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足利義昭(あしかがよしあき)

足利義昭(あしかがよしあき)は、室町幕府最後の征夷大将軍である。

この時代、朝廷お膝元の畿内に、京兆細川氏の被官・三好長慶(みよしちょうけい / みよしながよし)の右筆(ゆうひつ/秘書役の文官)から身を起こした松永久秀(まつながひさひで)が現れる。

松永久秀(まつながひさひで)は、北条早雲斎藤道三と並ぶ下克上で出世を果たした男である。

足利将軍家、京兆細川家や三好三人衆に、畠山氏六角氏がこの松永氏と同盟したり敵対したりで絡み合いながら、都を含む畿内は戦乱に明け暮れていた。

幼くして出家、興福寺一乗院に入り「覚慶」と名乗っていた足利義昭は、千五百六十五年の永禄の変で、将軍であった兄・義輝が松永久秀(まつながひさひで)三好三人衆(みよしさんにんしゅう)によって暗殺されていた。

弟で鹿苑院院主であった「周嵩」も松永や三好三人衆によって誘殺され、足利義昭自身も久秀の手によって奈良に幽閉されるが、幕臣である細川藤孝や和田惟政らに助けられて脱出している。

「覚慶(足利義昭)」は、幽閉先から脱出後、還俗して足利義秋、暫らくして足利義昭と名乗る。

その義昭が流浪の末に、将軍家再興を目指して織田信長(おだのぶなが)に助力を要請し、頼り来たのである。

十三代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)に仕える幕臣に、和泉国・上半国の守護家とする細川藤孝(ほそかわふじたか)が居た。

主君・足利義輝(あしかがよしてる)の死後、細川藤孝(ほそかわふじたか)は、足利義昭(あしかがよしあき)の十五代将軍擁立に尽力する。

藤孝(ふじたか)は、明智光秀を通じて美濃・尾張国の織田信長に助力を求め、織田信長の武力を背景に入京して義昭の将軍任官に成功する。


室町幕府最後の将軍・足利義昭(あしかがよしあき)は、織田信長の助力により漸く流浪の身から脱して京に上り上洛を果たす。

朝廷・時の正親町天皇(おうぎまちてんのう)から将軍宣下を受けて第十五代将軍に就任、烏丸中御門第(からすまるみかどだい)を整備し室町幕府の再興を果たした。

しかし、直ぐに本当の実力者の織田信長と対立、武田信玄朝倉義景一向宗 ・顕如(れんにょ)上人らと呼応して信長包囲網を築き上げ、一時は信長を窮地に立たせる事もあった。

だが義昭は、やがて信長によって京都から追放され、朝倉家も武田家も織田・徳川連合軍に敗れて滅亡、足利義昭は毛利家を頼って亡命し事実上室町幕府は滅亡した。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 01:18 | Comments(0)  

朝倉義景(あさくらよしかげ)

戦国の動乱期、越前の国主は朝倉義景(あさくらよしかげ)だった。

朝倉家も、織田家同様に元は斯波氏(しばうじ)の家臣(守護代)であったのだが、他家と同じような経過を辿り、守護代だった朝倉家も比較的早くから主家の斯波(しば)氏を下克上で排除して独立、戦国大名として力を持っていた。

その朝倉義景(あさくらよしかげ)が、織田信長(おだのぶなが)の「天下布武(てんかふぶ)」の前に立ちはだかる。

軍勢を持たない「将軍・足利義昭」は、誰の目にも信長の傀儡(かいらい)と映る。

信長の戦力と言う「後ろ盾」有ってこその将軍で、本人は抵抗しても、言わば信長の操り人形である。

此処で各地の大名達が、足利義昭の招請に応じ、将軍就任の挨拶に参内(さんだい)すれば、事実上信長の風下に立つ。

これに反発したのが、越前朝倉家の義景である。
「予は尾張の田舎者に頭など下げん。放って置け。」
朝倉家は早い時期に下克上に成功し、どっぷりと名門意識に浸かっていた。

朝倉家の当主・朝倉義景は武将と言うよりは文化人で、今で言う「ボンボン」の典型である。

「売り家と、唐様で書く三代目」ならぬ、朝倉五代目だった。

織田信長の【越前・朝倉攻め】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 01:17 | Comments(0)  

アルファ波とベーター波

【右脳域】の活性で発生するアルファ波は、人間を含む動物が「リラックス状態で脳から発する電気的振動(脳波)」と定義されている。

一般的に未睡眠閉眼時、安静、覚醒した状態などの【右脳域】の活動でより多くのアルファ波が観察され、開眼や視覚刺激時、運動時、暗算などの精神活動時、緊張時、睡眠時(就寝中)には【左脳域】が活性化してアルファ波が減少しベーター波が増加する。

運動に先だってはまずベーター波増加し、運動終了後に反動的にアルファ波が増加を示すものであるが、【左脳域】がストレスで持ち堪(こた)えられなくなると例外的に運動量が突き抜けてハイ状態(ランナーズ・ハイやクライマーズ・ハイなどの過激な運動中)に成ってもアルファ波は発生する。

芸術関係(音楽・絵画・文章・映像など)の感性の部分や信仰(宗教)への陶酔時、性交時には【右脳域】の活動が主体であるが、運動関係は【左脳域】が主体となる。

固体が運動するに先だっては【左脳域】の理性的意識能力が活発化し、まずアルファ波は減少を示し、その後運動終了時にはリラックスな心理状態時に、スイッチが【右脳域】に振れて反動性にアルファ波が増加を示すものであるが、運動量が突き抜けてハイ状態(ランナーズ・ハイやクライマーズ・ハイなどの過激な運動中に起こる現象)に成っても発生する。

占いや信仰(宗教)などにおいては、当初【左脳域】の理性的意識から入ってその後の演出効果から【右脳域】の本能的無意識に入って陶酔状態に成るようにその儀式次第が完成されていて、【右脳域】の活動で「心の救いを感じる」のである。

しかしながら、こうした人間の潜在能力を「信仰に拠って強く引き出す」と言う観点から見れば、全面的に信仰が否定されるものではない。

「信じる者が救われる」は、このメカニズムからすれば当然で、アフリカなどに於ける原始宗教の音楽や踊りのトリップも、脳のメカニズム的には理に適っている。

つまり、運動終了後のリラックスな心理状態でアルファ波を発生【右脳域】の活性をはかり、悪魔(痛みによる苦しみ)を追い払う効果が、ベータ・エンドロフィンにはある。

詳しくは【美しくなれる興奮の解説】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 01:09 | Comments(0)  

アドレナリン

良く、【右脳系】の性的な欲望を「スポーツをする事で静めよう」と教えるがその事自体は正しく、スポーツは【左脳系本能】であるから理性的な抑制効果は期待できる。

ただし運動時の興奮は【右脳系】の性交時のリラックス興奮とは質が違い、有名な興奮物質として【左脳系本能】のストレス興奮物質・アドレナリンがある。

アドレナリンはリラックス物質ではなく緊急時の感性に拠る興奮物質で、恐怖や身の危険を察知した時、あるいは争いを必要とする時に素早く対応する為のストレス脳神経系物質である。

このアドレナリンの放出状態から開放される表現が「安堵(あんど)する」で、一気に【左脳域】の思考から【右脳域】の本能的無意識リラックス状態に切り替わった事を意味している。

脳神経系における神経伝達物質・アドレナリンはストレス反応の中心的役割を果たし、血中に放出されると一時的に心拍数や血圧を上げ、瞳孔を開きブドウ糖の血中濃度(血糖値)を上げる作用などがある。

「戦う(闘争)か逃げる(逃走)か」の判断を迫られる緊急時の【左脳系】の活性ホルモンと呼ばれ、人間を含む動物が「敵から身を守る。

あるいは獲物を捕食する必要にせまられる。」などと言う状態に相当するストレス応答を全身の器官に引き起こす交感神経が興奮した状態で血中に放出される脳神経系物質がアドレナリンである。

良いか悪いかの判断は個々の思考に任せるが、占いや信仰(宗教)などにおいては、当初【左脳域】の理性的意識の恐怖興奮物質・アドレナリンから入ってその後の演出効果から【右脳域】の本能的無意識リラックス興奮物質・ベーターエンドロフィンに入って陶酔状態に成るようにその儀式次第が完成されていて、【右脳域】の活動で「心の救いを感じる」仕組みに成っているのである。

詳しくは【美しくなれる興奮の解説】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 01:04 | Comments(0)  

壱与比売(いよひめ)

壱与比売(いよひめ)については、所謂天孫三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)の三兄妹の一人・月読命であれば、天照大神とスサノウ(須佐王)も誓約(うけい)の姉弟であるから、月読命(つくよみのみこと)が他人ながら神話上に於いて姉妹の契りを結んでも不思議は無い。

我輩の推測では、壱与比売(いよひめ)は月読の命(ツクヨミ・つきよみのみこと)である。

同一人物だが、その運命「始めに与えた」により、「壱与比売(いよひめ)」と呼ばれた。

卑弥呼以後、邪馬台国が安定した理由は、狗奴国(くなくに)の王(スサノウ/須佐王)誓約(うけい)を結んだからである。

壱与比売(いよひめ)の「政治の手腕」や「生涯」が無いのは、壱与比売(いよひめ)が邪馬台国の女王を引き継いだ時は、既に狗奴国(くなくに)に敗戦していて壱与比売(いよひめ)の名のごとく「初めて与えた(壱与比売)」の誓約(うけい)の結果である。

つまり邪馬台国・壱与の治世時は、既に狗奴国(くなくに)の属国として後の神武朝に吸収されて居いて誓約に拠る国家の安泰が唯一の成果だったのである。

一族の祖は大陸より来たりて朝鮮の任那(みまな)を経て、壱岐島に渡り、日向に国を興す。

月読(ツクヨミ・つきよみ)神社は壱岐島に有る。
神話の世界では有るが、辿って行くと案外本音を洩らしている部分もある。

記述によると、天の一族は、隼人族と手打ちを行い、天照大神スサノオの間で誓約(うけい)がなされ、「天忍穂耳(あまのおしほみ)の命が生まれた。」とある。

この、誓約(うけい)がトップ同士の政略結婚の意味であるなら、スサノオの相手は、卑弥呼の宗女、壱与(いよ)が有力である。

つまり、名前には意味がある。

天岩戸に拠る究極の部族和合・・誓約(うけい)の概念を念頭に推測すると、卑弥呼の後継・宗女「壱与」の読み方は、「一に与える」の贈り名であり、卑弥呼・後継霊媒師として誓約(うけい)を実践する以前は「別の名をかざしていた」と考えられるのである。

卑弥呼の死後、邪馬台国の混乱を沈めたのは、「壱与だ」と伝承されている。

この時、女王・壱与(いよ)は、僅か十三歳とされる。

壱与と言う名前からして、ずばり「始めに与えた」と読むのは強引過ぎるかも知れないが、読めなくもない。

その誓約(うけい)で生まれた天忍穂耳(あまのおしほみ)の命の子供が、「可愛(えの)岳にご陵墓が在る」と言われるニニギ(当用漢字がないのでカナ書き)の命である。

尚、三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)は、「記紀(古事記日本書紀)神話」に於ける「)」の伝承的存在である事を心して分けて扱うべきである。

月読命(つくよみのみこと)】に戻る。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

第一巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:58 | Comments(0)  

犬養氏(いぬかいうじ)

大化の改新以前(古墳時代)に、犬を飼養・使用する事を「業」とし、その能力を持って中央政権に仕えた「犬養部(いぬかひべ)」と言う部民がいた。

恐らくは犬を武力として良く使う一族が日本列島に渡り来てその犬使いの技術を生かして勢力を拡大、大和朝廷(ヤマト王権)成立時には有力部族となり、その職掌・犬養(いぬかひ)を持って現在で言う軍事・警察の職務を担っていた。

古来より狩猟や守衛を犬の使用目的として、犬養部(いぬかひべ)は存在していたのである。

日本書紀」によれば、五百三十八年(安閑二年)屯倉(みやけ)の大量設置をうけて同時期に犬養部(いぬかひべ)は国々に設置された。

屯倉(みやけ)とは古墳時代に設けられた土地や人民の支配制度の一つで、大和朝廷(ヤマト王権)が直接支配した土地の出先機関の事を指す。

この軍事氏族犬養氏が皇統の血族とは異なった事から、直系の賀茂(葛城)の隠密組織「陰陽寮」が組織され、その後、皇胤(こういん)貴族(皇統の血族)である平氏や源氏に取って代わられる事になる。

いずれにしても犬養部(いぬかひべ)と陰陽師は、庶民にとっては神(上)の使い=官憲である。

犬神の「神が外れて」ただの「犬」になってしまったのは、正に呪縛が解け、「敬いと恐れ」の気持ちを失ったからである。

犬養部(いぬかひべ)・伴造四氏族(とものみやつこよんしぞく)】に続く。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

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橘氏の由来と橘諸兄(たちばなのもろえ)】に飛ぶ。

第一巻の二話】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:52 | Comments(0)  

犬神(いぬがみ)

我が国では、官憲を称して「犬」と呼ぶ風習があるが、これは本来侮蔑(ぶべつ)した意味ではない。

これを侮蔑と取るのは歴史認識の欠如である。

実はこの「犬」、非常に由緒正しい「犬神」の事である。
犬はつまり狼(おおかみ)である。

大陸とは海峡を隔てた日本列島に在って、ライオン(獅子/しし)やタイガー(虎/とら)、クロコダイル(鰐/わに)の類は生息せず、肉食の猛獣は山犬(狼/オオカミ=大神)だけだった。

つまり山犬(狼/オオカミ=大神)が、列島の民にとっては襲われたら一溜まりも無い最大の恐れ(畏怖)の対象だった。

その恐れ(畏怖)の対象が、同じく山岳地帯を徘徊する陰陽修験道師と重ね合わされて信仰の対象に成った。

狼神社において狼が「神の使いである」と言う思想はどこから来たか、どうも密教・修験道にその源が有る。

かつて、医学の発達していない時代、庶民の間では寺や神社(小祠)と同じくらい修験道師(山伏)は重要な存在だったのである。

そこで、密教・修験道の「山伏」は、その山岳信仰から山岳の主「日本狼」と重ね合わせて「神の使い」と敬(うやま)われて行った。

従って、その根底に流れている密教の「北辰・北斗信仰の使い」が狼信仰で、{狼=オオカミ=大神}と言う訓読みの意味合いもある。

北斗・北辰の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を修した陰陽修験導師は、信仰上が「犬神の使い」で現実は帝の命を受けた「工作機関の官憲」であるなら、後に江戸期の幕府隠密が「幕府の犬」と呼ばれる事もそれなりに由緒がある。

まぁ、官憲には権力の手先と治安維持の二面性があるから仕方が無いが、「官憲の犬」には「犬神」の畏怖尊敬の意味もあり、つまり歴史を良く知らないと警察・検察を侮蔑(ぶべつ)の意味で「犬」と呼んでしまう間違いを犯す。

この犬神が天の犬(狗・こう)の意味を持って、「天狗(てんぐ)」と言う不思議な存在を生み出した。

つまりこの狗(いぬ=犬)の文字は犬神信仰に通じ、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)邪馬台国を平定して「神武朝大和朝廷を起こした」とされる呉族系(ごぞく/海洋民族)狗奴国(くなくに)の国号にも使われている。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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詳しくは【天狗修験道と犬神・人身御供伝説】を参照。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:51 | Comments(0)  

伊豆の国=伊都国(いとこく)説

古代、飛鳥時代より遥か昔、倭の国々の東の外れ、黒潮に抱かれた半島に、「伊都(いと)国」はあった。

古代葛城王朝・伊都国は伊豆の国(いずのくに)だった。

そしてその都は田京(伊豆の国市大仁田京)に在った。

田京(たきょう)一帯は、古くから伊豆の国(いずのくに)における「政治・文化の重要な場所であった」と言われており、この事を示す多くの古墳が残されている。

また、御門(みかど)から田京にかけては条理制(じょうりせい=大化の改新の際に行われた土地の区画法)の址も見られる。

御門地区にある「久昌寺(きゅうしょうじ)の六角堂址」と伝えられる史跡が、もっと古い時代の葛城御門の宮居「葛城の掖上(わきがみ)宮」と言う可能性を感じる。

二千年を超える影の歴史が始まったのは、この「伊都(いと)国」からだった。

修験道の祖「役小角(えんのおづぬ)」の家系は、伊豆の国(いずのくに)に起源を発する豪族臣王・葛城氏の枝であり、下級貴族である。

この葛城氏本家が、突然歴史から消える謎があり、次に名が歴史に表れた時は帝(天皇)の皇子の賜り名として、「葛城王」がある。

この事の意味するものは何だろう?

四国に現存する「伊豆・伊都同系」の神社群を検証すれば決定的な物証で、伊豆半島説の「伊豆(イズ)=伊都(イェズ/いと)」の関係は明白となり、九州説の「糸島半島=伊都」ではない。

決定的な事は、桓武天皇の第八皇女に阿保親王(あぼしんのう/平城天皇の第一皇子)の妃で、在原業平(ありわらのなりひら/右近衛権中将)の母・「伊都内親王」が居るが、読みは「いずないしんのう」で、伊都は正しく「いず」と読ませ、時に「伊豆」とも表記している。

つまり平安時代初期の段階で伊都は「いず」と読み、「伊豆」とも表記しているにも関わらず遥か後世の学者が糸半島を読みが「イト」だけで「伊都国所在地」とするのは少々強引ではないだろうか?

正直、最有力とされる伊都国・糸島説については、「発音が似ている」と言う安易な発想以外然したる証拠は無い。

確かに、現地・糸島には三雲南小路遺跡が存在するが、その遺跡が伊都国・糸島説を証明するものではないから、糸島は現在でも有力説としか扱われては居ない。

つまり伊豆半島・伊豆の国の方が、遥かに伊都国の可能性が高い多くの材料が散見されるのである。

「東南へ陸行すること五百里にして行程一ヶ月で伊都国に到る。官は爾支(にし)と曰(い)う。副は泄謨觚(せつもこ).柄渠觚(ひょうごこ)と曰(い)う。千余戸有り、世々王有るも、皆女王国が統属す。郡使が往来する時、常に駐(とどまる)所なり。」

これが、魏志倭人伝に記された伊都国の位置である。

水行ではなく陸行で東南へ五百里とある。
上陸地点は不明で起点が判らないが、陸路をかなり行く事には違いない。

これをまともに読むと、該当の地が「九州糸島半島説」はかなり苦しい。

陸行と言うからには少なくともかなり遠方の陸路でなくては成らず、また、「世々王有るも」と代々の王が存在し、郡使が必ず寄る所としている。

「皆女王国が統属す。」とある所から、邪馬台国と形式的冊封(さくほう/さくふう)関係にあり、「世々王有るも」と言うからには「独立国であった国」と考えられる。

この陸行五百里、旅の行程一ヶ月について研究者の一部は、九州糸島説では苦しい(整合性がない)ので、旅の苦労を中国人特有の「白髪三千丈」的な大げさな表現(誇張癖)による「本国への誇大報告だ」としている。

しかし上陸後「行程一ヶ月」はかなりの距離で、「誇張癖」だとしても後日別の者が行けば直ぐ判るような報告をするだろうか?

これはまた辻褄合せの「都合の良い解釈方法だ」と思うのは我輩だけだろうか?

すると、倭の国々の東の外れに伊都国があり、郡使の終着点だった。

その都「田京」が千戸余りの都市だったとも考えられる。

当時とすれば、千戸は人口にして三千から六千人と考えられ、かなりの大都市である。

国の総戸数と捉える説もあるが、この時代、他国に見せる「詳しい統計がある」とは思えず、目視した概要と考えるのが、妥当ではないだろうか?

また、「魏志倭人伝」に拠る「皆女王国に属す」も、どの程度の意味があるのかは解釈が分かれる所である。
卑弥呼の称号は「親魏倭王」である。

倭の国々に在っても、中国の帝国が分裂し三国志時代を迎えると、その影響が出て親呉政権(呉族/海洋民族系)や親魏政権(加羅族/天一族)に色分けをされて行く。

「魏志倭人伝」に拠ると伊都国を「女王国に属す」記述しているが、これはあくまでも「魏の言い分」の可能性がある。

伊都国(呉族/海洋民族系)は、当然「親呉」であり、漢の金印を持って列島では隠然たる力を有していたのである。

「親呉」の伊都国は呉と同盟を結んで魏と対抗していた為、卑弥呼と「親魏倭王」として組んだのではないだろうか?

詳しくは【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。

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源頼朝(みなもとよりとも)配流と旗揚げの地・伊豆の国(いずのくに)関連の鎌倉殿と鎌倉御家人(武将)
鎌倉殿【源頼朝(みなもとよりとも)】に飛ぶ。
御正室【北条政子(ほうじょうまさこ)】に飛ぶ。
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御家人【北条義時(ほうじょうよしとき)】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:43 | Comments(0)  

伊都国(いとこく)

謎の倭の国々の小国家群に「伊都(いと)国」と言う何処に在ったのか未だに所在が確定しない国の存在、伊都国(いとこく)と言う名も有名だが、その位置については諸説ある。

筑前の国(福岡県)の糸島半島説、伊勢の国(三重県)の志摩説が脚光を浴びているが、国としては規模が小さすぎる為、我輩は、伊都国(いとこく)の存在すなわち伊豆の国(いずのくに)(伊豆半島)説を取っている。

魏志倭人伝に記載された国々で王の存在が書かれているのは、卑弥呼邪馬台国スサノウ狗奴国葛城氏の伊都国の三っの国だけで、つまりこの三っの国が当時の日本列島に於いて広域・有力な王国である可能性が強い。

そうなると、有力な外国・中華の魏帝国にも認知された広域・有力王国・伊都国が、既存説の「福岡県の糸島半島と言う狭い地域に在った小国」とは考え難い状況がある。

朝鮮半島の言葉・朝鮮語(韓国語)で、伊都国の伊都も「イェヅ」と発音する。

「イェヅ」と「伊豆(イズ)」、何か音が似てないだろうか?

伊豆の「豆」は豆腐の「トゥ」の発音で、韓語(ハングル)では豆「ドゥ・トゥ」と発音する。

伊は「イェー、イェ」と発音し「遠い」と言う意味があり、都は「ヅ」と発音して集落の意味を持ち日本語(列島の言葉)の豆(ズ/まめ)の「ズ」とは音が似通っているのである。

ちなみにこの伊都国(イェヅグゥ)、「遠くに位置する集落の国」と言う解釈に成る説がある。

豆と言う字は「とぅ」と読むのが元々で、伊豆国は「いとぅこく」と読むのである。

そしてこの伊都国(いとこく)こそ、狗奴国(くなくに)の神武王朝に取って代わった伊都国(いとこく)の葛城王朝の発祥の地だったのである。

伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に続く。

伊豆の国=伊都国説の詳しい検証は【本編】をお読み下さい。

伊豆の国=伊都国説の詳細は【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:38 | Comments(0)  

伊豆の国(いずのくに)

伊豆の国(いずのくに)のほとんどを占める伊豆半島は、学説によると昔は太平洋上の島だったのだが、人類誕生以前の大昔に日本列島にぶつかり、その地殻の動きが火山活動を刺激して富士火山帯が誕生、「名峰・富士山や箱根連山を生み出した」と言われている。

この地には昔から、海洋族(呉族)の賀茂・葛城事代主神(ことしろぬしのかみ)にまつわる多くの地名が存在する。

伊豆は、太平洋に突き出した半島で、黒潮の流れ沿いに位置し、間違いなく隼人(はやと)の子孫たちが辿り着くべき、ロマンを持ち合わせる半島である。

現存する古文書によると、天武天皇の御世、六百八十一年七月に駿河国の東部二つの郡(賀茂郡・駿東郡)を割いて成立した伊豆の国(いずのくに)は、天城連山をはじめ多くの山に囲まれた山国である。

天武大王(てんむおおきみ/天皇)の御世、役小角(えんのおずぬ)修験道を始めた、六百八十一年七月に小角(おずぬ)縁(ゆかり)の律令国上の伊豆の国(いずのくに)は成立した。

まぁ、こうした古文書が残っていると、それ以前には「伊豆の国(いずのくに)が無かった」と単純に言われそうだが、裏を返せば、わざわざそうした名の国を作る「理由は何なのか」と言う見方も出来る。

伊豆の国(いずのくに)成立から百年程経った七百八十一年の桓武天皇(かんむてんのう)の御世、天武大王(てんむおおきみ/天皇)が始めた古事記日本書紀の編纂が佳境を向かえ、八百七年には遣唐使の学僧だった弘法大師(空海)伝教大師(最澄)が帰朝する。

実はこの桓武天皇の御世に生まれた天皇の第八皇女の名乗りが伊都内親王(いずないしんのう)で、「伊都」を「いず」と読ませませ、時に「伊豆」とも表記している。

つまり平安時代初期の段階で「伊都」は「いず」と読み、「伊豆」とも表記しているのだが、この伊都内親王(いずないしんのう)の誕生時期と、陰陽師拠る天孫降臨伝説(記・紀神話)の喧伝の開始、弘法大師(空海)が伊豆・桂谷山寺の開基を急いでいるなどが集中していて、桓武帝を中心とした作為の連携が感じられる。

つまり、昔の国(伊都国)を、文字を変えて「復活させたのでは?」とも取れるのだ。

遣唐使の学僧として入唐後帰朝した空海(弘法大師)と同じ頃、伴に帰国を果たした遣唐学僧・最澄(さいちょう/伝教大師)が天台宗を興し、総本山・比叡山延暦寺(京都府と滋賀県の県境)を創建する。

最澄(伝教大師)は、空海(弘法大師)と共に信仰(仏教)のみならずあらゆる最先端の大陸文明を持ち帰り、日本列島(大和の国)の新時代の扉を開くきっかけをもたらせた。
二人の帰国は、ちょうど桓武天皇(かんむてんのう)のダイナミックな治世が行われた頃で、この頃の都は長岡京 (ながおかきょう)から遷都(七百九十四年)されたばかりの平安京(へいあんきょう)だった。

そして空海(弘法大師)は、帰朝して間もない時期に都から遠い伊豆の国(いずのくに)・修善寺の地におお慌てで「桂谷寺(後の修禅寺)」と言う寺を開山し、伊豆の国(いずのくに)に橋頭堡を築いている。
この一連の動きには、何か隠された伊豆の国(いずのくに)の謎があるのではないだろうか?

詳しくは、【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】を参照。

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:32 | Comments(0)