北条義時(ほうじょうよしとき)

北条義時(ほうじょうよしとき)は鎌倉幕府二代執権である。

初代・執権は鎌倉幕府を開いた源頼朝の義父で、尼将軍・北条正子の父・北条時政で、鎌倉幕府成立の際に北条正子が源頼朝の正妻であった事から北条時政・正子親子が源頼朝に与力、源の血筋が絶えた後の鎌倉幕府の執権を代々世襲し、二代執権の北条義時は北条正子の弟にあたる。

北条義時が鎌倉・二代執権に着く切欠は、北条時政と北条正子・義時の親子の内紛からである。

三代将軍には、二代将軍・源頼家の弟・実朝(さねとも・頼朝次男)が就任するのだが、初代執権・北条時政は娘の政子も驚愕する計画を進めていた。

実朝を退け、もう一人の娘婿「平賀朝雅(ひらがあさまさ)」を将軍に就けようとしたのである。

平賀朝雅の将軍擁立計画を事前に知った政子・義時姉弟がとても承服出来ずに猛反対して対立、時政は娘・政子と息子・義時の姉弟に伊豆へ隠居させられて完全に失脚、姉・正子の後押しで義時が二代執権に成る。

父・時政の平賀朝雅の将軍擁立計画を阻止した政子・義時姉弟は、頼朝次男の実朝(さねとも)を三代将軍に据え、鎌倉幕府の実権を掌握し続けるのだが、尼将軍・北条正子の力は義時のそれを上回っていた。

千二百十九年(承久元年)に三代将軍・源実朝が甥の公暁に暗殺され、源家の血が途絶えた事で、北条執権家が勢力を維持する為の名目将軍(お飾り将軍)が必要になり、これを朝廷の権威を利用する為に新将軍に「雅成親王を迎えたい」と申し入れるが、朝廷側との条件交渉が上手く行かずに決裂した事である。

この将軍継嗣問題が、朝廷(後鳥羽上皇)側にも、幕府執権(北条義時)側にもしこりが残る結果と成った。

幕府執権(北条義時)は、止む負えず皇族将軍を諦めて摂関家から将軍を迎える事とし、その年(千二百十九年/承久元年)に九条道家の子・三寅(後の九条頼経)を鎌倉四代将軍として迎えて名目将軍(お飾り将軍)とし、目論見通りに北条執権家が中心となって政務を執る北条執権体制を確立して行く。

しかし朝廷(後鳥羽上皇)側に幕府執権(北条義時)の専横に対する不満が募って行き、朝廷と幕府の緊張はしだいに高まり遂には後鳥羽上皇が倒幕を決意、北条義時追討の挙兵をするに到り、承久の乱に発展した。

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by mmcjiyodan | 2008-12-11 20:22 | Comments(0)  

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