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仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(一)

さて須佐之男(スサノオ・須佐王)の正体であるが、「日本書紀」の所伝として記されている素戔嗚尊(須佐之男命/スサノオの命・須佐王)は、「新羅(シルラ)の曽尸茂利(ソンモリ)と言う地に居た」とされ、ソシモリは、ソシマリやソモリとも言う朝鮮(韓国)語で、牛頭・須佐王(スサノオ)または牛首(ゴヅ)を意味し、韓国には各地に牛頭山と言う名の山や牛頭(ゴズ)の名の付いた島などの地名が存在する。

つまり、須佐王(スサノオ)は、朝鮮半島を経由して渡来した中国福建省辺りからの海洋部族王(海人族・呉族)だった事に成る。

出雲の国(島根県)の西隣、長州(山口県)の日本海側に、ずばり阿武郡「須佐町」が在り、「須佐王所縁の地」と考えられ、その須佐町から東へ「つまり出雲方向へ戻る」と島根県簸川郡佐田町に出る。

そこには、須佐之男(スサノオ)或いは須佐王(?)を祭る小社・須佐神社があり、須佐之男の命の御霊(みたま)を祭る神社は、「他にはない」と言われている。

実は、紀州熊野に格上の大社・須佐の男神社があるが、しかしこれも、宇佐神宮から伊勢神宮の様に後に佐田から熊野に移し、「格上げ造営された」と考えたい。

須佐、佐田、いずれの町も日本海側(山陰地方)の対馬海流(黒潮)の流れ沿いにあり、この海流でこの地方は冬も比較的温暖だと言い、言わば海洋民族が上陸し住み着くに「不自然さ」は無い。

これらの町や神社は、地理的条件からすると葦原中国(出雲の国)、或いは大国主の命(おおくにぬしのみこと)の伝承と同じ地域に当たる。

佐田町の直ぐ東隣は出雲市で、須佐神社はほとんど出雲大社とは同じ地域の立地であり、須佐王と大国主の関連性に確信がもてる。

大国主の葦原中国が、須佐王(スサノオ)伝承に繋がりが有っても良さそうだ。

葦原中国(出雲の国)の最大の勢力範囲は、「山陰、北陸、越、信濃に及んだ」とあり、正に古代の大国である。

その日本海沿岸を主力地盤とする大国は黒潮海流の流れと符合し、つまり出雲の国に須佐族(隼人族)が居た事に成る。

もしかするとだが、大国主と須佐王の両者が同族であれば辻褄が合う。

一説には、「須佐王の六代目が大国主の命」と言う記述もあり、隠された神話の歴史の中に「国譲り」の真実があるのかも知しれない。

この大国主の国譲りで、九州から畿内までの西日本はほぼ統一された。

大胆に推測すると、大国主が平和裏に国を譲ったのが本当なら須佐王または須佐王の血族関係が、大きな役わりを果たしたのではないだろうか。

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(二)】に続く。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

詳しくは、小論・【仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=須佐王(スサノウ)説】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2009-11-26 04:28 | Comments(0)  

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(二)

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(一)】に戻る。

後の大和朝廷の有力氏族(臣王家)に、和邇(わに)葛城(かつらぎ)大伴(おおとも)物部(もののべ)蘇我(そが)安部(あべ)秦(はた)中臣(なかとみ・後の藤原)と言った名が連なっている。

この頃は、和邇(わに)氏が最有力の氏族であるが、この和邇氏を指す様な伝説がある。

遺されている民話伝承の類には、後の世に伝えたい真実がそっと隠されている事が多い。

ワニ(クロコダイル)は本来日本に馴染まない為、伝説に成るのが不思議だが、有名な伝承が存在する。

葦原中国時代の出雲伝説には、ワニ(和邇)を「ずる賢く」騙した白兎(しろうさぎ・宇佐岐)が、ワニに逆襲され、大怪我をした事から、「大国主の命が、白兎を助ける物語」を描くものがある。

和邇(わに)氏とのこの一致は、氏族間の争いを描いた「独特な歴史の表現」なのか、それとも何らかの「政治的狙い」が有ったのか?この伝承、ワニでは不自然なのでサメに姿を変えて現在に伝わっている。

和邇臣王は「奴国王の後裔」と言われているが、本宗家の和邇(珥)臣王家は、五百七年継体大王(けいたいおおきみ・第二十六代天皇)・(継体新朝)の頃までに絶えている。

因幡(いなば)の白兎(宇佐岐)伝説と関わりが在りそうで、或いは継体新朝には組さない旧体制の臣(豪族)王だったのか?

この因幡(いなば)の白兎伝説のうさぎ・・「宇佐岐(うさぎ)」と言う名の「百済系弱小氏族」に行き当たる。

宇佐島の神の名も「宇佐岐(うさぎ)」であり、前述した宇佐神宮出雲神社の礼拝様式の共通性は、ここら辺りに有るかも知れない。

宇佐神宮が、限りなく神社の最高位に近い神社である事の意味に、関わりが在りそうで有る。

この日本史上有名な人物である「大国主の命」は、実は単数の人名でなく「職名(地位名)だ」とする歴史家の意見も存在する。

つまり、王の中の王を意味し、葦原中国(出雲の国)統一大王を呼ぶ名であれば、地上界を中国(なかくに)または中津国(なかつくに)とするのも頷ける。

大国主が、倭の国々の統一途中の大王(おおきみ)だったのではないだろうか?

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(三)】に続く。
仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(一)】に戻る。

詳しくは、小論・【仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=須佐王(スサノウ)説】を参照下さい。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

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by mmcjiyodan | 2009-11-26 04:26 | Comments(0)  

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(三)

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(一)】に戻る。

古事記」に拠ると、四世紀・古墳時代の前期の頃、大国小国の「国造(くにのみやつこ)を定めたまい」、また国々の堺、及び、大県(おおあがた)小県(おあがた)の「県主(あがたぬし)を定めたまう。」とある。

大国主(おおくにぬし)=大王(おおきみ)=帝(みかど)、国造(くにのみやつこ)=国主(くにぬし・こくしゅ)=国守(こくしゅ・くにかみ)、県造(あがたのみやっこ)=県主(あがたぬし)、郡造(こおりのみやっこ)=郡領(こおりのみやっこ)などが上げられるが、造(みやつこ)と言う名称から、ただの行政府(庁)ではなく開発庁の役目も負っていた事が窺える。

この古墳時代の前期と言う初期の王朝が、それほど広範囲に支配が及んでいたとは考え難いので、服属させた大和王朝周辺の豪族を県主(あがたぬし)として任命把握し、県主(あがたぬし)によって支配される領域を県(あがた)と呼んだのではないだろうか。

それが国主(くにぬし)達の合意に拠る「倭の並立五王達」の合併で弾みが付き、西日本統一王朝(大和朝廷)へと膨らんだのではないだろうか?

そうなると、大国主は何人居ても不思議ではない。

宇佐岐(ウサギ)氏が実は大国主に出世して宇佐神宮を造営する事もあるだろうし、須佐族の王が大国主を名乗っても良い事になる。

こうした発想を基に、断片的な状況を判断して行くと、古文書・伝承の中に解き明かす手掛かりが浮かんで来るのである。

宇佐神宮の宮司を勤める宇佐氏は、その地の土豪として永く栄えた家柄だが、宇佐岐(ウサギ)氏との関わりが濃厚である。

ここで浮かぶ疑問は、宇佐と須佐で、この二つ、もしかすると「同一ではないのか」と言う疑問である。

或いは宇佐王が神話の世界で三番目の神になる時、実際の宇佐では都合が悪いので「須佐王とした。」とも考えられ、中国(呉の国)式に、「是宇佐(うさです)」を発音すると「シーウサ」であるが、中国独特の巻き舌音では「スゥウサ」に聞こえ、それが呉国系の発音に成ると特に激しいのだ。

須佐王が中国福建省辺りからの呉族系渡来部族の長であれば、「是宇佐/これ(うさ)なり」が福建語中国発音で「シゥウサ・スーウサ」となり、スサノウが是宇佐王(これはうさおうなり・須佐王/須佐之男)と発音されても違和感がない。

そして大国主(大王/おおきみ)が宇佐氏自身であれば、宇佐氏が有力国主(王)の和邇(わに)氏を従え大国主(大王/おおきみ)に成った経緯が「ワニ(鮫?)と因幡の白兎」の伝承であり、それであれば出雲大社と宇佐神宮だけに共通する特異な「二礼、四拍手、一礼」の参拝作法(様式)が残っている理由が説明出来るのである。

仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説(一)】に戻る。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

詳しくは、小論・【仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=須佐王(スサノウ)説】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2009-11-26 04:23 | Comments(0)  

牛頭天王(ゴヅテンノウ)=祇園神・須佐王(スサノオ)

牛頭天王(ゴヅテンノウ)とは、日本書紀に「須佐王(スサノオ)」が居たと記された朝鮮半島・新羅の曽尸茂利(ソシモリ、牛頭)に関係する神とも言われ、日本列島に於いては薬師如来の垂迹(しじゃく=本体)であるとともに、須佐王(スサノオ)の本地(仏)とされた神仏習合の神である。

ソシモリは、阻止まりやソモリとも言う朝鮮(韓国)語で、牛頭・須佐王(スサノオ)または牛首(ゴヅ)を意味し、韓国には各地に牛頭山と言う名の山や牛頭(ゴズ)の名の付いた島などの地名が存在する。

つまり須佐王(スサノオ)は、朝鮮半島を経由して渡来した中国福建省辺りからの海洋部族王(海人族・呉族)だった事に成る。

牛頭天王(ゴヅテンノウ)はインドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神ともされ、京都祇園や播磨国広峰山に鎮座する祇園神とも呼ばれた。

祇園祭(ぎおんまつり)は、朝鮮半島を発祥とする神様・牛頭天王(ゴヅテンノウ)またの名を祇園神・須佐王(スサノオ・素戔嗚尊)を祀る祭りで、日本の祭りが朝鮮半島を発祥とする神を祀る証拠として祭りの掛け声は「ワッショイ」だが、現在の半島(朝鮮半島)の言葉でも掛け声は「ワッソー」で、この「ワッソー」を、御輿を担ぐ勢いで早口で言って見れば判る。

つまり日本列島の地に根付いた祇園信仰は、明らかに朝鮮半島からの渡来信仰で、牛頭天王(ゴヅテンノウ)と須佐王(スサノオ)が同一神または習合神であるなら、日本の最高神・天照大神(あまてらすおおみかみ)誓約(うけい)に拠って弟神と成った須佐王(スサノオ・素戔嗚尊)の経緯がおぼろげながら見えて来るのである。

古代インダス文明は、東方の国々に多くの影響を与えた。

この朝鮮半島由来の守護神・牛頭天王(ゴヅテンノウ)であるが、もう少し深く探ると基は多神教であるインド・ヒンドゥー教で、「牛」は神聖な動物として崇拝されている「ナンディン(聖なる牛)信仰」がその源流の様である。

多神教であるインド・ヒンドゥー教では生き物も神であり、シヴァ神の乗る「ナンディン(乳白色の牡牛)神」と成った事で神聖化が進んだ「牛」は、神聖な動物(聖なる牛)として崇拝されている。

そしてこのナンディン(乳白色の牡牛)神、シヴァ神が踊りを舞う時「その為の音楽を奏でる役を担う」とされている。

牛頭天王(ゴヅテンノウ)が、元々シヴァ神が踊りを舞う祭礼音楽の奏者を担う神であれば、祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)の祭礼神で在っても不思議は無い。

そう成って来ると、日本神話に於ける天宇受売命(あめのうずめのみこと)の存在も、ヒンドゥー教の「シヴァ神がモデルではないか?」とも思えて来るのである。

祇園祭りは、北は青森から南は九州・熊本まで広範囲に地祇系神(祇園神社系神)として執り行われている祭礼で、京都の八坂神社(祇園総社)や博多・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(すさのうのみこと)の博多祇園山笠は特に盛大で知られている。

祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)は、祇園神(スサノオ・牛頭天王)を祀る祇園神社に奉納される祭礼で、代表的な物として京都の祇園総本社・八坂神社の祇園祭りが在り、平安時代に成立した御霊信仰を背景に仏教の神で祇園精舎の守護神・牛頭天王(ゴヅテンノウ)及び神道の神・須佐王(スサノオ)を祭り、それらは疫病に対する神仏習合の信仰とされている。

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by mmcjiyodan | 2009-11-21 03:34 | Comments(0)  

祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)

祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)は、祇園神・牛頭天王(スサノオ)を祀る祇園神社に奉納される祭礼である。

代表的な物として京都の祇園総本社・八坂神社の祇園祭りが在り、平安時代に成立した御霊信仰を背景に仏教の神で祇園精舎の守護神・牛頭天王(ゴヅテンノウ)及び神道の神・須佐王(スサノオ)を祭り、それらは疫病に対する神仏習合の信仰である。

祇園祭(ぎおんまつり)は、朝鮮半島を発祥とする神様・牛頭天王(ゴヅテンノウ)またの名を祇園神・須佐王(スサノオ・素戔嗚尊)を祀る祭りで、日本の祭りが朝鮮半島を発祥とする神を祀る証拠として祭りの掛け声は「ワッショイ」だが、現在の半島(朝鮮半島)の言葉でも掛け声は「ワッソー」で、この「ワッソー」を、御輿を担ぐ勢いで早口で言って見れば判る。

ソシモリは、ソシマリやソモリとも言う朝鮮(韓国)語で、牛頭・須佐王(スサノオ)または牛首(ゴヅ)を意味し、韓国には各地に牛頭山と言う名の山や牛頭(ゴズ)の名の付いた島などの地名が存在する。

つまり須佐王(スサノオ)は、朝鮮半島を経由して渡来した中国福建省辺りからの海洋部族王(海人族・呉族)だった事に成る。

日本列島の地に根付いた祇園信仰は明らかに朝鮮半島からの渡来信仰で、牛頭天王(ゴヅテンノウ)と須佐王(スサノオ)が同一神または習合神であるなら、日本の最高神・天照大神(あまてらすおおみかみ)誓約(うけい)に拠って弟神と成った須佐王(スサノオ・素戔嗚尊)の経緯がおぼろげながら見えて来るのである。

祇園祭りは、北は青森から南は九州・熊本まで広範囲に地祇系神(祇園神社系神)として執り行われている祭礼で、京都の八坂神社(祇園総社)や博多・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(すさのうのみこと)の博多祇園山笠は特に盛大で知られている。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2009-11-21 03:31 | Comments(0)  

秀吉の四国攻め

小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いを乗り越え、徳川家康を臣従させた羽柴秀吉には次の仕事が待っていた。

織田信長の後継者に納まったとは言え、羽柴秀吉は未だ中央を制しただけである。

群雄割拠の戦国末期、豊臣政権が確立する直前の日本列島には夫々の地に下克上を勝ち抜いた群雄達が、覇を唱えて夫々に広大な支配地を押さえて君臨して居た。

早い時期に下克上で地盤を固めた先祖・伊勢新九郎盛時(北条早雲)からの世襲の関東・北条氏以外、ほとんどは自分の代で切り取ったもので、何も考えない者にこの位置は在り得ない。

つまり知力と武力を兼ね備えた勝ち残り組みが、秀吉の前に立ちはだかっていたのだ。

東北に覇を唱えた伊達政宗、広大な関東を押さえた北条氏、上越の最強軍団・上杉景勝、四国をほぼ手中にしつつ在った長宗我部元親、中国地方の覇を唱えた毛利輝元、北部九州を抑えながら南部九州の島津義弘に制圧されかかっている大友宗麟など、それらの整理が信長が遣り残した「天下布武」の仕上げの仕事だった。

中国地方の毛利輝元は天下の情勢を様子見をしていたが、千五百八十三年(天正十一年)の賤ヶ岳の戦いの後には人質を送って秀吉に臣従した。

その後起こった四国征伐や九州征伐にも輝元は先鋒として参加して武功を挙げ、秀吉の天下統一に大きく寄与した結果、秀吉より周防・長門・安芸・石見・出雲・備後などの所領を安堵されている。


秀吉は天下統一に際しての軍事行動に度々背後を四国の長宗我部氏に脅かされた為、四国出兵を考えるようになる。

秀吉・長宗我部元親とも当初は交渉による和解を模索したが、領土配分を巡る対立を解消できず、交渉は決裂した。

交渉決裂により、秀吉は本能寺の変によって中断された千五百八十一年(天正九年)から千五百八十二年(天正十年)にかけての織田信長による四国進出の仕上げを計画する。


千五百八十五年(天正十三年)、天下統一に避けては通れ無い秀吉の勝ち残り組みの一家・四国の覇者・長宗我部氏に対する四国攻めが始まる。

羽柴秀吉は天下の覇者となるべく四国への出陣を決定し、淡路から阿波・備前から讃岐・安芸から伊予の三方向から弟の羽柴秀長を総大将、副将を甥の羽柴秀次と定め四国への進軍を命じた。

長宗我部方兵力は四万に対し、関白に就任する力を着けた秀吉方の兵力は十二万の大軍に及んだ。

讃岐・阿波で次々に秀吉軍の進撃を許し谷忠澄や白地城の重臣達も長宗我部元親に降伏を進言した為、蜂須賀正勝との交渉により元親は降伏し、長宗我部氏は土佐一国を安堵され豊臣政権に繰り込まれ、その他の三ヵ国は没収された。

この羽柴秀吉の天下人を確実にさせた一連の四国攻め・九州征伐・小田原平定、実は作戦参謀役の弟・羽柴秀長が「軍師として発揮した力は大きい」と言われている。

千五百八十五年(天正十三年)【秀吉の四国攻め】この頁
千五百八十七年(天正十五年)【秀吉の九州征伐
千五百九十年 (天正十八年)【秀吉の小田原平定

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by mmcjiyodan | 2009-11-18 00:50 | Comments(0)  

吉祥天(きっしょうてん)=女神・シュリー.ラクシュミー

正直、幸運の神様として占術に使われているのが真言・吉祥天(きっしょうてん)である。

吉祥天(きっしょうてん)は、我が国では毘沙門天(びしゃもんてん/梵名・ヴァイシュラヴァナ)の妻として幸福の女神とされる女神・シュリー.ラクシュミーで、真言・吉祥天に於いては、唱える呪文は「オン・マカシリ・エイ・ソワカ」であるが、ご利益が在るかどうかは信じる者次第で保障の限りでは無い。

吉祥天(きっしょうてん)の由来であり、「乳海攪拌の際に誕生した」とされる女神・ラクシュミー神(吉祥天)はヒンドゥー教の女神の一柱で、美と豊穣と幸運を司る神で、ヒンドゥー教の最高神の一人で宇宙の維持を司るヴィシュヌ神(ヴァイシュラヴァナ/毘沙門天)の妻とされて居り、数多く在るヴィシュヌ神の化身と共にラクシュミー神も対応する姿と別名を持っている。

愛神・カーマの母とされる女神・ラクシュミー神(吉祥天)は、幸運を司る為に「移り気な性格である」とも言われる。

日本に於いては仏教にも取り込まれて吉祥天と呼ばれていて、仏教では福徳安楽を恵み仏法を護持する天女とされ、毘沙門天の妃また妹ともされ、更に神社でも信仰の対象として吉祥天は神道の神でもあるが、弁財天(サラスヴァティー)と混同される場合がある。

なお、女神・ラクシュミー神(吉祥天)にはアラクシュミー神(不吉祥天)と言う不幸を司る女神を姉に持つともされ、ヴィシュヌ神の妻になる際に「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」とヴィシュヌ神に請願ししている。

ヴィシュヌ神は条件を呑み、ヨーガの修行を積んだ苦行者で聖者或いは賢者達の一人である聖仙(仙人)・リシと姉神・アラクシュミー神(不吉祥天)を結婚させ、晴れてヴィシュヌ神とラクシュミー神は「一緒になった」と言うう神話も残っている。

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by mmcjiyodan | 2009-11-15 05:16 | Comments(0)  

弁財天と観世音菩薩と女神・サラスヴァティー

インドの土着信仰から始まったヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーが、中国経由で日本に渡来した弁財天の原型である。

弁財天は原型であるインド土着の女神・サラスヴァティーの頃から、性の女神としての側面をもっていた様で、そのイメージは日本に入って来てからも健在だった。

女神・サラスヴァティーはヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻(配偶神)であり、サンスクリット語(梵語)でサラスヴァティーとは水(湖)を持つものの意であり、水と豊穣の女神としてインドのもっとも古い聖典リグ・ベーダに於いて、始めは聖なる川、サラスヴァティー川(その実体については諸説ある)の神話である。

仏教に於ける婆達多品(デーヴァダッタボン、或いはダイバダッタ品)の観世音菩薩について、この両者(弁才天と観世音)は、「自らを犠牲に供する事によって男を救済する存在」と言う共通性を持っていて、日本の民衆の間では女性の事を指して「弁天様」或いは「観音様」と表現する所から弁財天が「観世音菩薩の応変」と見なされて居る。

元々インド・ヒンドゥー教の神や祭祀にはカーマ(性愛)を生活の糧とする思想が在り、シヴァ神(破壊神)ダキニ天(荼枳尼天)カーマ・スートラ(インド三大性典のひとつ)などを生み出した思想の国だったから、日本に持ち込まれた仏教や神仏習合修験信仰にその影響を与えている。

なかでも江の島・弁財天は裸形弁財天で有名で、江の島の本宮とされる洞窟は弁財天信仰が持ち込まれる以前から、女性の性器や子宮に見たてられ「女陰信仰が盛んだった」と言う。

そのインドの土着神話で、八歳の王の娘・娑竭羅龍(サラスヴァティー)が「男子に変じて成仏した」と言う内容の「提婆達多品(デーヴァダッタボン)」が〈つまり女でも、子供(八歳)でも獣(竜)でも成仏できる事を説いた経文〉として論じられる事が多い事からして竜は獣と言う扱いらしく、獣も仏法諸天の仲間で有り、獣(竜)でも成仏できるのなら、畜生道(獣姦)に落ちても成仏できる理屈である。

その土着神話で、八歳の娑竭羅龍(サラスヴァティー)王の娘が「男子に変じて成仏した」と言う内容の「提婆達多品(デーヴァダッタボン)」が〈つまり女でも、子供(八歳)でも獣(竜)でも成仏できる事を説いた経文〉として論じられる事が多い事からして竜は獣と言う扱いらしい。

となると、「陰陽修験導師が暗躍した」と思われる人身御供伝説の原点がこのインド・ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーと仏法諸天の仲間・獣(竜)の畜生道(獣姦)の物語「提婆達多品(デーヴァダッタボン)」の竜を、犬や猿などに加工して応用したのではないかと推測されるのである。

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by mmcjiyodan | 2009-11-14 17:12 | Comments(0)  

カーマ・スートラ(インド三大性典のひとつ)

世界第三位の信者数(八億人強)を誇るヒンドゥー教は、キリスト教やイスラム教のような特定の開祖に拠って開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ「時代に従って変化したもの」と考えられている。

インド・ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されて来た多神教であり、また地域や所属する集団によって非常に多様な信仰形態をとる為にヒンドゥー教の範囲は非常に曖昧で、生活に密着した赤裸々な神であり、煩悩を容認し性に赤裸様(あからさま)ある。

インド・ヒンドゥー教は正直な神で、ヒンドゥー教の三最高神の一柱のシヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)であり、つまり性愛の神様でもある。

ヒンドゥー教に於けるシヴァ神(破壊神)は災いと恩恵を共にもたらす神で、例えば洪水は大きな災いだが同時に「土地に水と肥沃をもたらして植物を育てる」と言う二面性があり、古来日本の五穀豊穣子宝信仰の共通性としての性交信仰に通じる所がある。

何しろインドは、古代から人生の三大目的としてカーマ(性愛)、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)が挙げられる国で、三大性典とされる「カーマ・スートラ」、「アナンガ・ランガ」、「ラティラハスヤ」と言った性典を生み出した愛と性技巧の国である。

カーマ・スートラは、凡(およ)そ四世紀から五世紀にかけて成立した古代インドの愛の経典と言われており、夫婦の別離を防ぐ事を目的とした「アナンガ・ランガ」、性愛秘義の「ラティラハスヤ」と並んでインド三大性典のひとつとされ、カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドに於ける人生の三大目的とされて来た。

原作者のヴァーツヤーヤナはカーマ(性愛)の研究の重要性を説き、本書の最後には、情欲を目的としたものではない事を理(こと)わっているが、ヒンドゥー教に於いては「生は性に通じるもの」でタブー視するものでは無いのである。

賀茂氏(かもうじ)とカーマ・スートラ】に続く。

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by mmcjiyodan | 2009-11-13 00:32 | Comments(0)  

大友氏(おおともうじ)・・・大友能直(おおともよしなお)

九州・豊後国(現大分県)を本拠とした大友氏(おおともし)は、元は相模国に在って近藤氏を名乗っていた。

この近藤姓は、所謂藤原末孫の藤姓一族の証であり、藤原北家魚名流・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の末流・近藤氏が大友氏を名乗った事になる。

治承のクーデター・寿永の乱が起こって鎌倉幕府が成立すると、その近藤氏の当主・近藤能成(こんどうよしなり)に、源頼朝の妾を勤めていた相模国足柄上郡大友郷を領する波多野経家(大友四郎経家)の三女・利根局が嫁して来て能直(よしなお)を儲ける。

大友氏初代・大友能直は相模国愛甲郡古庄郷の郷司で在った近藤(古庄)能成の子として生まれ、最初は古庄を名乗るも父・能成(よしなり)が近藤を名乗るに際して同じく能直(よしなお)も近藤を名乗っている。

父・近藤能成が早世した為、近藤能直(初代・大友能直/おおともよしなお)は母・利根局の生家の波多野経家(大友四郎経家)の領地の相模国足柄上郡大友郷を継承して大友能直(おおともよしなお)と名乗る。

大友能直(おおともよしなお)は十七歳で元服、母・利根局が源頼朝の妾で在った縁で頼朝の寵愛を受け、源頼朝の内々の推挙に拠って官位・左近将監に任じられて頼朝の近習を務め、鎌倉有力御家人の一人として平家方が多かった九州の抑えに豊後国(現大分県)の守護職に任じられる。

大友能直は、豊後守護職拝命後も中央の官僚として鎌倉館に常勤し、「富士の巻き狩り」で勃発した曽我兄弟の仇討ち事件の際、近習として頼朝の傍近く本陣に在って弟の曽我五郎時致(そがのごろうときむね)の乱入に頼朝を警護している。

大友能直(おおともよしなお)については、母・利根局が頼朝の妾を勤めていた事から頼朝の落胤説を唱える者も在るが、その事実に信憑性は無く、むしろ頼朝には能直(よしなお)が恋人の連れ子の様な気分だったのではないだろうか?

もし能直の頼朝落胤が事実なら、頼朝没後に我が子を含む頼朝の血族を根絶やしにし、執権家として鎌倉幕府の実権を握った北条正子が、大友氏を無傷で放って置く訳が無いからである。

能直以降の大友氏は代々豊後国大野荘を中心に九州で勢力を伸ばして鎌倉期から南北朝並立期、室町期を乗り越えて戦国期を迎え、戦国時代には大友義鎮(大友宗麟・二十一代当主)が活躍して豊後・筑前・筑後など北九州を支配した戦国大名に成長している。

しかし戦国末期には薩摩の島津氏島津義弘(しまづよしひろ)が勢力を強めて大友氏・大友義鎮(大友宗麟)は劣勢にまわり、豊臣秀吉の九州平定に参陣して義鎮(宗麟)嫡男・大友義統(おおとも よしむね)が豊後一国の安堵を許され一時勢力を回復するも、孫・大友義乗(おおともよしのり)の代に起こった文禄・慶長の役(朝鮮征伐)に出陣するも失態し、大友氏は秀吉に改易されている。

大友宗麟(おおともそうりん)】に続く。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2009-11-12 04:26 | Comments(0)