいおおきみ)が百済系任那から即位の為に招かれたのであれば、その後の継体大王(けいたいおおきみ)の対半島政策の非常に思い入れがあると思われる行動に納得が行くのである。

継体大王(おおきみ・天皇第二十六代)は、即位後二十年の歳月を掛け漸く大倭(後の大和国)の地に都を置く。

この王権確立に二十年を費やす背景に、継体大王(おおきみ)の出自の不確かさが見え隠れしていて、継体(けいたい)大王(おおきみ・天皇)が大倭(後の大和国)に都を置いた事で、漸くその地位が「不動のものに成った」と見えるのだ。

そして大倭(後の大和国)に都を置いた直後に継体大王(おおきみ)は半島の国・新羅に攻められた百済の救援に軍を送った。

王権がやっと確立したばかりの時期に「他国に救援に軍を送る」と言うこの行動、継体大王(けいたいおおきみ)が故郷救済に動いたのなら仮説を裏付けるものとして話は早いので在る。

古墳時代末の五百二十七年(継体二十一年)、継体大王(けいたいおおきみ)の命を受けた近江毛野(おうみのけな)率いる大和朝廷政権軍は、朝鮮半島南部へ出兵しようとした。

所が、新羅と結んだ筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)により九州北部で「磐井の乱(いわいのらん)」が勃発し、大和朝廷政権軍の半島進行を阻(はば)み、その平定に苦心して百済への救援軍派遣にも苦労している。

翌年になって筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)は、物部麁鹿火(もののべあらかい・大連/おおむらじ)軍によって討たれ「乱は鎮圧された」とされる。

但しこの磐井の乱(いわいのらん)は、記述が「日本書紀」に限られ、「古事記」には「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけしか書かれていない。

日本書紀では筑紫君磐井(つくしのきみいわい)を反乱軍の扱いだが、実は大王(おおきみ)の権威が日本書紀の記述ほど当時は無かった可能性が考えられる。

そして磐井(いわい・筑紫王)は、倭の国々の一つ、筑紫国の御門だった。

つまり、反乱だったのか王権間の戦争だったのかが特定出来ていないのである。

この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る呉族系と加羅系の民族的な主導権争いがあったと見られる。

当時半島において新羅は、任那と百済に取って共通の敵・侵略国家だった。

そして列島に移植した任那と百済の王族達とその部族は、当然ながら故国の盛衰に一喜一憂していた筈である。

思い出して欲しいが、初代大王(おおきみ/後の天皇)の神武帝が九州の筑紫を発つて畿内に入る神武東遷(じんむとうせん)物語の出発点が九州筑紫である。

これはあくまでも仮説だが、筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)が神武朝の九州に定住した分家であれば、継体大王(おおきみ・天皇第二十六代)に「本家を乗っ取られた事への抵抗」とも、それ以前に皇統が神武朝から葛城朝に変わっていれば、筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)は正統性を掲げて「大王(おおきみ)即位の名乗りを挙げた」とも解釈できる。

当時の日本列島側では、その豪族達(臣王・御門)の出自を背景に半島側・新羅と百済の「列島側の延長代理戦争をしていた」と見るべきだろう。

いずれにしても、筑紫君磐井(つくしのきみいわい・筑紫王)が新羅系豪族(王・御門)の「九州王だった」とする学者は多い。

詳しくは小論・【継体大王(けいたいおおきみ・天皇)即位のある疑い。】を参照下さい。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2008-11-13 14:11 | Comments(0)  

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