梶原景時(かじわらかげとき)の変

梶原景時(かじわらかげとき)源頼朝に信頼され、播磨・備前・美作・備中・備後五ヶ国の守護と成った鎌倉幕府成立時の侍所初代(さむらいどころ)別当(長官)だった。

鎌倉幕府御家人・梶原景時が鎌倉殿(鎌倉征夷大将軍)・源頼朝に信頼される訳は、「石橋山合戦」の折に追討軍の大庭景親(平景親)を裏切り、洞窟に逃げ隠れていた源頼朝を見逃した事に拠る命の恩人だからである。

千百九十九年(正治元年)独裁専制政治を行っていた鎌倉殿(源頼朝)は急逝する。

頼朝嫡子・源頼家が家督を継ぎ将軍職に就任するのだが、将軍独裁体制に対する御家人達の鬱積した不満が噴出、源家の忠臣・梶原景時もこれに加わって頼家は僅か三ヶ月で訴訟の採決権を奪われてしまう。

代わって幕府宿老による十三人の合議制がしかれ、頼家の将軍独裁は押さえられた。

鎌倉幕府に在っても梶原景時(かじわらかげとき)は源家の忠臣に徹して、鎌倉殿専制政治をとる頼朝の鎌倉幕府侍所別当として御家人たちの行動に目を光らせ、勤務評定や取り締まりにあたる目付役であった為、御家人達からは恨みを買い易い立場に居たのは事実だあった。

その恨みを利用した最初の権力闘争が鎌倉幕府内部で起こったのである。

梶原景時は、源頼朝の落馬事故の後も鎌倉有力御家人、十三人のメンバーの一人に数えられて居た。

政権も軍事力も、現実的には「北条時政」が掌握していたのだが、それでも世間での梶原景時の名声は群を抜いて高く、景時が動けば地方武士が集まる危険があった。

今の内に危険な芽を摘んでしまおうと北条時政は思い、将軍御所詰め所での結城朝光らの戯言「忠臣二君に仕えず」を「梶原景時が讒言する」と女官・阿波局に言わしめる。

驚いた結城朝光は三浦義村、和田義盛ら他の御家人達に呼びかけて、景時を糾弾する連判状の六十六名の署名を一夜の内にかき集めて将軍側近官僚の政所別当(長官)・大江広元に提出した。

将軍・頼家は連判状を景時に見せて弁明を求めたが、自分に突き付けられたのは六十六人の御家人連判状で言い訳の仕様など無い。

景時は何の抗弁もせず一族を引き連れて所領の相模国一宮に下向し謹慎する。

一部の御家人は、景時の権威と勢力さえ抑えれば良かったので謹慎によって景時を支持、景時は一端鎌倉へ戻ったが将軍・頼家は景時を庇う事が出来ずに鎌倉追放を申し渡してしまう。

景時への仕置きは進み、鎌倉の邸は取り壊され播磨国守護に朝光の兄・小山朝政が代わり、美作国守護は和田義盛に与えられる。

ここに到って鎌倉に居れなくなった梶原景時は、京での反乱を目論んで再起を図るべく一族を引き連れて京への上洛を目指す。

所が、それを察知した北条時政が手を回し、京に逃げようとした梶原一族を討つべく道中に討伐のふれを出していた為に駿河(今の静岡)清見関で、藤原南家流(ふじわらなんけりゅう)・吉川氏(吉川友兼)ら地元武士に発見され狐ヶ崎(静岡市清水区)において合戦となり、一族次々に討ち取られて景時と嫡子・景季、次男景高らは山へ引いて戦った後に自害し滅ぼされている。

梶原景時(かじわらかげとき)は鎌倉幕府では権勢を振るったが頼朝の死後に追放され、「梶原景時の変」と呼ばれる政変で一族とともに滅ぼされた。

平家討伐の軍事行動時代以来源義経と対立し、頼朝に讒言して死に追いやった「大悪人」と古くから評せられているが、これは判官贔屓の心情を持つ民衆向けの脚色と、時の権力者北条家の思惑が一致した結果ではないだろうか?

この「梶原景時の変」は、忠臣であった景時を邪魔に思う北条時政・北条正子親子の陰謀で、その後の二代将軍・源頼家の将軍職を追放の序章と成ったのである。

この梶原景時一族の滅亡を評して、京都では「将軍・頼家の大失策である」とした結果は直ぐに現れる。

景時追放の三年後、将軍とは名ばかりの頼家は、妻の実家「比企家」を頼り、妻の父「比企能員(ひきよしかず)」らと、北条時政を政権中枢から外そうとして失敗、比企能員(ひきよしかず)は時政に滅ぼされ、頼家は北条氏によって将軍職を退任させられた後暗殺され北条氏が幕府の実権を握る事になる。 

頼家の将軍在位は僅かに四年であった。

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関連記述
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by mmcjiyodan | 2008-12-16 16:35 | Comments(0)  

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