北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)

北斗・北辰信仰は、北極星が天体の中で不動の位置に見え、方位を示す「みちしるべ」として世界中で神格化された北極星をまつる祭りである。

古代バビロニア地方など西アジア砂漠地帯の遊牧民族の間でに起こった方位を示す神「北斗・北辰(北極星)」への信仰が、インドと中国を経て仏教と共に我が国に伝来した。

「みちしるべ」の北斗・北辰信仰が、「優れた目を持つ」の意味の妙見信仰と習合して一つの神になり、五百年代から六百年代にかけての平安期以前より渡来人と伴に日本列島・大和合の国に渡来し、永く妙見宮として北辰妙見神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主神としている。

妙見の「優れた目を持つ」の意味が、「見通せる」に通じ、役小角(えんのおずぬ)が成立させた初期の陰陽組織の修験道の根幹を為す信仰として活用された。

この北辰妙見信仰は、初期の陰陽組織を成立させた役小角(えんのおずぬ)が起こした修験道と深く関わっている。

陰陽修験道は、大王(おおきみ)の統治を広める為の在る密命を持って列島の隅々に活動範囲を広げて行く。
この陰陽修験道の全国的な活動の広がりとともに、何故か全国に人身御供伝説と、「北斗・妙見信仰祭事・北辰祭」が広がって行った。

平安時代に北辰夜祭が、男神と女神との年に一度の逢瀬を献灯をもって祝う北辰祭として都の朝廷・民間で盛んに流行する。

信仰が大衆に広まるには、「俗」にまで降ろしてた教えでないと中々理解されない。

神楽舞(かぐらまい)、神輿(みこし)、屋台の音曲、興奮に包まれた祭りの宵闇(よいやみ)は出会いの場で、古(いにしえ)の神社境内の闇は「にわかカップル」の性交の場だった。

五百年代から六百年代の六世紀(ろくせいき)にかけての古墳時代渡来人と伴に日本列島・大和合の国に渡来し永く妙見宮(みょうけんぐう)として信仰を広めた事が影響している。

妙見宮(みょうけんぐう)は、北辰妙見神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主神とし、最大の神事は「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」だった。

現代では、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を愉しむ「七夕伝承の祭り」として庶民行事として残っているが、この北辰祭、「男神と女神との年に一度の逢瀬」に因(ちな)む事を口実に、神にあやかる神事としての乱交夜祭だった。

実はこの辺りの「俗」が妙見信仰が民衆に受け入れられた重要ポイントなのだが、妙見信仰には実にエロチックな内容の「祭事・北辰祭」が存在した。

つまり「北辰祭」が後に全国に広がって、庶民の間で俗に性交の事を「お祭りをする」と言われるくらい当時としては一般的な習俗で、その後明治維新政府が取り締まるまで信仰行事として続いた「暗闇乱交祭り」の原型だったからである。

大和朝廷は、七百九十六年(延暦十五年)に「風紀の乱れ」を理由に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止する。

所が禁止から僅か十年余りで、八百六年に空海(弘法大師)が唐から帰国して高野山(和歌山県)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山すると、北辰妙見信仰を取り込んで「妙見大菩薩」と言う真言密教の仏様に迎え入れる。

実は空海(くうかい/弘法大師・こうぼうだいし)と最澄(さいちょう/伝教大師・でんぎょうだいし)は帰国した時期に恵まれていた。

詳しくは、この章の「桓武帝と平安京」の記述で紹介するが、両大師が帰国した頃、ちょうど天智天皇(てんちてんのう)系の桓武天皇(かんむてんのう)が即位して、天武天皇(てんむてんのう)系の貴族や寺院の勢力を脱して自らの独自政権の確立を意図して居た。

為に桓武天皇(かんむてんのう)は、平安京の造営とともに天武天皇(てんむてんのう)系の寺院に対抗する意図を持って目を着けた帰国したばかりの空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の両大師に庇護を与えた。

つまりそうした政治情勢がなければ、空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の真言宗天台宗の教義布教は遥かに苦戦したかも知れない。

そして禁止されたばかりの「北辰祭(妙見祭)」が、僅か十年余りでなし崩しに成った事もそうした政治情勢が背景に在ったからである。

日本の真言宗が、真言陀羅尼(マントラダーラニー/しんごんだらに)を唱え、大日如来(本尊)を念じる教義であるが、実は空海(弘法大師)が中国大陸から持ち帰った教義を総合的に整理して教義とした為、空海(弘法大師)が持ち帰った教義の中に北辰妙見信仰と仏教が中国大陸で結び付いた「妙見大菩薩信仰/陀羅尼神呪経(妙見神呪経)」が含まれていたからである。

この北辰妙見信仰は、百三十年余り以前に初期の陰陽組織を成立させた役小角(えんのおずぬ)が起こした修験道と深く関わっていた為、真言密教と修験道は一体化して行き東密修験道は総本山金剛峰寺(真言宗)を本拠地に、そして同時期に帰国した最澄(伝教大師)天台宗を創建すると同じく台密修験道として比叡山延暦寺(天台宗)を本拠地として融合する。

初期陰陽修験は、密教の到来と伴に真言宗・東密修験と天台宗・台密修験として僧と修験者の垣根が無くなり、修験者が僧に僧が修験者に教えを請う形で北辰妙見信仰は様々な教義を創設して新しい宗派を成立して行くのである。

その後、主として九百年代後期に活躍した道教系・陰陽師の安部清明は宮中秘祭・「泰山府君祭祀(北辰大祭)」を司り、宮中に大きな勢力を持って北辰妙見信仰は完全復活を遂げる。

「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府(めいふ)の神である。

冥府(めいふ)とは霊界(地獄・天国)に続く三途の川の場所で、成仏できない魂の彷徨(さまよう)場所を言う。

つまり、北斗・北辰(北極星)の方位を示す「みちしるべ」の妙見信仰と冥府を彷徨(さまよう)成仏できない魂のマッチングが、安部清明が提唱した泰山府君祭祀(北辰大祭)なのである。

日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。

そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。


実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。

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◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 19:16 | Comments(0)  

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