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北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)

北斗・北辰信仰は、北極星が天体の中で不動の位置に見え、方位を示す「みちしるべ」として世界中で神格化された北極星をまつる祭りである。

古代バビロニア地方など西アジア砂漠地帯の遊牧民族の間でに起こった方位を示す神「北斗・北辰(北極星)」への信仰が、インドと中国を経て仏教と共に我が国に伝来した。

「みちしるべ」の北斗・北辰信仰が、「優れた目を持つ」の意味の妙見信仰と習合して一つの神になり、五百年代から六百年代にかけての平安期以前より渡来人と伴に日本列島・大和合の国に渡来し、永く妙見宮として北辰妙見神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主神としている。

妙見の「優れた目を持つ」の意味が、「見通せる」に通じ、役小角(えんのおずぬ)が成立させた初期の陰陽組織の修験道の根幹を為す信仰として活用された。

この北辰妙見信仰は、初期の陰陽組織を成立させた役小角(えんのおずぬ)が起こした修験道と深く関わっている。

陰陽修験道は、大王(おおきみ)の統治を広める為の在る密命を持って列島の隅々に活動範囲を広げて行く。
この陰陽修験道の全国的な活動の広がりとともに、何故か全国に人身御供伝説と、「北斗・妙見信仰祭事・北辰祭」が広がって行った。

平安時代に北辰夜祭が、男神と女神との年に一度の逢瀬を献灯をもって祝う北辰祭として都の朝廷・民間で盛んに流行する。

信仰が大衆に広まるには、「俗」にまで降ろしてた教えでないと中々理解されない。

神楽舞(かぐらまい)、神輿(みこし)、屋台の音曲、興奮に包まれた祭りの宵闇(よいやみ)は出会いの場で、古(いにしえ)の神社境内の闇は「にわかカップル」の性交の場だった。

五百年代から六百年代の六世紀(ろくせいき)にかけての古墳時代渡来人と伴に日本列島・大和合の国に渡来し永く妙見宮(みょうけんぐう)として信仰を広めた事が影響している。

妙見宮(みょうけんぐう)は、北辰妙見神・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主神とし、最大の神事は「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」だった。

現代では、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を愉しむ「七夕伝承の祭り」として庶民行事として残っているが、この北辰祭、「男神と女神との年に一度の逢瀬」に因(ちな)む事を口実に、神にあやかる神事としての乱交夜祭だった。

実はこの辺りの「俗」が妙見信仰が民衆に受け入れられた重要ポイントなのだが、妙見信仰には実にエロチックな内容の「祭事・北辰祭」が存在した。

つまり「北辰祭」が後に全国に広がって、庶民の間で俗に性交の事を「お祭りをする」と言われるくらい当時としては一般的な習俗で、その後明治維新政府が取り締まるまで信仰行事として続いた「暗闇乱交祭り」の原型だったからである。

大和朝廷は、七百九十六年(延暦十五年)に「風紀の乱れ」を理由に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止する。

所が禁止から僅か十年余りで、八百六年に空海(弘法大師)が唐から帰国して高野山(和歌山県)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山すると、北辰妙見信仰を取り込んで「妙見大菩薩」と言う真言密教の仏様に迎え入れる。

実は空海(くうかい/弘法大師・こうぼうだいし)と最澄(さいちょう/伝教大師・でんぎょうだいし)は帰国した時期に恵まれていた。

詳しくは、この章の「桓武帝と平安京」の記述で紹介するが、両大師が帰国した頃、ちょうど天智天皇(てんちてんのう)系の桓武天皇(かんむてんのう)が即位して、天武天皇(てんむてんのう)系の貴族や寺院の勢力を脱して自らの独自政権の確立を意図して居た。

為に桓武天皇(かんむてんのう)は、平安京の造営とともに天武天皇(てんむてんのう)系の寺院に対抗する意図を持って目を着けた帰国したばかりの空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の両大師に庇護を与えた。

つまりそうした政治情勢がなければ、空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の真言宗天台宗の教義布教は遥かに苦戦したかも知れない。

そして禁止されたばかりの「北辰祭(妙見祭)」が、僅か十年余りでなし崩しに成った事もそうした政治情勢が背景に在ったからである。

日本の真言宗が、真言陀羅尼(マントラダーラニー/しんごんだらに)を唱え、大日如来(本尊)を念じる教義であるが、実は空海(弘法大師)が中国大陸から持ち帰った教義を総合的に整理して教義とした為、空海(弘法大師)が持ち帰った教義の中に北辰妙見信仰と仏教が中国大陸で結び付いた「妙見大菩薩信仰/陀羅尼神呪経(妙見神呪経)」が含まれていたからである。

この北辰妙見信仰は、百三十年余り以前に初期の陰陽組織を成立させた役小角(えんのおずぬ)が起こした修験道と深く関わっていた為、真言密教と修験道は一体化して行き東密修験道は総本山金剛峰寺(真言宗)を本拠地に、そして同時期に帰国した最澄(伝教大師)天台宗を創建すると同じく台密修験道として比叡山延暦寺(天台宗)を本拠地として融合する。

初期陰陽修験は、密教の到来と伴に真言宗・東密修験と天台宗・台密修験として僧と修験者の垣根が無くなり、修験者が僧に僧が修験者に教えを請う形で北辰妙見信仰は様々な教義を創設して新しい宗派を成立して行くのである。

その後、主として九百年代後期に活躍した道教系・陰陽師の安部清明は宮中秘祭・「泰山府君祭祀(北辰大祭)」を司り、宮中に大きな勢力を持って北辰妙見信仰は完全復活を遂げる。

「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府(めいふ)の神である。

冥府(めいふ)とは霊界(地獄・天国)に続く三途の川の場所で、成仏できない魂の彷徨(さまよう)場所を言う。

つまり、北斗・北辰(北極星)の方位を示す「みちしるべ」の妙見信仰と冥府を彷徨(さまよう)成仏できない魂のマッチングが、安部清明が提唱した泰山府君祭祀(北辰大祭)なのである。

日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。

そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。


実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 19:16 | Comments(0)  

民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い

実は、村社会・地域社会の絆とも言える身内感覚(共同体意識)を支えた「おおらかだった庶民の性意識思想」を代えたのは明治維新に拠る新政府が、近代化を図る為に「文明開化(欧米文化の導入)」を行い、キリスト教の教えを基にした欧米型の精神思想を啓蒙、また国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、広く庶民に啓蒙した事に拠るものである。

この事が、徐々に庶民の村社会・地域社会の身内感覚(共同体意識)を失わせた。

おおきなお世話だが、ぺりー提督の黒船の後に来日して初代駐日公使となり、日米修好通商条約を締結させたタウンゼント・ハリスが民衆の生活を見聞し、 日本の性規範の大らかさに驚き「軽蔑した」と言う。

これを持って明治維新政府は、「野蛮批判」を恐れて自国の性規範の欧米化に躍起になる。

「黄色い猿真似」と揶揄(やゆ)された鹿鳴館外交もそのひとつで、まずは形から入って欧米化を進めたのである。

勿論当時の世界情勢を見れば「植民地化」を恐れての事で、理解は出来るのだが・・。

言わせてもらえば、キリスト教徒の中にはフーリングが合えば「神の思(おぼ)し召し」で浮気不倫をする者も居る。

そしてそれが間違いなら、「懺悔(ざんげ)」をすれば赦される仕組みになっている。

キリスト教徒と言えども人間だから、時には悪魔に惑わされる事も有る訳である。

浮気不倫は存在し、勿論、合法非合法の別は国に拠って様々だが、現実に「売春・買春」もキリスト社会に存在する。

何だ「性に対する柔軟性は一緒じゃないか」と思うだろうが、実は大きな違いがある。

ここでキリスト教徒が日本の性規範(性意識)を批判したかった決定的な違いは、キリスト教徒の場合は「フーリングが合えば」と言う「個の感性」が基本と言う点である。

その「個の感性」を基本とする欧米個人主義に比べ、一方日本の明治維新当時のおおらかな性習俗は、「寝屋子宿(ねやこやど)・寝宿(ねやど)制度」、「夜這(よば)い制度」、「暗闇祭り」と、言わば群れ社会の性規範、「集団婚(群れ婚)」の名残である集団的性規範を、「民族性の違い」にも関わらず自分たちの感覚と比べ「信じられない」と批判したのである。

一方日本人は、全てに渡って集団共生社会(村社会)だった。

つまりこの「個」と「集団」の違いは民族性の違いで、実は基本的カップルの相手以外と性交する点では余り変わりは無い。

それを欧米諸国は、自分達の感性と違うから明治維新当時の日本は「性に乱れている」と批判し、その批判に文明開化を急いでいた明治政府がバカバカしい事に慌てて、「寝屋子宿(ねやこやど)・寝宿(ねやど)制度」、「夜這(よば)い制度」、「暗闇祭り」に禁令を出したのである。

ところが、庶民の根底の所で永きに渡って根付いていた共生意識は深層心理として残っている。

簡単に言ってしまえば、「皆で渡れば怖くない」式の集団意識は庶民の間で根強く残っていて、これが現代日本の欧米化、戦後の米国型個人主義化とは意識の中に「個」と「集団」の違いの「ねじれや歪(ゆが)み」となって時折世の中に噴出して来る。

つまり戦後社会は「個」に重きを置いた社会を標榜し、教育も「個」に重点に置いてして来たのに、社会生活意識の合意は相変わらず「集団」を重きにおいている矛盾を抱えていて、そのハザマで育ち苦しんでいる若者が多く存在するのである。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 18:40 | Comments(0)  

天照大神(あまてらすおおみかみ)

天照大神(アマテラスオオミカミ)の伝説神話は、日向の国・高千穂(九州宮崎県)から始まっている。

この世の最高神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」は太陽神であり、宮崎県は昔、日向(ひゅうが)の国(つまり、太陽の地)と言った。

水平線上の真東から日が昇る、絶好のロケーションに位置するからである。

我輩はこの平和と豊穣の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)に、「秘すべき別の顔が在った」と認識している。

そもそもの天岩戸伝説に拠ると、陸地を支配する「天照大神」が岩戸に籠もった原因は、海を支配する弟神、「須佐之男命(スサノオのみこと)の度重なる悪行に拠る」とされている。

この事は、我が国・日本列島に於いて、農耕山岳民族系・加羅族(天孫族・山の民)と海洋民族系呉族(海の民)の覇権争いを伝えているのである。

平穏な世界に災いをもたらす弟神、「須佐之男の命(スサノオのみこと)」は、何を暗示しているのか?

この須佐之男命(スサノオのみこと)の「度重なる悪行」がこの物語のヒントで、異民族同士の支配地争いであれば大陸山間の稲作系民族と海洋民族の図式が成り立ち、実に判り易い。

つまり、大陸山間の稲作系民族の太陽神・天照大神(アマテラスオオミカミ)と海洋民族・須佐之男(スサノオ)の命が、「日本列島の覇権を争そっていた」と解釈できるのである。

それで思い付いたのが、「変身説」である。

或いは、平和の象徴である天照大神の、戦いの時の「変身したお姿」が、比売(ひめ)大神ではなかろうかと、我輩なりに、大胆に推理して見た。

天照大神は太陽信仰の神であり、大地の豊穣を願う農耕民族(天一族・加羅族)・平和象徴の女神である。

この平和の象徴が、乱暴な海洋民族・須佐王(スサノオ・呉族)が高天原にやって来た時、天照大神が男装に着替えて武装して威嚇した。

その御姿こそ、宇佐神宮におわす「比売大神(ひめのおおみかみ)」ではないだろうか。

それにしても、部族同士の戦を何時までも続ける訳には行かない。
そこで考え出されたのが、誓約(うけい)である。

誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。

実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。


尚、三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)は、「記紀(古事記日本書紀)神話」に於ける「」の伝承的存在である事を心して分けて扱うべきである。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

詳しくは小論【天照大神・天の岩戸伝説は只の神話か?】に飛ぶ。

詳しくは小論【比売大神(ひめおおみかみ)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・卑弥呼(ひみこ)同一人物説】に飛ぶ。

詳しくは、小論【古代国家・邪馬台国卑弥呼】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 04:15 | Comments(0)  

天宇受売命(あめのうずめのみこと)

天照大神(あまてらすおおみかみ)が、隠れ籠もってしまった天岩戸を「天手力男(あめのたじからお)の命」がこじ開ける時に、天照大神が「何事か?」と、覗き見の隙間を開けさせたのが、この「神楽(かぐら)の始まり」と聞く。

その、岩戸に隙間を開けさせる歴史的きっかけになった神楽の原型は、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)の胸(乳房)も女陰(女性器)も露わなストリップダンス」、と言われている。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸(天石屋戸/あまのいわと)に籠った時に、岩戸の前で踊った女神で、「宇受(うずめ)」は「かんざし」の意で、髪飾りをして神祭り(神楽舞)をする女神、更には「神憑った(かみがかった)女性の神格化を示す」とされている。

この天宇受売命(アメノウズメノミコト)のストリップダンスの伝説に直面すると、「これは子供には教えられない」又は「神聖な日本の歴史に、そんな卑猥(ひわい)な話は似合わない」と建前主義の発想が湧き、次に思う事は「その部分には触れないで置こう」か、「無かった事にしてしまえ」である。

表向きの奇麗事(建前)ばかり言って、事の本質に触れずに事を済ませてしまうのが日本人の妖しい所だが、その奇麗事が「歴史の認識にまで及ぶ」と成ると少しおかしな話である。

つまり巫女の神楽舞は、天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の岩戸(石屋戸)神楽が原形である。

記紀(古事記及び日本書紀)の記述からは「神懸かって舞った」と読める天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、神託の祭事を行なう巫女である。

列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人蝦夷族)と渡来系部族の混血だ」と言われていて、天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルダヒコガミ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)は渡来系弥生人だった。

神話においては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約・性交による群れの一体化の儀)」と言う。

つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳である。

この夫婦(めおと)二神が、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)に成り、後世に伝承される神楽舞の面(おもて)として残った。

そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。

貴方は、神事・慶事に使う「しめ縄の由来」をご存知か?

しめ縄とは、天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)が天宇受売命(あめのうずめのみこと)のストリップダンスの賑わいにつられて岩戸を少し開け、外を覗き見た所を手力雄命(手力王の尊/たぢからおうのみこと)が岩戸を引き開けて天照大神を連れ出し、天照大神のまわりに「しりくめ縄を引き巡らした」と言う神話がこの「しめ縄の初めだ」と言われている。

しめ縄は、「尻久米(しりくめ)縄」の略したものと言われ、久米(くめ)は「出す」を意味している事から、直訳すると「尻を出す縄」と言う事に成る。

神聖な伝承に於いて、天照大神が「しりくめ縄を引き巡らされる」・・・この意味するものはいったい何だろうか?

こんな解釈をすれば嘘で固めた良識派の「尻久米(しりくめ)縄を巡らしたのは岩戸の入り口の方だ」と反発はあるだろうが、この「天の岩戸伝説」を解するに「異民族同士の誓約(うけい)儀式の顛末伝承」と考えれば「尻久米(しりくめ)縄」に神代誓約(じんだいうけい)儀式の「リアルな意味が込められている」とも解釈できるのである。

いずれにしても神代の当時は現在のように性を秘するべきものでは無く、民族和合の誓約(うけい)儀式や五穀豊穣の祈りの証明としての性交儀式は神聖なものとして捉えられていたので、頭から現代風に受け取らず神代の当時の積もりで「尻久米(しりくめ)縄」の伝承を古事を辿りて偲い受け取って貰いたい。

当時、誓約(うけい)の古事は民族和合の誇るべき神事だった。

だから誓約(うけい)の精神に従って、「戦いを止めてベット・インをしよう」の誇るべき古事の為、神楽舞の面(おもて)、古くは天狗の鼻が男性器を表し、オカメの口は女性器を表していて、神楽舞台上で合体の為にサイズが合わされているのが本式である。

祭事として「神懸かって舞う」下りは、新旧民族の融和(誓約)の象徴を精神的に祝う神への奉納の舞である。

この誓約(うけい)の精神は、時代が下って行くと、争う敵将を味方につける為の「政略結婚」に変化して行くのである。

猿女君(さるめのきみ/朝廷の祭祀に携わる氏族の一つ) の祖神とされている天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)の、猿女君(さるめのきみ)の氏は「神楽の事に供す」として、宮中に奉仕し、主として「神楽に携わった女子」であるとされ、各地に神楽や芸能の神として祀られている。

この時天照大神を騙すのに使われたのが、三種の神器の一つ「八咫(ヤタ)の鏡」であった。


実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。


ストリップダンスを踊るなど、神様にしてはずいぶん人間臭い逸話である。

つまり、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が気になり、覗き見る程に「観客の神々」を沸かせるには、相応の仕掛けが必要なのだ。

この岩戸神楽、実は現実の里神楽に大きな意味を持たせる伝承だったが、それは追々筆を進める。

宇治県主(うじあがたのぬし)と猿田彦大神(サルダヒコオオミカミ)】に続く。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

詳しくは【天照大神・天の岩戸伝説は只の神話か?】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:59 | Comments(0)  

天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)

天上の最高神は「唯一一体(ゆいついったい/たったひとつ)」でなければならない。

しかし、日本の大和朝廷古事記日本書紀で創出した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同等な神、陀羅尼神(だらにしん/全ての祈り神)が、渡来した仏教の中に居た。

本来なら、この世の最高神は一体でなければ成らないからこれは困った。

しかし、そこは誓約(うけい)の知恵で倭の国々(征服部族国家)を統一した大和合(大和朝廷)の国とその民ならではの柔軟な知恵が浮かぶ。

世の最高神が一体ならば天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と陀羅尼神(だらにしん)は「呼び方が違うだけで同じ神様である。」と、日本列島の支配者と民はそれを否定することなく同一の神として受け入れた。

天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)は天地開開(てんちかいびゃく)神話で、宇宙に最初に出現し、高天原の主宰神となった神である。

その名が示す通り宇宙の真ん中に在って支配する神で、日本神話の神々の筆頭に位置付けられている。

古代インダス文明は、東方の国々に多くの影響を与えた。
インド・ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えている。

弘法大師・空海伝教大師・最澄が日本に持ち帰った経典の中にも、ヒンドゥー教の教義や祭祀の信仰は含まれていた。

従って桓武天皇(第五十代天皇)が設けた中務省・陰陽寮に於いても、ヒンドゥー教の統治に都合の良い部分は組み入れられていても不思議ではない。

実は北辰妙見信仰に於ける天地開開(てんちかいびゃく)神話・世の最高神・天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)=陀羅尼神(だらにしん/全ての祈り神)もヒンドゥー教の三最高神の一柱・ヴィシュヌ神(天地創造神/見渡せる神)が妙見(見通す)に通じる所から、「同一の神である」と考えられる。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:54 | Comments(1)  

阿弖流為(アテルイ)

桓武天皇が即位した頃、東北地方を流れる大河・北上川の語源とも言われるヒタカミ(日高見国)が、今の東北地方に在った。

そのヒタカミ(日高見国)蝦夷の首領に、アテルイ(阿弖流為)と呼ばれる指導者がいた。

この名前、個人名なのか、地位の名称なのか、まだ結論が出ていない。

アテルイ(阿弖流為)を人名と決め付けたのが現在の事情で有るが、悪路帝(王)説によると、「悪路」と言うのはアイヌ語の「アコロ」と同じ意味で、「われわれの」と言う意味ではないか、と言う事である。

まず、このヒタカミ(日高見国)蝦夷の役、官軍と賊軍と表現する歴史学者も居るが、その表現は正しくない。

アテルイ(阿弖流為)は賊軍ではなく、祖国防衛軍である。

独立している祖国を、これから征服しようとする相手に、何で「賊軍」と呼ばれなければ成らないのか?

大和朝廷側の文献を鵜呑みに読む歴史学者の、余りにも大和朝廷寄りに偏った発想である。

この阿弖流為(アテルイ)が守るヒタカミ(日高見国)蝦夷に、討伐の征夷将軍・紀古佐美(きのこさみ)の軍勢を差し向けたのが、奥州(東北)征服をもくろむ桓武天皇である。

ところが、いかに朝廷軍と言えども、組織的に抵抗されるとそう簡単には決着がつかない。

紀古佐美(きのこさみ)の軍勢がアテルイ(阿弖流為)の神出鬼没の作戦に大敗を喫してしまう。

征討軍は北上川にそって北上を始めた。

余談だが、この北上川(きたかみがわ)の呼び名、本当はヒタカミカワ(日高見川)である。

対する蝦夷軍の将軍はアテルイ(阿弖流為)、朝廷軍は隊を二つに分けて進軍した。

アテルイ軍はその館から三百人ほどが出て抵抗を試みるが、適わず退却し、紀軍は村々を焼き払って追撃する。

日高見川(北上川)を渡った朝廷の戦闘部隊、四千人ほどの当時としては大軍が水沢の巣伏村に来た頃に、アテルイは急遽反撃に出る。

一部は後方に回ってこの渡河部隊を挟み撃ちにし、激戦となるがここで朝廷軍は壊滅的な大敗北を喫する。

紀軍(朝廷側)の被害は戦死者二十五人・矢にあたった者二百四十五人・河で溺死した者千三十六人・河を泳ぎ 逃げて来た者千二百十七人と言う敗北で有る。

紀軍(朝廷)はここにくるまでに十四村・住居八百戸 を焼き討ちにして、アテルイ軍の戦死者は八十九人だった。

九月十九日に紀古佐美(きのこさみ)が帰京したが敗北の責任を喚問されて、征夷将軍の位を剥奪された。


大和朝廷(ヤマト王権)の勢力図は、七百十年代頃の多賀城の鎮守府設営(宮城県)から百年かけて北上を続け、今の青森県の手前に到達している。

この百年間は、大和朝廷(ヤマト王権)勢力の奥州(東北地方)侵略の歴史で、エミシ(蝦夷)側にすれば、アテルイ(阿弖流為)やモレィ(母礼)は民族の英雄だった。

千九百九十年以降、漸(ようやく)くアテルイ(阿弖流為)と言う人名が教科書の歴史に記載される。

千九百九十七年度、中学校歴史教科書七社のうち三社がアテルイを取り上げ、二千二年度までに、八社中七社がアテルイ(阿弖流為)を記述するようになった。

二千年度前後で漸(ようやく)く中学校歴史教育に取り上げられたアテルイ(阿弖流為)の存在は、北海道の先住民族・アイヌに比較し東北の先住民族・エミシの復権が遅れた事を物語って居る。

アテルイ(阿弖流為)の物語は、【坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)】に続く。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

小論・【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】をお薦めします。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:49 | Comments(3)  

阿倍比羅夫(あべのひらふ)(一)

六百年代(奈良時代)、どうも渡来部族では無いらしい阿倍氏が歴史書に現れる。
左大臣・阿倍倉橋麿と越国守・阿倍比羅夫(あべのひらふ)と言った顔ぶれである。

七世紀(奈良時代末期)の中頃には、大和朝廷の勢力範囲は日本海岸沿いで、北陸の越国まで達しており、この頃の阿倍比羅夫(あべのひらふ)は、大和朝廷の将軍で、越国守を任じ、北陸の越国(えつのくに)の国司をしていた。

つまり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)は大和朝廷の勢力範囲の最前線に居て、阿倍氏一族の内、「引田臣」と呼ばれる集団を率いていた。

また一説に拠ると越国(えつのくに)・阿倍氏は、独立した有力部族長説(国主=倭国王の一人)があり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)や阿倍氏一族が、どの時点で大和朝廷に参加(一体化)したのか、現時点では定説はない。

安倍清明は、阿倍倉橋麿から数えて九代目の子孫にあたり、阿倍倉橋麿と阿倍比羅夫(あべのひらふ)は「従弟にあたる」と言う説もある。

この説では阿倍比羅夫(あべのひらふ)は後の「前九年の役」の源氏の敵役、安倍貞任(あべさだとう)の七代先祖である。

阿倍氏が「早い時期に大和朝廷に帰属した蝦夷族長の血筋で有る」と疑うには、源氏源頼義義家)の東征で奥州の安倍一族が「浮囚長」と蛮族扱いにされ、討たれている点だけではない。

阿倍比羅夫(あべのひらふ)の活躍の内容に、疑いが感じられるからだ。

阿倍比羅夫(あべのひらふ)(二)】に続く。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:49 | Comments(0)  

安倍晴明(あべのせいめい)

陰陽師として有名な安倍晴明は、平安期の歴史に忽然と姿を現している。

陰陽道を創設したのが賀茂氏であり、神武朝から葛城朝大和朝廷が変わっていたから、本来なら中務省陰陽寮の首座(陰陽頭/おんみょうのかみ)は賀茂氏でなければならない。

それなのに賀茂氏(賀茂忠行・賀茂保憲)は、わざわざ安倍晴明を弟子にして天文学を教え陰陽寮の首座(陰陽頭)に据え、自らは副首座(陰陽助/おんみょうのすけ)に下った。

そこに重大な、何か隠された意味が在って当然ではないだろうか?

調べてみると、賀茂忠行・賀茂保憲父子が実子の賀茂光栄でなく、宮廷社会から非常に信頼を受けた安倍晴明に、天文道を伝えたにはそれなりの訳がある。

実は朝廷の強い要請に拠るのである。

元を正せば勘解由小路(賀茂)家は、代々鵺(ぬえ)・土蜘蛛・鬼を管理監督する初期陰陽修験道創始者・役小角(えんのおずぬ)の子孫の家柄で有る。

処が、当時はまだ列島中に中々根強い抵抗勢力(鵺(ぬえ)・土蜘蛛・鬼)の蝦夷(えみし)ゲリラが残っている。

つまり、先住部族蝦夷(えみし)を国家体制に取り込むには、その有力部族長・安倍氏を取り込み、蝦夷(えみし)の原始信仰をも取り込まねばならない。

実は、安部清明の「安倍」は東北最大の蝦夷族長(俘囚長)と同じ血統の出自で有る。

言うなれば、元々進入征服部族の寄り合い所帯だった朝廷は、「天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)は渡来系弥生人だった」と言う神話において象徴される新旧民族の融和(誓約)の夫婦(めおと)二神が、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)として登場する猿田毘古神(サルタヒコ)側の蝦夷族長・安倍氏を貴族として取り込む事によって同化政策を進め、国家体制を固める思惑があった。

それで、自分達が神々の子孫と言う神話を作ったように、土蜘蛛(蝦夷/えみし)を治め導く陰陽師の頭「陰陽寮首座の貴族」に安倍家を据える必要があったのである。

「突拍子もない」と否定するかも知れないが、安倍家の朝廷からの賜姓(しせい)を良く読んで欲しい。

貴族「土御門家」である。

これを素直に読むと土蜘蛛、或いは土族(つちぞく)の帝(みかど)・・・「つちみかど」なのである。

そして、宮中で、天文学を操って都の平穏を呪詛すると同時に、蝦夷の「統括及び民意誘導」を執り行う陰陽寮の長官・陰陽頭を任じたのである。

この「御門(みかど)」と言う使い方、蘇我氏などの臣王の文献にも使用され、「蘇我御門」などの表記もある事から、「部族王を表わす基準」としての表記なのかも知れない。

その後「平家一門」などのグループ表記に「門」が使用される元になったと考えられる。

平安時代末期以降、安倍氏から陰陽道の達人が立て続けに輩出され、下級貴族だった安倍氏は、「公卿に列する事のできる家柄」へと昇格して行く。

余談で有るが、道教系・陰陽師の安部清明は宮中秘祭・「泰山府君(北辰大祭)」祭祀を司り宮中に大きな勢力を持った。

「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府(めいふ)の神である。

冥府とは霊界(地獄・天国)に続く三途の川の場所で、成仏できない魂の彷徨(さまよう)場所を言う。

魂の彷徨(さまよい)に対処して、晴明が用いた道しるべの神・北辰は相応しい神である。

詳しくは【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。

詳しくは、【賀茂忠行(勘解由小路家)と安倍晴明(土御門家)の謎】に飛ぶ。

【安倍姓】【安倍晋三と安倍姓二千年の歴史】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:37 | Comments(0)  

安倍貞任(さだとう)

奥州藤原家は、源氏とは歴史的に経緯(いきさつ)が有る。

源頼朝の五代前に遡る村岡五郎(平)良文の孫・平忠常(上総介)に拠る「長元の乱」以後関東地区で勢力を広げ、あら方の関東武士を従えていた河内源氏・源頼義(みなもとよりよし)が、源氏の棟梁として、奥州(東北)の鎮守府将軍に、朝廷より任じられて着任する。

この鎮守府将軍、かなり出世意欲が強く、奥州を平定して「自分の勢力下に置こう」と企んでいた。

それで、当時奥州で一定の勢力を持っていた豪族「安倍氏」にちょっかいを出す。

安倍氏については、蝦夷(エミシ・えぞ)族長説や土着した下級役人が時間を掛けて豪族化した説など色々有るが、たとえ後者としても安倍氏は蝦夷との「混血が進んだ氏族」と考えられる。

蝦夷(エミシ)については、当時、「俘囚(ふしゅう)」などと言う差別制度があり、阿部氏は、「俘囚長であった」と記述する文献も存在する。

朝敵として仕立て上げ、討伐して手柄にするには格好の相手である。

そのタイミングは、源頼義(みなもとよりよし)が任務を終え帰任する直前に起こった。

安倍頼時の息子・安倍貞任(あべさだとう)が、部下を襲ったから「処刑するので差し出せ」と、源頼義が言い出したのだ。
明らかに言いがかりだった。

拒んだ安倍頼時に対し、それをきっかけに頼義は源氏の白旗を掲げた大軍を差し向けるが、安倍氏(頼時一門)も良く戦う。

当初、相手を甘く見ていた源頼義は、蝦夷馬(南部馬)を良く使う安倍頼時軍に、思わぬ苦戦を強いられる。

一時は安倍側が戦況有利に成って、源頼義は窮地に立った。

だが、頼義は安倍氏と似た様な出自(しゅつじ・出身)の豪族「清原氏」をくどき落して味方につける事に成功し連合して安倍氏を討ち、永い戦いの後に安倍一族を壊滅させる。

奥州・清原氏は、安倍氏と同じ蝦夷(エミシ)族長説がある俘囚長の家柄である。

しかし、当主・清原武則(きよはらたけのり)には奥州で強大な力を誇る安倍氏に取って変わる野心があった。

それで実際には十二年かかった「前九年の役」と呼ばれる東北の戦乱において、源頼義方に付き、形勢不利だった戦局を一変させて頼義に勝利させている。

詳しくは【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:31 | Comments(0)  

安倍宗任(あべのむねとう)

安倍宗任(むねとう)は、平安時代・陸奥国の豪族、蝦夷(エミシ・えぞ)俘囚長とされる安倍氏の安倍頼時の子で、安倍貞任(あべさだとう)の弟に成る。

宗任(むねとう)は奥州・鳥海柵(とりみのさく)の主で、鳥海三郎とも呼ばれていた。

宗任(むねとう)は娘をひとり奥州藤原家二代・藤原(清原)基衡の妻に嫁して居た。

前九年の役にて源頼義(みなもとよりよし)源(八幡太郎)義家(みなもとよしいえ)率いる軍勢に厨川柵(くりやがわのさく・岩手県盛岡市)で兄・貞任(さだとう)と共に戦って破れる。

難攻不落を誇っていた鳥海柵(とりみのさく)も源氏清原連合軍に攻められ落柵、降服し一命をとりとめ、源(八幡太郎)義家に都へ連行された。

降伏して四国配流、後に九州に配流された安倍宗任(むねとう)の子孫に安倍季任(すえとう)がいて、季任は水軍大名松浦党に婿入りして松浦実任(まつらさねとう・三郎大夫実任)を名乗り、北部九州で勢力を拡大して行く。

この安倍宗任(あべのむねとう)の子孫が、後に長門国(長州)に住み着いて現代の政治家として
活躍する山口県の安倍家である。

詳しくは【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】に飛ぶ。


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by mmcjiyodan | 2008-04-30 03:23 | Comments(0)