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延宝・房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)

千六百七十七年十一月四日(延宝五年)に日本の千葉県の房総半島沖、太平洋の地下を震源として発生した地震を「延宝地震」とも延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)とも呼ばれる。

地震の規模はマグニチュード八と推定され、揺れは顕著でなかったが、千葉県、茨城県、福島県の沿岸部に大津波が襲来し被害は流潰家千八百九十三軒、死者数五百六十九人と伝えられている。

この十一月の延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)から六ヶ月半ほど前の四月半ば、三陸沖地震(さんりくおきじしん)の範疇に在ると想われる「延宝十勝沖(陸中)地震」が発生している。

「延宝十勝沖(陸中)地震」は、現在の青森県東方沖(三陸沖北部)で発生していて、マグニチュード七・五程度と考えられている。

延宝(えんぽう)は日本の元号の一つで、この時代の天皇は霊元天皇、江戸幕府将軍は第四代・徳川家綱(いえつな)、第五代・徳川綱吉(つなよし)の代だった。

延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)に始まり、一連の天変地異である元禄大地震(げんろくおおじしん)宝永大地震・宝永大噴火(ほうえいだいふんか)に見舞われた第五代・綱吉(つなよし)は、すっかり信心深く成って「生類あわれみの令」の悪名を残す。

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by mmcjiyodan | 2012-01-30 13:40 | Comments(0)  

元慶地震(がんぎょうじしん)

八百七十八年(元慶二年十一月一日)には関東南部でマグニチュード七・四以上の直下型大地震・元慶地震が発生、奥州鎮撫の拠点である相模国・武蔵国が混乱する。

日本の元号の一つ「元慶(がんぎょう、げんけい)」は、清和天皇(せいわてんのう/第五十六代)の第一皇子・陽成天皇(ようぜいてんのう/第五十七代)と、続く光孝天皇(こうこうてんのう/第五十八代)の御世である。

元号としては貞観(じょうがん)の後、仁和(にんわ)の前にあたり、八百七十七年から八百八十五年までの八年間を指す。

この貞観(じょうがん)から仁和(にんわ)にかけての時代は、この元慶(がんぎょう)も含めて地殻変動が活発な時期だった。

この元慶地震(がんぎょうじしん)、伊勢原台地の西南端、平塚市岡崎丸島の平野で行われたボーリングにより明らかにされた「伊勢原断層の活動ではないか」と考えられている。

元慶地震の混乱に乗じて出羽国の夷俘(えみふ/エミシの俘囚)が反乱し、秋田城等を焼く元慶の乱(がんぎょうのらん)が勃発、鎮圧に五~六ヵ月を要している。

この出羽国の夷俘(えみふ/エミシの俘囚)の反乱、立場の違いで朝廷側に言わせると反乱だが、蝦夷の俘囚側にすれば部族抵抗の聖戦である。

つまり七百八十年代以降に桓武天皇の命で坂上田村麻呂が制圧した東北の蝦夷も、この頃はまだ隙あらば抵抗している最中だった。

この年(元慶二年)、朝廷の統治組織として地方官任命交代をスムースにさせる為の令外官・押領使が新設されている。

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by mmcjiyodan | 2012-01-29 09:54 | Comments(0)  

元禄大地震(げんろくおおじしん)・大津波

元禄大地震(げんろくおおじしん)は、五代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)が在任した千七百三年(元禄十六年十二月三十一日)午前二時頃、関東地方を襲ったマグニチュードは八・一と推定されている大地震である。

震源は千葉県・房総半島南端の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。

この元禄大地震(げんろくおおじしん)は、千九百二十三年(大正十二年)に起きた大正関東地震(関東大震災)と同タイプの海溝型地震で、その地震以前の関東地震に該当すると考えられている。

但し、この元禄大地震(げんろくおおじしん)の地殻変動は大正関東地震(関東大震災)よりも大きいもので在った。

大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は「沖合の小島から地続きの岬に変貌した」と言う。

相模灘沿いや房総半島南部で被害が大きく、相模国(神奈川県)の小田原城下では地震後に大火が発生し、小田原城の天守も焼失する壊滅的被害を及ぼした。

また、東海道の諸宿場でもこの元禄大地震(げんろくおおじしん)で家屋が多数倒壊した。

上総国を始め、関東全体で十二か所から出火、倒壊家屋約八千戸、死者約二千三百名、被災者約三万七千人と推定される。

この地震で三浦半島突端が約二メートル弱、房総半島突端が約三・五メートル隆起した。

また、震源地から離れた甲斐国東部の郡内地方や甲府城下町、信濃国松代でも被害が記録され、京都でも有感であった。

江戸市中よりも相模湾沿岸で家屋の倒壊が著しく、震度七と推定される地域も相模湾岸に集中した。

江戸での被害は比較的軽微で、江戸城諸門や番所、各藩の藩邸や長屋、町屋などでは建物倒壊による被害が出た。

平塚と品川で液状化現象が起こり、「朝起きたら一面泥水が溜っていた」などの記録がある。

この時も津波が発生し、房総半島から東京湾に掛けて巨大津波が襲い、「房総半島で七千人、相模湾から東京湾に掛けて一万五千人の津波犠牲者が出た」と言う甚大な被害を蒙った事が、多数の古文書や石碑等で今に伝えている。

江戸時代中期の元禄から宝永年間は、巨大地震が頻発した時期である。

延宝・房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)に始まり、二十六年後の元禄大地震(げんろくおおじしん)、その四年後の千七百七年(宝永四年)にはマグニチュードは八・四~八・七と推定される宝永地震と富士山の宝永大噴火も発生している。

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by mmcjiyodan | 2012-01-24 01:19 | Comments(0)  

関東大震災(かんとうだいしんさい)

日清日露の戦勝に拠る好景気に沸いた大正ロマン・大正デモクラシー(民本主義)の最中、日本の首都・東京府東京市とその周辺各地を大正関東地震・関東大震災(かんとうだいしんさい)が見舞う。

関東大震災(かんとうだいしんさい)とは、千九百二十三年(大正十二年)九月一日の正午寸前(一分三十秒ほど前)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード七・九の大正関東地震による地震災害を言う。

震源域の真上に位置していた「横浜市の震度は七と推定され、希に見る強震だった」と言う。

この時折悪しく、内閣総理大臣・加藤友三郎が、震災発生八日前の八月二十四日に急逝していた為、地震発生時及びその後は内田康哉が内閣総理大臣臨時代理として職務を代行した。

大正関東地震は、神奈川県を中心に東京府東京市・千葉県・茨城県から静岡県東部までの一府四県の内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。

この大震災については資料の洗い直しが為され、二千六年(平成十八年)版から修正され、現在では数字を丸めて「百九十万人が被災、死者・行方不明十万五千余人」としている。

死者・行方不明者については、地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、多くは強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。

地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なった事から百三十六件の火災が発生し、大学や研究所で「化学薬品棚の倒壊による発火も見られた」とされる。

また、この大震災の建物被害に於いては全壊が十万九千余棟、全焼が二十一万万二千余棟である。

津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ十メートル以上の津波が記録された。

尚、この震災の混乱の中、「朝鮮人が暴徒となって放火している」とデマが広がり、その流言の数々から大衆の多くが「暴徒と化した朝鮮人」を恐れて自警団との衝突も発生し、朝鮮人や中国人なども含めた死者が出た。

震災の復興計画は、山本権兵衛首相を総裁とした「帝都復興審議会」を創設する事で大きな復興計画が動き始める。

第二次山本内閣の内務大臣に就任した後藤新平(ごとうしんぺい)は帝都復興院を設立し、大阪市の港湾計画や都市計画に従事した直木倫太郎を技監に据えて、自らは総裁を兼務した。

江戸時代以来の東京の街の大改革を行い、道路拡張や区画整理などインフラ整備も大きく進み、この震災後に日本で初めてラジオ放送が開始される。

その一方で、第一次世界大戦終結後の不況下に在った日本経済にとっては、震災手形問題や復興資材の輸入超過問題などが生じて居た。

結果、経済の閉塞感がいっそう深刻化し、後の昭和恐慌に至る長い景気低迷期に入って行く。

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by mmcjiyodan | 2012-01-23 02:24 | Comments(0)  

後藤新平(ごとうしんぺい)

関東大震災(かんとうだいしんさい))から首都東京を復興させた功績者が「後藤新平(ごとうしんぺい)だ」と言われている。

新平(しんぺい)の生家である後藤家は、陸奥仙台藩(水沢藩)・留守氏(るすうじ)の家臣である。

陸奥仙台藩(水沢藩)・留守氏(るすうじ)は源頼朝(みなもとよりとも)の奥州征伐後、陸奥国の留守職を務めた伊沢家景の末裔、伊沢家景の子・家元以降は留守氏(るすうじ)を称していたが、伊達姓を与えられ一門の家格に列し、同氏は水沢伊達氏と呼ばれる。

後藤新平(ごとうしんぺい)は、その水沢・留守氏(るすうじ)家臣・後藤実崇(ごとうさねたか)の長男として陸奥国胆沢郡塩釜村(水沢市を経て、現在の奥州市)に生まれている。

江戸時代後期の蘭学者・高野長英は新平(しんぺい)の大叔父に当たり、甥に昭和に活躍した政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和子、哲学者の鶴見俊輔、演出家の佐野碩を持つ。

新平(しんぺい)は、維新後に設置された胆沢県(陸前国北部・陸中国南部)大参事であった安場保和(やすばやすかず)に認められ、後の海軍大将・斎藤実とともに十三歳で書生として引き立てられ県庁に勤務する。

その後、新平(しんぺい)は十五歳で上京し、東京太政官少史・荘村省三(しょうむら しょうぞう)の下で門番兼雑用役になる。

安場との縁はその後も続き、安場が岩倉使節団に参加して帰国した直後に福島県令となると新平(しんぺい)は安場を頼り、十六歳で福島洋学校に入った。

千八百七十四年(明治十四年)、恩師・安場や岡田(阿川)光裕の勧めも在って、新平(しんぺい)は十七歳で須賀川医学校に気の進まないまま入学する。

同校を成績優秀で卒業した新平(しんぺい)には、山形県鶴岡の病院勤務が決まっていたが、安場保和(やすばやすかず)が愛知県令を務める事になり、新平(しんぺい)はそれに付いて行く事にして愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)で医者となる。

愛知県医学校で医者と成った新平(しんぺい)はめざましく昇進し、千八百八十一年(明治十四年)二十四歳で学校長兼病院長となり、病院に関わる事務に当たっている。

この愛知県医学校長時代に、新平(しんぺい)は岐阜で遊説中に暴漢に刺され負傷した板垣退助(いたがきたいすけ)を診察し、この時期に安場の次女・和子を妻にもらっている。

千八百八十二年(明治十五年)二月、二十五歳に成った新平(しんぺい)は愛知県医学校での実績を認められて内務省衛生局に入り、医者としてよりも官僚として病院・衛生に関する行政に従事する事と成る。

千八百九十年(明治二十三年)三十三歳に成った新平(しんぺい)は、ドイツに留学するが、西洋文明の優れた部分を強く認める一方で「同時にコンプレックスを抱た」と言う。

帰国後、留学中の研究の成果を認められて新平(しんぺい)は医学博士号を与えられ、千八百九十二年(明治二十五年)には長与専斎の推薦で三十五歳で内務省衛生局長に就任した。

しかし翌千八百九十三年(明治二十六年)、新平(しんぺい)は相馬事件に巻き込まれて五ヶ月間に渡って収監され最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する破目となった。

相馬事件の二年後の千八百九十五年(明治二十八年)、三十八歳の新平(しんぺい)は友人の推薦で衛生局に復帰、日清戦争の帰還兵に対する検疫業務に広島・宇品港似島で臨時陸軍検疫部事務長官として従事する。

その陸軍検疫部事務長官としての行政手腕の巧みさから、この件の上司だった陸軍次官兼軍務局長の児玉源太郎(こだまげんたろう)の目に止まる。

その児玉が、千八百九十八年(明治三十一年)に台湾総督となると後藤新平(ごとうしんぺい)を抜擢し、自らの女房役である民政局長とした。

台湾総督府民政長官と成った新平(しんぺい)は、徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革とインフラ建設を強引に進めた。

千九百六年(明治三十九年)、インフラ建設などの手腕を買われた新平(しんぺい)は台湾から満州に転身、南満洲鉄道初代総裁に就任し、大連を拠点に満洲経営に活躍した。

新平(しんぺい)は中村是公や岡松参太郎ら台湾時代の人材を多く起用し、清朝の官僚の中で満州に大きな関心を持っていた袁世凱を中心とする北洋軍閥と交渉し、日清露三国が協調して互いに利益を得る方法を考えていた。

千九百十九年(大正八年)、後藤新平(ごとうしんぺい)は桂太郎(かつらたろう)が創立した元・台湾協会学校の「拓殖大学」の第三代学長に就任する。

拓殖大学との関係は台湾総督府民政長官時代、設立間もない「台湾協会学校」の良き理解者として度々入学式や卒業式で講演をし物心両面に於いて支援していた。

学長と成った新平(しんぺい)は、拓殖大学を大学令に基づく旧制大学に昇格を成し遂げるなど、亡くなる千九百二十九年(昭和四年)までの十年間で大学の礎を築いた。

その前後から第二次桂内閣で逓信大臣・初代内閣鉄道院総裁、寺内内閣で内務大臣・外務大臣、しばし国政から離れて東京市長を歴任する。

拓殖大学長兼務のまま、新平(しんぺい)は関東大震災(かんとうだいしんさい)直後の第二次山本内閣で、再び内務大臣等に就任した。

千九百二十三年(大正十二年)九月一日の正午寸前(一分三十秒ほど前)、関東大震災(かんとうだいしんさい)が発生、日本の首都・東京府東京市とその周辺各地に甚大な被害を蒙る。

後藤新平(ごとうしんぺい)は、関東大震災の直後に組閣された第二次山本内閣では、内務大臣兼帝都復興院総裁として帝都の震災復興計画を立案し成果を為した。

千九百二十九年(昭和四年)、遊説で岡山に向かう途中列車内で新平(しんぺい)は脳溢血で倒れ、京都の病院で4月13日死去。

三島通陽に新平(しんぺい)が倒れる日に残した言葉は「良く聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。良く覚えて置け」で在った。

新平(しんぺい)は、しばしば総理大臣候補として名前が取り沙汰されながら結局就任できなかった。

その原因として、第三次桂内閣の逓信大臣当時の第一次憲政擁護運動で前首相にして政友会総裁の西園寺公望(さいおんじきんもち)の失脚を画策し、最後の元老となった西園寺に嫌われていた事が大きいと徳富蘇峰が語っている。

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by mmcjiyodan | 2012-01-23 02:22 | Comments(0)  

村落に於ける「分かち合いの精神」

人類は非力な生き物であるから、その非力を補う為に「群れ」で行動した。

群れに帰属する事が生きて行く手段であるから、その帰属意識(きぞくいしき)は本能として刷り込まれ、群れ(集団)で生活する事で脳が安心感まで得るように成った。

群れ社会に於ける基本的な合意は「シェア(分かち合い)の精神」である。

村落共生社会では食べ物や労力、性欲処理まで「シェア(分かち合い)の精神」を浸透させる事でその生活の場を存続させて来た。

「村落共生社会」とは「群れの仲間」を確認する所だから、性交相手をシェア(分配)する事に拠って、群れ社会に於ける「共生の絆」が強まる。

夜這い(よばい)」や「寝宿(ねやど)」・「若衆宿(わかしゅうやど)」・「娘衆宿(むすめしゅうやど)」などの制度は、実は村落存続の為に性交相手をシェア(分配)する為の装置だった。

この性交相手をシェア(分配)する為の装置が機能して「一村身内気分」の「共生の絆」が村落に形成され、食べ物や労力のシェア(分配)に対する根拠に成っていた。

この事は、村落部の民が渡来氏族に拠って隷属された縄文人(蝦夷族)の群れ社会の習慣を維持して村落経営をしていた証(あかし)である。

所が、この「分かち合い」が食べ物や労力であれば意外と多く「分かち合」がなされるのに、それが後の世現金に成ってしまうと、その拠出比率が小さくなり独占意志が強く成って行く。

どうやら現金に対する「分かち合いの精神」の人間心理は別らしく、つまり出す事は出すが「現金の分かち合い」はチョットだけの気分らしい。

欧米の個人主義の影響を受け、性交相手をシェア(分配)する「共生の絆」が消滅した現在、日本の「村落共生社会」は山間農村部や漁村部を残して徐々に消えつつある。

共生村社会(きょうせいむらしゃかい)】に戻る。

詳しくは、小論・【私の愛した日本の性文化】と、小論・【地球を救う「共生主義」と言うイデオロギー】を参照して下さい。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2012-01-21 13:05 | Comments(0)  

天正大地震(てんしょうおおじしん)

天正大地震(てんしょうおおじしん)は豊臣秀吉が関白に任じられた西暦千五百八十五年の一月十八日(和暦天正十三年十一月二十九日)に発生した大地震である。

この地震は、別称を天正地震、白山地震とも呼ばれ、震源地は飛騨国(現在の岐阜県北西部)、マグニチュードは八前後と推定されている。

震源域も未確定である為に現存資料の精度は高くないが下記のごとく被害は相当に甚大広域に渡る為、史上特筆するべき地異現象である。

琵琶湖底にある集落遺跡「下坂浜千軒遺跡」(現・滋賀県長浜市)は、天正大地震(てんしょうおおじしん)に拠る液状化現象により「集落が水没した跡」と解明された。

越中国(えっちゅうのくに)では天正大地震(てんしょうおおじしん)で木舟城(富山県高岡市福岡町木舟)が倒壊、前田利家の弟・木舟城主・前田秀継夫妻など多数が死亡した。

また、戦国時代に飛騨国・白川郷を支配した帰雲城主・内ヶ島氏一族が居たが帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没、城主・内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)とその一族は全員死亡し、内ヶ島氏は滅亡した。

その、帰雲城周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出す事となった。

飛騨国・郡上では、奥明方(現・郡上市明宝)の水沢上の金山、また集落(当時六~七十軒)が一瞬で崩壊し、「辺り一面の大池と成った」と伝えられている。

その他、美濃国では大垣城が全壊焼失、近江国では長浜城が全壊し城主・山内一豊の息女与祢姫、家老の乾和信夫妻が死亡するなど、近畿、東海、北陸にかけての各地で甚大な被害が出た。

山城国 ・京都(首都)ではこの大地震で東寺の講堂や灌頂院が破損、三十三間堂では仏像六百体が倒れた。

尾張国では、五条川河川改修に伴う千九百八十八年(昭和六十三年)の清洲城下の発掘調査で、天正大地震による可能性の高い液状化の痕跡が発見されている。

千五百八十六年(天正十四年)に織田信長の次男・織田信雄に拠って行われた尾張国・清洲城の大改修は、「この地震が契機だった可能性が高い」とされた。

キリスト教宣教師(ポルトガル)・ルイスフロイスの手記「フロイス日本史」に、若狭湾と思われる場所で山ほどの津波に襲われた記録があり、日本海に天正大地震(てんしょうおおじしん)の震源域が伸びていた可能性もある。

尚、若狭湾には活断層が密集していて、千六百六十二年(寛文二年/江戸初期)には三方・花折断層帯で、近畿地方北部一帯に大きな被害を与えた内陸地震「近江・若狭地震」が発生している。

近年、天正大地震(てんしょうおおじしん)の震源域である琵琶湖湖底の地熱が上がり、熱水が湧き上がっている。

これはすこぶる不気味な事である。

天正大地震(てんしょうおおじしん)に関連して、「兼見卿記(公家で京都吉田社の神主)」には、丹後、若狭、越前など原発銀座と呼ばれる若狭湾周辺に大津波があり、家が流され多くの死者を出した事が記されて、原発の安全性に対する不安が広がっている。

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by mmcjiyodan | 2012-01-17 13:56 | Comments(0)  

安政大地震(あんせいおおじしん)

幕末の機運が高まった安政年間(江戸時代後期)、世情不安をもたらす「天変地異」が立て続けに起こる。

「滅多にない事」と「ない事」は明らかに違う。

例えば、観測単位が百年~二百年間に遡ると大地震も大津波も結構頻繁に起こっていて、安易に想定外とはとても言いがたい。

現に徳川幕府二百六十年間に於いて、第五代・徳川綱吉(とくがわつなよし)の「元禄大地震(げんろくおおじしん)宝永大地震」、江戸末期の第十三代・徳川家定(とくがわいえさだ)の代の「安政大地震」の二度も起こっている。

にも関わらず、短い自分の人生経験だけを頼りに「今まで大した事無かった」と津波の規模を根拠なしに予測したり、「今まで事故が無かったから安全だ」は、まさしく間違ったアンカリング効果である。

千八百五十四年(嘉永七年/安政元年)、東海道地区で安政東海地震(マグニチュード八・四の巨大地震)、その僅か三十二時間後には安政南海地震(これもマグニチュード八・四の巨大地震)、その二日後には豊予海峡(大分と愛媛の間)地震(マグニチュード七・四の大地震)と立て続けに三連動で発生して居る。

その翌年の千八百五十五年、今度は江戸府内および関八州一帯に被害をもたらした安政の関東大地震(マグニチュード六・九)が起きている。

この大地震を安政三大地震と言い、関東地震(関東)、東海(静岡県)、東南海(中京~南紀)、南海(南紀~四国)と、巨大地震がしばしば連動する。

この巨大地震、「同時期または二~三年後に発生する」と言われ、「約百年~百五十年の周期で活動期に入る」とされている。

安政三大地震は、関東・東海・四国・九州の各地に甚大な被害をもたらせる。

まだまだ文明開化以前の事で、日本に「地殻変動」などと言う地勢学の概念などまだ無いから、「神様がお怒りに成っている」と、民心は素朴に不吉がって、騒然としていた。

地震を科学的に理解する時代ではない江戸末期、天変地異は民心を不安ならしめ、幕府の権威失墜に大きな力に成って作用しても不思議ではない。

ちょうど、黒船で米国(アメリカ)のぺりー艦隊が来航した時期(千八百五十三年~四年の二回)と、この安政三大地震が重なるなど、幕府にとっては泣きっ面に蜂である。

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by mmcjiyodan | 2012-01-17 13:54 | Comments(0)  

冠位十二階と十七条の憲法制定の謎

冠位十二階」と「十七条の憲法」は、国家として中央政権化を進める為に「聖徳太子に拠って制定された」と定説化されていた。

日本書紀の記述を事実とすると、官僚制の基礎となる「冠位十二階」は太子二十九歳の六百三年、国を治める為の法律「十七条憲法」は太子三十歳の六百四年、に制定された事に成っている。

但し近年に成って聖徳太子の存在自身さえも疑問視される事態に、従来から定説とされている「冠位十二階」と「十七条の憲法」の制定事実さえも、その事実関係の見直しに入る学者も居る。

「冠位十二階」と「十七条の憲法」は、永年定説とされて義務教育の場で学習されて来た日本史だけにシビアな問題ではある。

疑問視される聖徳太子の存在と切り離した説として、「冠位十二階」と「十七条の憲法」の制定は、実は当時絶大な権力を挙握していた大臣・蘇我馬子(そがのうまこ)の手に拠るものではないかとの説も出始めた。


「冠位十二階」は、朝廷に仕える豪族・臣王達に十二階の位を定めて位に応じて色分けした冠を与えたもので、冠をさずける基準は一代限りとした個人の才能や功績とした。

色分けは、紫を頂点に青・赤・黄・白・黒と続き、さらに色の濃淡で身分の差がひと目で判るようにし、これにより門閥(家柄による結びつき)をなくした人材の登用をめざしました。

しかしこの「冠位十二階」は畿内や周辺地域の豪族に限定され、しかも冠位の授与から蘇我氏が除かれていた為、「蘇我氏は冠位を授ける立場に在ったのではないか?」との見方も根強い。

「十七条の憲法」に関しては、大王(おおきみ)を中心とする集権的な国家体制を作り出そうとする基本理念を表示した教訓的な性質のものだった。

いずれにしてもこの「冠位十二階」と「十七条の憲法」は、特に当時の中華大陸の帝国・「隋」との付き合で国家と認めさせる事に腐心して、国家の体裁を内外に示した始めての制度と言えるものだった。

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by mmcjiyodan | 2012-01-11 13:20 | Comments(0)  

帝釈天(たいしゃくてん)と阿修羅(あしゅら)

仏教を現代風聖人解釈で考察すると、弘法大師・空海が日本に伝えた密教の本質を理解できない。

本来密教には、エロチックな色彩に彩られた神々が存在するのでご紹介する。

例えば、帝釈天(たいしゃくてん)は力の神、阿修羅(あしゅら、あすら)は正義の神だが、何度戦っても阿修羅(正義)は帝釈天(力)に勝てず、未だ天上で戦っている。

その戦いの始まりだが、そもそも阿修羅の一族は密教の守護神である天部の一・帝釈天が主である_�利天(とうりてん、三十三天とも言う)に住んでいた。

また阿修羅には舎脂(シャチー)と言う娘が居り、「いずれ帝釈天に嫁がせたい」と思っていたのだが、その帝釈天が舎脂(シャチー)を力ずく(誘拐して凌辱した)で奪ってしまう。

しかも力ずくで奪(うば/強姦)われた舎脂(シャチー)は、そのまま帝釈天に惚れて親の許しも無く結婚してしまう。

その帝釈天(たいしゃくてん)の無法を怒った正義の神・阿修羅が、帝釈天に度々戦いを挑む事になる。

この阿修羅が帝釈天に度々戦いを挑む所から、その戦いの場所を称して「修羅場」と呼ぶ用法が出来た位である。

しかし帝釈天は力の神の為、戦いは常に帝釈天側が優勢で阿修羅は何度戦っても阿修羅(正義)は帝釈天(力)に勝てずに居た。

それにしても、神である帝釈天が強姦したり、強姦された阿修羅の娘・舎脂(シャチー)がそのまま帝釈天に惚れて妻と成り、母・阿修羅に逆らうなど人間臭いのがヒンドゥー教・サンクリットの神々である。

つまり性に関する戒律は、渡来当時の密教の本質には存在しなかったのだ。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

尚、イスラム教シーア派の信仰上の行事に、指導者の殉教の苦しみを体験するアシュラ(アーシューラー)がある。

一年で最初の月の十日目の日に当たるイマーム・フサインが殉教した日が、殉教追悼の日とされている。

シーア派のアシュラは、鎖の鞭(くさりのむち)で両肩から背中を自ら打ちながら行進する苦行である。

仏教とイスラム教の狭間に、形は違えど阿修羅(アーシューラー)が在る事から、信仰も影響し合っているのかも知れない。

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by mmcjiyodan | 2012-01-07 01:57 | Comments(0)