<   2011年 01月 ( 18 )   > この月の画像一覧

 

古墳時代(こふんじだい)

古墳時代(こふんじだい)とは、日本列島に於いて、「古墳」、特くに前方後円墳の築造が卓越した時代を意味する考古学上の時期区分である。

一般に弥生時代飛鳥時代の間の時期区分を指し、古墳時代(こふんじだい)以前の縄文時代、弥生時代と対比して用いられる場合が多い。

但しこの古墳時代(こふんじだい)、古墳の成立とその衰滅を如何に捉えるかによって古墳時代の時期区分にも微妙な差異が生じ、前方後円墳が造営され始めた年代に関しても現在学者間で議論が大きく揺れ動いている。

大体に於いて、実際の古墳の築造は畿内・西日本では七世紀前半頃、関東では八世紀の初め頃、東北地方では八世紀の末頃と経時的な誤差があり、その何処を採って時期区分とするかは悩ましい所である。

そこで定説合意の結果、古墳時代(こふんじだい)は一般的には今の所三世紀半ば過ぎから七世紀末頃までの約四百年間を指す事が多い。

実はこの時代に、列島側小国家群(倭の国々)大和合を為した大和朝廷(ヤマト王権)が統一政権として確立して行く所から、その各地の豪族(国主・臣王・国造)とそれを認めた大和朝廷(ヤマト王権)の権威の証明だったのではないだろうか?

つまり前方後円墳は、大王(おおきみ/大国主・おおくにぬし)が統一政権の象徴的最高権力者として確立して行く中で、各地の豪族(国主・臣王・国造)に墳墓の造営を許可した形式であると考えられているからである。

日本国家の成立過程を考察すれば、日本列島の西半分に古代国家・大和朝廷(ヤマト王権)が成立し、王権が強化統一されて行った時代と考えられ、古墳時代終末期に列島側小国家群(倭の国々)から大和朝廷(ヤマト王権)国家へと脱皮し始めた時期である。

中でもこの時代の解釈で違和感を感じるのは、日本列島の西半分に分布していた縄文蝦夷族王渡来部族王の乱立した小国家群(倭の国々)の大和合の古代国家成立経緯が、後の古事記日本書紀マジックで欠落している事である。

そしてこの古墳時代(こふんじだい)こそ、誓約(うけい)に拠る民族的和合神話の現実的進行が為された時期だったからこそ、多くの謎が残ったのではないだろうか?

つまり古代国家・大和朝廷(ヤマト王権)成立過程の古墳時代(こふんじだい)に起こり得た争いの歴史を、記紀神話のベールに包んでしまったのである。

尚、古墳時代と大和朝廷(ヤマト王権)時代はほぼ同時期であるが、推古朝以降の古墳時代後期末葉以降から終末期の時期は、広義の飛鳥時代に所属するとされて次代へ繋がっている。

飛鳥京・飛鳥時代】に続く。

この記述は、【日本史時代区分大略・一覧表】に掲載しております。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

関連記事
日本人の祖先は何処から来たのか?】を確認する。
豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実】に飛ぶ。
鵺(ぬえ)・鬼(おに)・土蜘蛛(つちぐも)】に飛ぶ。
用明大王(ようめいおおきみ/天皇)】に飛ぶ。
崇神大王(すじんおおきみ/天皇)と欠史八代(けっしはちだい)】に飛ぶ。
後漢書・倭伝(東夷伝)】へ飛ぶ。
狗奴国(くなくに)】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-29 16:57 | Comments(0)  

広瀬武夫(ひろせたけお)

人間は群れ社会の動物であるから、群れ内の合意や取り上げられる話題に弱く、それ故に何らかの伝播・伝承で繰り返し耳に入る内容や人名には弱い。

特に知っている伝説や名前には、「知っている」と言うだけで既に疑う事を放棄してしまう思考傾向を持っている。

そしてその思考傾向は、この日本列島でも神代の昔から統治に利用されて来た。

明治の大日本帝国海軍軍人である広瀬武夫(ひろせたけお/廣瀬武夫)は、日露戦争でのエピソードを広く取り上げられ、戦前は半ば国策的に「軍神」として神格化されていた。


広瀬武夫(ひろせたけお)は、豊後岡藩士・広瀬友之允(広瀬重武)の次男として豊後国竹田(現在の大分県竹田市)に生まれる。

幼少時に母親と死別し祖母に育てられるも激動の時代で、薩摩西郷軍が起こした西南戦争により豊後・竹田の自宅が焼失し、一家で飛騨高山へ転居した。

武夫(たけお)は、飛騨高山の小学校を卒業後に小学校教師を務めるも千八百八十五年(明治十八年)に十七歳で退職、蘭学者・近藤真琴(こんどうまこと)が文久三年に興した攻玉社を経て海軍兵学校へ入学、講道館で柔道も学んだ。

なお、明治初期に兵部省に出仕した近藤真琴(こんどうまこと)は、築地海軍操練所(のちの海軍兵学校)内に塾を営むなど当初から海軍の要人を兼ねていた為、武夫(たけお)の海軍は攻玉社に入学した時点で既定路線だった。

千八百八十九年(明治二十二年)に二十一歳で海軍兵学校を卒業した武夫(たけお)は海軍に任官、千八百九十四年(明治二十七年)の日清戦争に従軍し、翌千八百九十五年(明治二十八年)には大尉に昇進している。

大尉昇進から二年後の千八百九十七年(明治三十年)、二十九歳の武夫(たけお)はロシアへ留学してロシア語などを学び、若き日本の将校としてロシア貴族社会と交友する一方、旅順港などの軍事施設も見学している。

ロシア駐在中に、社交界で武夫(たけお)はロシア海軍省海事技術委員会・コワリスキー大佐(後に少将)の娘・アリアズナ・ウラジーミロヴナ・コヴァレフスカヤと知り合い、文通などを通じた交友が在った事も知られているが、アリアズナの父親は別の人物で在った事が明らかとなっている。

武夫(たけお)は、同じ千八百九十七年(明治三十年)にロシアへ留学のままロシア駐在武官となり、千九百年(明治三十三年)に少佐昇進、二年後の千九百二年(明治三十五年)に帰国する。

武夫(たけお)の帰国二年後、千九百四年(明治三十七年)日露戦争が勃発し、武夫は旅順港閉塞作戦に従事する。

その二回目の閉塞作戦に於いて閉塞船・福井丸を指揮し、撤退時に行方不明となった部下・杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)を助ける為船内を三度捜索した後、救命ボート上で頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死する。

武夫(たけお)は即日中佐に昇進し、流れ着いた遺体はロシア軍により埋葬された。

広瀬武夫(ひろせたけお)は日本初の「軍神」となり文部省唱歌の題材になり、縁の各地に銅像、出身地の大分県竹田市に軍神・広瀬武夫を祀る広瀬神社が創建された。

尚、交友が在った彼女・アリアズナは、武夫(たけお)の戦死を聞いて「喪に服した」と伝えられている。

幕末~明治維新・人名と事変の周辺記事なら【クリックリスト】がお薦めです。

関連記事
二百三高地(にひゃくさんこうち)】に飛ぶ。
日露戦争(一)・海外権益】に飛ぶ。
日露戦争(二)・日露交渉】に飛ぶ。
日露戦争(三)・開戦】に飛ぶ。
日露戦争 (四)・満州遼陽(りょうよう)会戦】に飛ぶ。
日露戦争(五)・旅順港】に飛ぶ。
日露戦争(六)・日本海海戦】に飛ぶ。

第六巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-28 16:13 | Comments(0)  

香川氏(かがわうじ)と讃岐国(さぬきのくに/香川県)

豊臣秀吉に拠る四国平定戦当時、讃岐国(香川県)の戦国大名・香川氏(かがわうじ)は四国に覇を唱えた長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)に制圧され臣従していた。

為に讃岐国・香川氏(かがわうじ)は秀吉の四国平定戦に長宗我部方として奮戦している。

律令制に於ける讃岐国は、七世紀に現在の香川県の四国本土部分とおそらく塩飽(しわく)諸島を範囲として成立し、江戸時代に小豆島と直島諸島が備前国から譲られた。

平安時代初期には真言密教を興す事になる弘法大師(空海・佐伯真魚/さえきのまお)が讃岐国那珂郡に生まれるなど畿外の地である割に讃岐国は文化が高く、平安末期には瀬戸内海水運を握っていた平家が屋島を根拠地の一つとしていたが、源義経の奇襲に敗れて滅び、平家滅亡の道を歩む事になる。

この讃岐国は、讃岐国造(くにのみやっこ)となった佐伯部民(さえきべみん)の佐伯氏・佐伯直姓一族が支配していたが、平安後期になると治承のクーデター・寿永の乱(俗に言う源平合戦)が起こって鎌倉幕府が成立し、守護地頭制の支配体制の依り讃岐国守護として細川氏が入国する。

鎌倉期には、藤原系秀郷流・後藤基清、藤原系秀郷流・近藤国平などの藤姓武家の他、桓武平氏流・三浦義村の四男・三浦光村ら鎌倉御家人、或いは北条執権の異母弟・北条有時などが収めていた。

室町時代には細川氏が讃岐に根を張る南朝方を白峰合戦で破ると、讃岐阿波を中心として細川一族が四国を管轄した。

千三百六十年代、讃岐国守護・細川氏に従って相模国より讃岐に入部した香川景則が讃岐国西方半分の守護代に任ぜられ天霧山に天霧城(あまぎりじょう)築城する。

つまり讃岐国善通寺の近くには天霧城(あまぎりじょう)が在り、その城は讃岐国・香川氏累代の詰城だった。

香川県の由来となった香川氏の出自は桓武平氏良文流のひとつで相模国を本貫地とする坂東八平氏(ばんどうはちへいし)流・鎌倉氏の一族・鎌倉権五郎景政を祖とする武家・鎌倉氏である。

一族の鎌倉経高(かまくらつねたか)が相模国・香川(現在の神奈川県茅ヶ崎市周辺)の地を支配して以降、香川氏を称したのに始まる武家である。

以後、香川氏は細川京兆家の内衆として細川氏に従い畿内で活躍しつつ西讃岐を知行地として支配し、つまり天霧城(あまぎりじょう)は都に赴任中の香川氏の留守宅だった。

香川氏は、代々讃岐守護・細川家の守護代を勤め、応仁の乱で活躍して細川四天王の一に数えられるようになり、その後、讃岐国内で勢力を広げ戦国時代には讃岐国の西部の大半を支配するほどで在った。

戦国期の香川氏は、毛利元就織田信長、長宗我部元親と周囲の有力勢力に次々と接近して所領の確保に努めたが、豊臣秀吉が行った四国平定の際に改易となった。

佐伯直氏(さえきのあたいうじ)と善通寺(ぜんつうじ)】に戻る。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

関連記事
足利流・京兆細川家・細川勝元(ほそかわかつもと)】

第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-25 00:04 | Comments(0)  

佐野氏(さのうじ)と下野国(しもつけのくに)

姓人口全国百一位・約十八万五千人前後の佐野氏(さのうじ)は、足利氏・足利有綱(俊綱の弟)の子で下野国安蘇郡の佐野庄(現:栃木県佐野市若松町)に土着した佐野基綱より始まる藤原北家秀郷流足利氏の庶流として平安時代末期から江戸時代初期にかけて下野国を中心に栄えた一族である。

治承(じしょう)のクーデターでは、本宗である藤姓足利氏当主・足利忠綱が志田義広と手を組んだのに対し、佐野基綱は早くから源頼朝に味方した為、頼朝に拠って藤姓足利氏の嫡流が滅亡した後も、鎌倉幕府御家人として勢力を維持した。

千二百二十二年(承久三年)に発生した承久の乱での戦功で、佐野氏は一時淡路国に所領を得るが、千二百四十七年(宝治元年)の宝治合戦では三浦氏に与した為、下野国佐野の本領以外は没収され一時没落した。

鎌倉幕府の滅亡後、佐野氏(さのうじ)は足利氏に属し、室町時代を通して鎌倉公方や古河公方に官司として仕え、主として関東の治世に活躍した。

戦国時代になると、古河公方の足利義氏が後北条氏に軟禁されるなど衰退した為、佐野氏も後北条氏の影響下に置かれるようになり、その為、後北条氏と敵対する関東管領・上杉謙信の侵略に度々晒されるようになった。

それでも佐野豊綱・佐野宗綱の代には一定の独立した勢力を保っていたが、宗綱の戦死後、後北条氏から養子(北条氏忠)を迎えその傘下となる。

その為に豊臣秀吉小田原平定(小田原の役)に於いて滅亡の危機を迎えたが、佐野房綱(了伯)が秀吉方に味方し活躍した為に存続を許された。

しかし江戸時代初期の佐野家(所領三万九千石)当主・佐野信吉に不行跡が在った為、江戸幕府を開いた徳川氏により改易処分となり、大名としての佐野氏は終焉を向かえたが子孫は旗本として存続した。

千七百八十四年(天保四年)に江戸城中で時の老中・田沼意次の子息で若年寄・田沼意知に斬りつけて殺害し、反田沼派が台頭するきっかけを作った旗本・佐野政言(さのまさこと)も子孫の一人である。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

関連記事
藤原北家】に飛ぶ。
秀郷流】に飛ぶ。
足利氏】に飛ぶ。

第四巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-23 00:08 | Comments(0)  

歴史の連続性的検証

歴史を語る上で、時代時代にその時代を語る専門家が居る。

その時代の出来事だけ挙げれば、その時代の専門家ほど詳しい方は居ないかも知れない。

しかし、その方々に目立(めだ)つ陥(おちい)り易い穴は、その時代だけの狭い範囲の解釈である。

そしてもっとも困るのは、時系列的に変化する思想や倫理観に思考を向けず現在の思想や倫理観を当時の時代に充て嵌めて解釈する事で、当時常態化していた事にも現代の基準で否定的に成ってしまう事である。


歴史には人間が営々と築いた連続性があり、歴史を研究する場合は連続性的検証を心掛ける事が重要である。

所が、「その時代の専門研究」と称して歴史の中の一ヵ所だけを切り取って研究するとその研究者の思い込みから想わぬ誤解を招いてしまう事がある。

例えば良く知られている事に、キリスト教が繁栄したのは王族、元老院、貴族達の堕落から滅亡したローマ帝国を反面教師とした禁欲主義だったからと伝えられている。

つまりそれ以前に起こった現象が反省を招いて、必然的に次の世を作る連続性が観られるのである。

歴史は時系列的に積み重なるもので、欧米人は最初から禁欲主義者ではなかったにも関わらず、そうした歴史的経緯は語られない事が多い。

だからこそ、歴史はその前段階に何が在ったのかが重要なフアクター(要素、要因、因子)となる事を肝に銘ずるべきである。

そこに注目しないまま前時代の出来事を無視し、その時代に起こった事象だけを解説する専門家は、歴史学の基本を呈して居ない事に成る。

そこで問題なのが、前段階の不都合な歴史を覆い隠そうとわざわざ虚構の歴史を構築する善人振った連中の存在である。

とくに史実に色気が混じったりすると、その事実を綺麗事の嘘に塗り替えてしまう事があたかも正義のごとく思っている輩が多い。

我輩には、歴史に綺麗事の建前を紛れ込ませる事に、「上手くやろう」と言うよこしまな意図がプンプン匂う。

しかし歴史には連続性が在り、以前に起こった事象が次の事象の原因であるから、よこしまな意図の綺麗事には整合性が無い。


歴史的背景なくして次の歴史は生まれない。

そこで我輩は、日本史の一気通貫(いっきつうかん)を著(あらわ)す試みとして本書・皇統と鵺の影人の執筆を始めた。


ついでにここで、一度「異常」の定義について考えて置きたい。

この「異常(いじょう)」と言う判定は、語彙(ごい)から言えば「常なら無い」と言う事であるが、その基準そのものが問題で、こうした基準は歴史と伴に変遷するものである。

「常」の判断は個人の思想信条からその時代の社会合意に到るまでの条件を勘案して下す判定であるから、今貴方が現代に於いて「異常(いじょう)」と下す判定が、過去の歴史シーンでは必ずしも「異常」ではなかった事を留意しなければならない。

つまり「常」と「異常(いじょう)」の判断は、その時代に起こった事象が当時に於いて常態化してしまえば「異常」と言う判定は存在しなくなる。

この物語で良く取り上げるが、「常識」と言う言葉はコモンセンス(common sense)の訳語として明治時代頃に日本に普及し始めた言葉で、実はこの時代以前には常識(じょうしき)と言う概念も用語も存在はしなかった。

維新後の日本政府は、欧米列強国に並ぶ為に欧米化を模索して「常識」と言う言葉と伴に、「建前」の構築が始まった。

それ以前の日本人はもっと「あるがまま」の本音が主流だった。

所が、「常識」と言う言葉に脅かされるように日本人は「建前」ばかりを言うようになった。

「常識」の普及前に使っていた似たような言葉に「世の常」があるが、この場合いの「世の常」の意味は自然発生的な世の中の常態を指す言葉で、言わば真言宗を広めた弘法大師(空海)の教え、「あるがまま」の境地に近い。

実はこの「あるがまま」が、日本が誇る和合精神文化の「共生主義」として実践されていた。

従ってこの「常識」と言う言葉を、明治維新以前の時代に台詞などで使うのは本来は時代考証に触れるのである。

つまり時系列を無視した夫婦別姓問題もそうだが歴史の連続性を考察しないと、時代考証的に的外れな答えを生み出してしまうのである。

関連記事
建前民族国家・日本】に飛ぶ。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-22 00:18 | Comments(0)  

佐伯部民(さえきべみん)

さて、この後この物語飛鳥期に入るが、その前に渡来部族との融合に拠る弥生人の成立過程の証拠として佐伯部民(さえきべみん)を上げる。

佐伯部(さえきべ)は古代日本に於ける大和朝廷(ヤマト王権)の支配制度「品部(しなべ)」の一つである。

渡来人部族の集合体・大和朝廷(ヤマト王権)の拡大過程に於いて、中部地方以東の東日本を侵攻する際に捕虜とされた原住民を佐伯部民(さえきべみん)と言い、大和朝廷(ヤマト王権)側からは「蝦夷/えみし・毛人」と呼ばれていた。

その「蝦夷/えみし・毛人」を、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の五ヶ国に送り近畿地方以西の西日本に移住させて編成したものが、佐伯部(さえきべ)の発祥とされる。

つまり佐伯部(さえきべ)は、畿内に先住していた蝦夷族の部族長・土公(つちぎみ)=猿田毘古神(サルタヒコ・宇治県主/うじあがたのぬし)依りも遅く、阿倍氏・安倍氏(あべうじ)依りも早くに大和朝廷(ヤマト王権)に降伏編入された縄文蝦夷系の部族の一つかも知れない。

佐伯部民(さえきべみん)については、今の北摂地方に住み着いていた縄文系(蝦夷・毛人)の小国家が、一時大和朝廷(ヤマト王権)から猪名県(いなのあがた)として支配体制に編入された事に始まる。

猪名県(いなのあがた)は古墳時代の大和朝廷(ヤマト王権)の時代に現在の吹田市から尼崎市までの北摂地方に置かれた県(アガタ)の一つで、この猪名県(いなのあがた)が日本の歴史文献「日本書紀」に登場するので、猪名県は奈良時代(平城京/へいじょうきょう)に成立したとみられている。

日本書紀には、仁徳天皇の頃に「佐伯部(さえきべ)」と言われる猪名県で形成され、近畿に属した大和朝廷(ヤマト王権)の軍隊が仁徳天皇へ馬を召し上げた」と書かれており、古来から猪名県は大和朝廷(ヤマト王権)と密接な関係に在ったとみられている。

この猪名県を支配していたのが、現在の大阪府箕面市石丸に存在する為那都比古神社の豪族であった「為那都比古(いなつひこ)一族」である。

飛鳥時代に起こった中大兄皇子中臣鎌子らが蘇我氏を滅ぼし(乙巳の変)、それに伴う改革である「大化の改新」以前に現在の北摂を支配していた小国家が成立していたとみられ、「為那都比古(いなつひこ)一族」もその一族だった。

その後、それらの小国家が大和合して大和朝廷(ヤマト王権)となった以後の三世紀から五世紀にかけての古墳時代、県(あがた)が成立したとみられている。

猪名県(いなあがた)を支配した為那都比古(いなつひこ)一族は猪名県成立以後も支配を続け、末裔が「猪名県主」として県主となっていた。

猪名県の県主は一切資料が現存しておらず詳細は謎のままであるが、西日本の瀬戸内海一帯に勢力を持った「佐伯部(さえきべ)」が、縄文系(蝦夷/えみし・毛人)の小国家「為那都比古(いなつひこ)一族」の末裔は間違いが無さそうである。

尚、佐伯部(さえきべ)の部民(べみん)の中には、朝鮮から日本へ渡来して来た「高度な文明を持つ者も居た」とも伝えられている。

そして詳しくは別にご紹介するが、平安期に活躍した真言宗開祖・弘法大師・空海は、俗名を佐伯真魚(さえきのまお)と言う。

讃岐国(現在の香川県)の豪族・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)と物部氏の分流と伝えられる阿刀(あと)氏の娘・玉依御前(たまよりごぜん)の間に誕生した子である。

佐伯直氏(さえきのあたいうじ)と善通寺(ぜんつうじ)】に続く。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

関連記事
古墳時代(こふんじだい)】に飛ぶ。
弘法大師(空海)】に飛ぶ。
高野山・金剛峰寺(こんごうぶじ)】に飛ぶ。
伊豆市・修善寺と独鈷の湯の由来】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-20 18:44 | Comments(0)  

佐伯直氏(さえきのあたいうじ)と善通寺(ぜんつうじ)

佐伯直(さえきのあたい)氏は、古墳時代の中頃(五~六世紀)に播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の各五ヶ国に設定された佐伯部(さえきべ)国造(くにのみやっこ)である。

佐伯直(さえきのあたい)氏には古代豪族「大伴氏」から派生した伴氏とされる説が在る一方、景行大王(けいこうおおきみ/古事記日本書紀で第十二代と記される天皇)の皇子・稲背入彦命(いなせいりびこのみこ)の末裔が臣籍降下して播磨国造(はりまくにのみやっこ)になるが、その流れの分岐した讃岐国造となった佐伯氏が佐伯直姓と成った。

この裔に讃岐国(現在の香川県)の豪族・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)が居り、その直田公(あたいのたぎみ)と物部氏の分流と伝えられる阿刀(あと)氏の娘・玉依御前(たまよりごぜん)との間に弘法大師(空海)は生まれた。

尚、弘法大師(空海)の父・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)は別称が善通(よしみち)で、佐伯は部民(べみん)としての称号であり小領として治めた地名、直(あたい)が姓、田公(たきみ)が名、善通(よしみち)は別称で、直善通(あたいのよしみち)とも申した。

この直善通(あたいのよしみち/佐伯直田公)の名・善通を採って四国真言宗善通寺派総本山・善通寺(香川県善通寺市/令制国・讃岐国)は真言宗開祖・弘法大師(空海)の父である佐伯善通を開基としている。

香川氏(かがわうじ)と讃岐国(さぬきのくに/香川県)】に続く。
佐伯部民(さえきべみん)】に戻る。

関連記事
大王(おおきみ/天皇)】に飛ぶ。
弘法大師(空海)】に飛ぶ。
高野山・金剛峰寺(こんごうぶじ)】に飛ぶ。
伊豆市・修善寺と独鈷の湯の由来】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-18 18:37 | Comments(0)  

常識(じょうしき)と言う奇妙な言語

この国は、天孫降臨伝説に基いて、二千年の永きに渡り血統至上主義(けっとうしじょうしゅぎ)が「感覚的常識(かんかくてきじょうしき)」として通用して来た国である。

そもそも「常識」とは、コモンセンス(common sense)の訳語として明治時代頃に日本に普及し始めた言葉で、良識、社会通念、一般知識と言った意味に使用されている。

「常識」の普及前に使っていた似たような言葉に「世の常」があるが、この場合いの「世の常」の意味は自然発生的な世の中の常態を指す言葉で、言わば真言宗を広めた弘法大師(空海)の教え、「あるがまま」の境地に近い。

この物語の第五章で詳細を記述するが、この「あるがまま」が、日本が誇る和合精神文化の「共生主義」として実践されていた。

とある作家兼政治家が、過って「日本の常識は世界の非常識」と言ったが、基々のコモンセンス(common sense)の意味は、盗んでは成らない、傷付けたり殺してはならない、騙しては成らないなどの基本的良識だったものが日本的に訳語されて、常識(じょうしき)と言う奇妙で不可解な言語が日本中を蔓延(はびこ)っている。

しかしながら、凡(およ)そ人間が考える「常識」と言うものは、粗方(あらかた)その方の思い込みに過ぎない。
その思い込みを振りかざして「常識だ」と強く主張するのだが、常識は時代や環境で変化するものであるから、絶対性はまったく無いのである。

人間には右脳の感性と左脳の理性があり、歴史に付き纏(まと)う事柄にはその双方が入り混ざり合った「虚(きよ)の常識が存在する。

例えば信仰対象に多い「虚(きよ)の常識」で有名なのは「聖徳太子の存在」で、良く「テレビ番組の常識問題」とやらで聖徳太子の事柄を正解不正解としているが、専門分野ではその存在さえ疑われているのに「虚(きよ)の常識」では正解不正解が在るのだ。

しかしそうした「虚(きよ)の常識」は、つまり「時代の常識」と言う概念で考えれば、戦前と戦後と比較するだけで主権者が天皇から国民に移っているのである。

そして貴方が真剣に考えれば、御自分の過ごして来た短い間を振り返るだけでも、随分と「常識」が変わった事に気がつく筈で、近頃流行(はや)りの「マイ常識(独自解釈)」など何の意味も無い。

そんな貴方が、普段「常識だ」と思い込んでいる絶対性が無い事を、「常識だ」と言って間単に処理してしまうから、他人に対して間違った対処をしてしまう事も多いのである。

本来のコモンセンス(common sense)は、人が共生して行く上で必要な「良識的社会通念」であり、例えば排他的帰属意識(民族意識)を振りかざして「マイ常識(独自解釈)」を主張しても本来の意味とは掛け離れては国際的合意は得られない。

また、夫婦別姓問題に於いて歴史的経緯を無視し、現状を振りかざして「夫婦同姓が常識だ」と主張しても、それは「マイ常識(独自解釈)」に過ぎない。

この「常識」とか「普通」と言う言葉は、概して同じ様な用法で用いられる。

表現を変えれば「既成概念」であるが、両者伴に時代や環境に拠って変化するものである。

実は近年では、誰かが「意図的に変える」と言うよりも、社会がその必要性に於いて自然に選択するもので、絶えずその変化を認識しながら生きる者が、「知恵のある生き方」と言える。

詳しくは小論【常識(じょうしき)と言う奇妙な言語】を参照。

心理関連記事
アンカリング効果と一貫性行動理論】に飛ぶ。
ロックイン効果の心理理論】に飛ぶ。
インターネットの脅威と知り過ぎた反乱の時代】に飛ぶ。
ネットワーク外部性の理論】に飛ぶ。
集団同調性(多数派同調)バイアス】に飛ぶ。
没個性の横並び安心社会】に飛ぶ。

第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=【日本史検索データ
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-18 01:16 | Comments(0)  

春画・浮世絵(しゅんが・うきよえ)

明治維新前の日本が世界的に見て「性におおらかだった」と言う証拠とされるのが、日本を代表する絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)等の他大勢が描いた大英博物館所蔵の男女交合の春画である。

同博物館の所蔵は二百五十点を上回り、ボストン美術館秘蔵の歌麿の浮世絵は四百点に昇る。

春画とは、特に異性間・同性間の性交場面を描いた浮世絵の一種で、笑い絵や枕絵、枕草紙、秘画、ワ印とも呼ばれ江戸時代に流行した性風俗である。

喜多川歌麿、葛飾北斎、鳥居清長、鈴木春信、鳥高斎栄昌、磯田湖龍斎、勝川春潮、歌川国麻呂、歌川国虎、北尾重政、渓斎英泉などなどのそれらの春画作品は、余りに屈託なく奔放な性を享受していた日本の性文化を表す資料としても一級品である。

春画の内容に、媚薬や快楽道具、複数プレィなどの行為も自由に伸び伸びと描かれている。

野合戦(のがっせん/青姦)は、北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)歌垣(うたがき)暗闇祭りに代表されるように日本の性文化だった。

江戸期を代表する絵師の春画の題材にも、板塀越の男女合戦図はおろか人目も憚(はばか)らない野合戦(のがっせん/青姦)の大胆な性交図を作品としている。

日本人の奔放な性を描いた浮世絵師の、その名匠達の春画の芸術性は欧米では性の秘儀を描写したアートとして高く評価され各地で展覧会が開催されているが、肝心の日本ではそれらの春画作品は際物扱いでタブー視され、臭い物には蓋状態である。

つまり不都合な事実は「日本古来の文化とは認めたくない」のであろうが世界的に美術品としてコレクションされている現状では、本来人間は思想文化に於いて自由であり当時の日本に社会合意が在った物であれば、無理に現在の思想文化に合わせて隠す方が姑息な気がする。

不都合な現実は、伏せた方が「民族の誇りに好影響が期待できる」と言う論議があるが、果たして嘘で固めた「民族の誇り」に正統なる意味が存在するのであろうか?

我輩が遭遇したのは、まったく反証無しの「それでも私は、こう信じる」と言う矛盾に満ちた感情論だけで在った。

詳しくは【私の愛した日本の性文化】を参照。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

おおらかな性・関連記事
共生村社会(きょうせいむらしゃかい)】に飛ぶ。
性欲本能と人類共生】に飛ぶ。
擬似生殖行為】に飛ぶ。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)】に飛ぶ。
フェール・エチル・アミン】に飛ぶ。
天の岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)】に飛ぶ。
誓約(うけい)】に飛ぶ。
歌垣(うたがき)】に飛ぶ。
北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)】に飛ぶ。
妙見信仰】に飛ぶ。
人身御供(ひとみごくう)・掛ける】に飛ぶ。
暗闇祭り(くらやみまつり)】に飛ぶ。
夜這(よば)い】に飛ぶ。
豊年踊り(ほうねんおどり)】に飛ぶ。
寝屋子宿(ねやこやど)・寝宿(ねやど)】に飛ぶ。
寝屋子親・寝宿(ねやど)親 】に飛ぶ。
御伽(おとぎ)】に飛ぶ。
梵語(ぼんご/サンスクリット語)】に飛ぶ。
ダキニ天(荼枳尼天)】に飛ぶ。
稲荷神社(いなりじんじゃ・おきつねさん)】に続く。
おかみさん(御上さん)文化】に飛ぶ。
弁財天と観世音菩薩と女神・サラスヴァティー】に飛ぶ。
シヴァ神(破壊神)】に飛ぶ。
ダキニ天(荼枳尼天)】に飛ぶ。
カーマ・スートラ(インド三大性典のひとつ)】に飛ぶ。
真言密教立川流】に飛ぶ。
穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)】に飛ぶ。
閏刑(じゅんけい)としての奴刑(しゃつけい)】に飛ぶ。
江戸町方人別帳(えどまちかたにんべつちょう)】に飛ぶ。
巫女(みこ)と遊女(ゆうじょ)】に飛ぶ。
遊郭(ゆうかく)と遊女(ゆうじょ)】に飛ぶ。
吉原遊廓(よしわらゆうかく)と廓内女郎折檻(くるわうちじょろうせっかん)】に飛ぶ。
女衒(ぜげん)】に飛ぶ。
湯女(ゆな)】に飛ぶ。
市中引き廻し(しちゅうひきまわし)】に飛ぶ。
八百屋お七と天和の大火(てんなのたいか)】に飛ぶ。
両班(ヤンバン・特権貴族階級)】に飛ぶ。
お召し上げ・お下げ渡し】に飛ぶ。
陰間(かげま)と野郎歌舞伎】に飛ぶ。
閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)】に飛ぶ。
張り型・張形(はりかた、はりがた)】に飛ぶ。
江戸城大奥女中(えどじょうおおおくじょちゅう)】に飛ぶ。
肥後ずいき(随喜・芋茎)・熊本細川藩】に飛ぶ。
襖障子(ふすましょうじ)とセクハラ】に飛ぶ。
水揚げ・水揚げ親】に飛ぶ。
民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い】に飛ぶ。
ねんごろ/(懇ん凝ろ)】に飛ぶ。
東伊豆町・稲取と奇祭・「どんつく祭」】に飛ぶ。
ええじゃないか騒動】に飛ぶ。
タウンゼント・ハリスと唐人お吉(斉藤きち)】に飛ぶ。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-15 23:58 | Comments(0)  

博多祇園山笠・櫛田神社(くしだじんじゃ)

祇園祭りは、北は青森から南は九州・熊本まで広範囲に地祇系神(祇園神社系神)として執り行われている祭礼で、京都の八坂神社(祇園総社)や博多・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(すさのうのみこと/須佐王)の博多祇園山笠は特に盛大で知られている。

博多には、代々博多に住む者なら当たり前に男衆が燃える祭り「博多祇園山笠」がある。

博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社・櫛田神社(くしだじんじゃ)に奉納する山笠は、勇壮を極め、全国から見物客が訪れる。

櫛田神社(くしだじんじゃ)は、博多の総鎮守で旧社格は県社(あがたしゃ)であるが、「延喜式神名帳」への記載はない。

この櫛田神社(くしだじんじゃ)、平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に御託宣により鎮祭され、この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられている。

七百六十余年の伝統を誇り福博の街に夏を告げる博多祇園山笠は、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事であり、国の重要無形民俗文化財でもある。

奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名で、七月一日の飾り山公開に始まり、十五日のクライマックス「追い山笠」まで、約二週間、博多は祭りムードに包まれる。

追い山笠の当日は九十万人の観客の見守る中、約五キロの工程を幼い頃から流れ(山笠を出す町内)のひとつに入って祇園山笠を親しんで来た締め込み姿(フンドシ姿)の男衆が山笠もろとも勇壮で豪快に疾走する。

舁(か)き手の出立(いでた)ちも、初めは締込みだけの裸に近いものだったが、明治期に西洋的文明開化が始まると、政府はお尻丸出しの山笠が野蛮に映ったのか、あれこれと理由をつけて禁止しようとする。

これに対抗して知恵を絞り、「お尻丸出しが悪いなら法被を着れば良い」と、全員が水法被(みずはっぴ)を着用して政府のお達しを切り抜けた。

印半纏(しるしばんてん)を法被(はっぴ)と呼び、博多祇園山笠の水法被(みずはっぴ)は、その祇園山笠の祭りの期間中は正装と見なされる。

締め込み姿の舁き手の男衆に威勢よく勢い水がかけられ、重量一トンもの舁き山(かきやま)をオイサッ!オイサッ!と勇ましい掛け声と供に舁き、後方から勢いよく山を押して博多の街を走りぬけ多の街は熱狂のるつぼと化す。

この「追い山笠」の締め込み姿(フンドシ姿)の男衆の尻はそれを見る女衆にとってたまらない色気だが、参加する者も見物する者も祭り好きも踊り好きも、原点は興奮による脳内麻薬・ベーターエンドロフィンのメカニズムが働いているからである。

また、須佐氏(すさうじ)=稲田氏(いなだうじ)説を採ると、博多祇園山笠・櫛田神社(くしだじんじゃ)が、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説に拠る櫛名田比売(クシナダヒメ)の別名・奇稲田姫(クシ・イナダヒメ)が見事に符合して来るのである。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

関連記事
祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)】に飛ぶ。
八坂神社(祇園神社)】に飛ぶ。
牛頭天王(ゴヅテンノウ)=祇園神・須佐王(スサノオ)】に飛ぶ。
須佐氏(すさうじ)=稲田氏(いなだうじ)
仮説・宇佐岐(うさぎ)氏=スサノウ説】に飛ぶ。
須佐王(スサノオ)】に飛ぶ。
北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)】に飛ぶ。
地祇系(ちぎけい)神】に飛ぶ。
氏神(うじがみ・氏上)】に飛ぶ。
鳥居(とりい)】に飛ぶ。
歴代朝鮮王朝略史】に飛ぶ。
祭りの「ワッショイ」の掛け声はどこから来た?】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)

未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2011-01-13 17:08 | Comments(0)