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卑劣なイデオロギー(観念形態や思想傾向)

ネイティブジャパニーズ・縄文人(蝦夷族)の秘密】に戻る。

この国の歴史を扱うに及んで、問題にしたいのは「現実的な時間軸」を無視した強引な「イデオロギー(観念形態や思想傾向)主体の主張が多過ぎる」と言う事である。

「現実的な時間軸」とは、未だ朝鮮半島と日本列島に国や人種が成立していない両地域が未成熟に混沌とした時代の出来事を捕らえて、「あいつの祖先は半島系だ」や「俺達は純粋な日本人だ」と在りもしない線引きをする事である。

当然ながら、中華(黄河)文明から遠く離れた朝鮮半島と日本列島の両地域は文明の中心から離れて、千年間とも言われるかなりの歳月未開辺境の地だった。

当時の日本列島はそうした時代背景だから、当然ながら日本人の成立過程に於いては日本語の成立過程も無視できない必要条件になる。

所が、両地域が国家として成立した後世の朝鮮半島と日本列島の両地域の不幸な対立の歴史から、憎み合う部分がイデオロギー(観念形態や思想傾向)として育つと、全ての思考の始まりにその尺度が使われてしまった。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の帰属意識が高じて「天皇の祖先は朝鮮系」などと言うインテリジェンスのない事を騒ぎ出す始末である。

言って見れば、日本人のルーツは何段階かの混血の経緯を経て始まったものである。
しかしながら現代に存在する困り者は、当時朝鮮と言う国も人種も時代考証的に存在しないにも関わらず、この列島への渡来過程を取り上げて、千年・二千年も昔の事を「あいつの祖先は朝鮮系だ」などと脳が無い恥ずかしい事を平気言う。

その背景には、卑劣なイデオロギー(観念形態や思想傾向)の下にしか歴史を発想できない人々が居るからである。

それでいて矛盾する事に、そう言うイデオロギー(観念形態や思想傾向)主体の主張の方に限って「自分の先祖は氏族系(支配階級)」だと自慢をしたがる。

そう言う方に限って「日本は武士道の国」などと威張っている。

だが、氏族のルーツが渡来人である以上、元々の原日本人(蝦夷族/縄文人)は「武士道」とは最も遠い立場に在ったから、大いなる思い違いの大矛盾なのだ。

先祖が支配階級だった事で、出自を自己満足したいのだろうが、「現実的な時間軸」から言えば、平安期以前から江戸末期までの通期を「生粋の庶民」でなければ、純粋日本人ではなく渡来系出自の理屈に成るのだ。

いわゆる大和朝廷成立時点で「氏姓(うじかばね)の身分」を名乗った者の大半は明らかに渡来系征服部族の長一族であるから、他人を攻撃する論点そのものが破綻しているのだ。

この卑劣なイデオロギー(観念形態や思想傾向)主体の姿勢から始まる「現実的な時間軸」に対して間違った考察が、史実とは掛け離れたトンデモナイ歴史を作り挙げる事になる。

まぁ、近頃の世相である至近な例えれば、パソコンについても同じような反応を示し、パソコンを知らない方ほどパソコンに対して敵意に似た感情を抱く。
つまり人間は、如何なる心理的反応かは知らないが、自らが無知な事には「否定しよう」と言う意識が強く働くのである。

ネイティブジャパニーズ・縄文人(蝦夷族)の秘密】に戻る。

詳しくは小論【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
詳しくは小論【ネイティブジャパニーズ・日本列島固有の原住民族】を参照下さい。
詳しくは小論【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-04-28 19:15 | Comments(0)  

ネイティブジャパニーズ・縄文人(蝦夷族)の秘密

蝦夷(エミシ・えぞ)=縄文人(じょうもんじん)】に戻る

本来、歴史の根源は凡(およ)そ残酷な物で、何処の国も国家として成立した経緯は血塗られた歴史で、けして未来に自慢できる物ではない。

そこでその残酷さを和らげる為に、被征服部族に関しては「征服されても仕方が無い蛮族」として紹介される。

例えば二~三百年前の北米大陸を例に採ると、欧州大陸の各国(英・仏・蘭・西など)の野望を持った家族や食い詰めた家族が、新天地を求めて北米大陸に渡り、原住民・ネイティブアメリカンを小さな居住地に追い遣って土地を勝手に占拠した。

だから、その開拓史の中心となって成立したアメリカ合衆国など、フロンティア・スピリットと言えば格好は良いが一種居直り強盗的な形で原住民・ネイティブアメリカンから広大な土地を手に入れた経緯が伝統となり、未だに好戦的な国家である。

そして北米大陸その植民地が、カナダ、アメリカ、メキシコなどに統一された国家として独立を果たして今日があり、そうした歴史は古いか新しいかで何処の国にでも存在する。

その北米大陸と同じような事が、縄文期から弥生期にかけての二千年以上も前に日本列島に起こり、大陸経由や海流に乗って島伝いに渡来征服部族(氏族)が日本列島に渡り来て先住縄文人(蝦夷族)を追い遣り、勝手に倭の国々と呼ばれる小国家群を夫々が造る。

つまり当時の日本列島の先住縄文人(蝦夷族)はネイティブ・ジャパニーズで、もし日本人の定義を言えば、「ネイティブ・ジャパニーズと渡来征服部族(氏族)の混血民族である」と言える。

蝦夷(えみし)についての解説で、蝦夷は縄文人が「日本人とアイヌ人に枝分かれする過程で中間に取り残された縄文人の末裔である」とする一文があるが、経時的に明らかに間違いである。

あくまでもこの時点で「日本人」と言う存在を既成概念化しアイヌ人と区分けしたいのだろうが、所謂(いわゆる)単一民族としての「日本人」は、平安末期頃から成立し始めもので、蝦夷(えみし)はその時点でも縄文人そのものだった。

つまり蝦夷(えみし)は縄文人から取り残されたのでは無く、誓約(うけい)の混血を持って渡来氏族と混血し、後の日本人を形成して行く民族の一系だった。

何故ならば、日本列島に於ける単一日本民族の成立過程で起こった経緯が、渡来系の加羅族(からぞく/農耕山岳民族)呉族(ごぞく/海洋民族)先住縄文人(蝦夷/えみし)三つ巴の多民族の地だった事に拠る部族対立回避の知恵が大和合である。

三つ巴の多民族とは、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系の象徴が邪馬台国卑弥呼(ひみこ)であり、呉族(ごぞく/海洋民族)系の象徴が、神武大王(じんむおおきみ/初代天皇)の祖・スサノウ(須佐王)狗奴国(くなくに)、同じく呉族(ごぞく/海洋民族)系の伊都国の王・葛城氏(賀茂氏)、そして加羅族(からぞく)・呉族(ごぞく)が渡来する以前からの先住民・縄文人(蝦夷族/エミシ族)系の三民族に大別される。

そして三民族の一系、先住民・縄文人(蝦夷族/エミシ族)系の王族が、「安倍・阿倍一族である」と言う強力な説がある。

それでも大和合の大和国(ヤマトの国)を認めないのは、古事記日本書紀天孫降臨伝説から皇国史観(こうこくしかん)に到る国家観と民族観に反する事実だからである。

魏書(魏志倭人伝)の読み方だが、記載された国々で王の存在が書かれているのは、卑弥呼邪馬台国スサノウ狗奴国葛城氏伊都国の三っの国だけで、つまりこの三っの国が当時の日本列島に於いて広域・有力な王国である可能性が強い。

そうなると、有力な外国・中華の魏帝国にも認知された広域・有力王国・伊都国が、既存説の「福岡県の糸島半島と言う狭い地域に在った小国」とは考え難い状況がある。

中華大陸が魏帝国、蜀帝国、呉帝国の三帝国に分割されていたのでは、各々が別の外交関係(交流)を持ち、別の日本列島に存在する国を「倭王」に任(認証)じていて、そこを列島の代表としていれば、「魏志倭人伝」の記述は魏と外交関係(交流)を持つ邪馬台国・卑弥呼に片寄った記述をしている可能性が在る。

特に当時の日本列島には海人族系(呉族系)の国、例えば「狗奴国」や「伊都国」も存在した。

つまり、記録に残っていないだけで「親呉倭王」も存在し記述中に見える邪馬台国の女王・卑弥呼と不仲で争いが絶えない狗奴国の男王の存在が、中華大陸三帝国の勢力争いと連動していた可能性もある。

であれば、当時の日本列島が三民族三つ巴の多民族の地だった事から、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系の邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)=比売命(ひめのみこ)が、魏志に於ける唯一の日本の女王は、大陸「魏帝国」の「三国志時代の国策的な対処だった」と思えるのだ。

大陸の優れた先進文明を携えて日本に渡来した征服部族(氏族)は、夫々の部族ごとに勝手に地割りをして小国家を造り、先住縄文人(蝦夷族)を隷属化して行った。

その経緯から、日本列島の住民は好戦的な支配階級・渡来征服部族(氏族)と被支配階級の優しく大人しい先住縄文人(蝦夷族)の大きな流れの中で並立して、明治維新前まで来た。

それ故に、当時の日本列島への渡来征服部族(氏族)にとって、縄文人(蝦夷族)の自由の地・日本列島を侵略して先住縄文人(蝦夷族)もろとも統治下に置いた事は、後世に残したくない「不都合な事実」である。

卑劣なイデオロギー(観念形態や思想傾向)】に続く。

蝦夷(エミシ・えぞ)=縄文人(じょうもんじん)】に戻る

詳しくは小論【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
詳しくは小論【大和民族(ヤマト民族/日本人)の成立過程】を参照下さい。
詳しくは小論【鬼伝説に隠された先住民(蝦夷族/エミシ族)】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-04-23 16:52 | Comments(0)  

娯楽・英雄物語の虚(きょ)

庶民がささやかな夢を託す英雄待望論は、裏を返せば他人任せの横着な思想である。

つまり自分は何も努力はしないが、誰かに自分に代わって「その苦労を背負って欲しい」と言う身勝手な話しなのだ。

しかしその身勝手を目当てに作家・脚本家が創り出した英雄物語は、庶民のささやかな夢を乗せて事実以上に大活躍してくれる「虚構」の娯楽と成る。

つまり良く在る話だが、作家に拠る「面白可笑(おもしろおか)しい虚構」が混ざって評判をあげる現象が「娯楽・英雄物語の虚(きょ)」である。

英雄は確かに英雄かも知れないが、エピソードの半分はその時代の作家(メディア)に拠って膨らまされている。
その膨らまされたエピソードの英雄の方が夢が在り、読む方にとって遥かに魅力的だからである。

そうした「虚構」が読み物として、また芝居や映画として繰り返し世に出ると、もうその物語には「虚構」と「事実」の境目を見つけるのが難しく成ってしまう。

「虚(きょ/感性)」の現象の原因として、江戸期に始まった娯楽、草紙(小説)、芝居の舞台本(脚本)のヒーローは、本人及び身内の自画自賛や後世の人々がかなり膨らましてデッチ挙げた物が多い。

テレビ局の安易な番組製作も困ったもので、まだ真贋を論争中の事項にも「文化としての歴史」を定説として「歴史クイズ番組」を成立させ、また「歴史検証番組」にも「文化としての歴史」をそのままに放映している。

そしてそれらが繰り返し演じられると、あたかもそれが今を生きる一部の人々に「事実としての正史」と誤解されて現代に到っている。

有名な脚色・創作例は、牛若丸(源義経)と弁慶の「京の五条橋に於ける出会い」の下り、日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六(正勝)の「矢作橋の出会い」の下り、宮本武蔵と岩流(佐々木小次郎)の「舟島(巌流島)の決闘の詳細」などが挙げられる。

益してや、公文書である古事記日本書紀にしても半ば公文書らしき吾妻鏡や義経記、徳川実記(徳川家の諸実記)などなどにしても、専門家をして「かなりの虚構が混ざっている可能性がある」とされている。

それ故に、歴史の真相を掴むには結構一筋縄では行かないのである。

だからこそ、この「現実の歴史」と「文化としての歴史」の二つの混在を、上質の「推理ドラマの物語」にして「読み解きながら歴史の旅を進めたい」と思い付いた。

詳しくは、小論・【日本史・歴史のミステリー】を御参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-04-13 14:12 | Comments(0)  

真言(密教)立川流の謎

元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。

弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から真言密教が生まれた。

ヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。

性典・カーマスートラを生み出した性に対しておおらかな信仰の教義が、弘法大師(こうぼうだいし/空海)の手で伝わったのである。

弘法大師(空海)が持ち帰った真言密教は、桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。


真言(密教)立川流は、陰陽修験道の影響を色濃く受けている。

修験道師の祖「役小角(えんのおづぬ・賀茂小角)」が創設した陰陽修験は、賀茂葛城家に伝わる「呪詛信仰(事代主神/ことしろぬしのかみ)」の呪術、占術、元々列島に存在した八百万(やおよろず)の「原始自然信仰」と、渡来して来た中世の「妙見信仰・北辰信仰」や「道教」を習い合わせて誕生し、その後の仏教などの渡来宗教にも影響を受けて行くのだが、どう考えても自然発生的に陰陽修験が成立したとは思えないのである。

武蔵国・立川に在住した陰陽師の出身の真言宗の僧侶・見蓮(もくれん)が、伊豆の大仁に流人として住まいし真言宗の僧侶・仁寛(にんかん)に真言密教の秘伝を授けられ、陰陽道と真言密教の教義を混合して真言密教・立川流を興し、「開祖・布教した」とされている。

その後、当時の幕府所在地・鎌倉には、京都から放逐された「天王寺真慶らによって伝えられた」と言われている。

真言立川流は、弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った理趣経(りしゅきょう)を主な経典として、人間性を上手く取り込んだ教義である。

為に真言立川流は多くの信者を集め、真言密教の僧のうち「九割が立川流の信徒となっていた」と言われ、文書「受法用心集」によると、一時期、真言密教の主流(真言大覚寺派)として立川流は浸透を続けた。

南北朝並立時代から室町初期にかけては後醍醐天皇の庇護を受、政局にかかわるほどの力を有したのだ。

真言密教立川流と金沢文庫(かねさわぶんこ)文献の怪】に続く。

真言密教立川流と後醍醐天皇の子沢山】に飛ぶ。
真言・立川流(たちかわりゅう)】に戻る。

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遥か世界の屋根に見る「夜這いのルーツ」】に飛ぶ。
ヒンドゥー教シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)】に飛ぶ。
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詳しくは【真言密教立川流の解説】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2012-04-12 10:48 | Comments(0)  

ヒマラヤ桜と染井吉野

ネパールのヒマラヤ桜が、日本の桜の原点(原木)である。

アンナプルナ連峰の麓(ふもと)に在るガンドルン村はヒマラヤ桜の村である。

アンナプルナ連峰は、ヒマラヤ山脈の一郭でネパールの中央部に位置し、幅五十キロに及ぶ高さ七千五百~八千メートル級の連峰である。

サンクリット語でアンナプルナは「豊穣の女神」の意味で、恵みの水源と成って山麓の棚田を潤す。
そして明治維新前までおおらかだった日本の性慣習も、多くはネパール人の習慣に影響されている。

ネパールのヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。

つまり標高二千メートル地点に自生する「ヒマラヤ桜」も、「山麓の棚田」も、「村落の夜這い制度」も、遡って源流を辿ればネパールに在る。


ヒマラヤ桜が中国・雲南省の野生の冬桜を経由して、東の外(はず)れ日本列島まで水田稲作と伴に伝わった。

弘法大師(空海)が持ち帰った真言密教は、この桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。

だが「桜は日本を代表する花だ」と言う帰属意識的な想いから、その事を広言する歴史学者は少ない。
つまり歴史学者の多くが、定説に対する辻褄合わせの為に作為的に事実を見落とす愚を犯している。

日本人の心の原点とも言うべき山岳信仰の象徴が、奈良県吉野郡吉野町・吉野山の修験道・金峰山修験の本宗総本山・金峰山寺(きんぷせんじ)、そして圧巻は吉野全山三万本の桜である。

平安期から現在に至るまで、桜は神社仏閣の神木となった。
そして日本の春は満開の桜花とともに訪れる。

吉野山と桜の結びつきは古く、その原点は六百七十年頃の天智天皇の御世、修験道の開祖・役小角(えんのおずぬ)が大峰山で修行(千日難苦行)している時に金剛蔵王権現を感得して、桜の木に「その金剛蔵王権現のお姿を刻んだ事に始まる」と伝えられている。

これ以来、吉野山の桜の木は御神木として手厚く守られて来た。

つまり、桜の木は陰陽修験のシンボルでもあり、山岳信仰に端を発する日本の信仰の原点でもある。

日本の桜で、全国に一番植樹され、現在最も多い桜の木の品種は染井吉野である。

この染井吉野は、東京の染井村(東京都豊島区馬込)の植木屋が考案した接木(つぎき)による品種改良で誕生したそうである。

しかし欠点が在り、残念ながら接木方式の苗の為、成木の寿命が六十年ほどしか無いそうである。

芯に成る木と接木(つぎき)された染井吉野の関係で、六十年ほどすると幹の内側の芯に成る木から腐る欠点があり、外見は良いのだが中はスポンジ状に空洞化して行き、やがては表皮に空洞が達して折れてしまうそうである。

平成十七年の八月で、戦後も凡そ六十年を数えるようになる。

日本の桜は戦後の昭和二十年代に植樹された染井吉野が大半で、今後十年くらいでその寿命期に到達する。

こう言う話を聞くと、染井吉野は戦後の日本と共に生きた団塊の世代とその生き様(ザマ)が重なって見える。
染井吉野の空洞化と団塊の世代の高齢化・・・。

戦後日本の象徴は、世の移ろいと伴に衰えの時期を迎えつつあるのだ。

詳しくは、小論【桜と毛虫】を御参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-04-09 05:30 | Comments(0)  

延喜式(えんぎしき)・「式内社」

延喜式(えんぎしき)・「式内社」とは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、弘仁(こうにん)格式、貞観(じょうがん)格式、延喜(えんぎ)の三代格式の内の一つである。

三代格式は律令官制に従い、全五十巻、約三千三百条からなる格式(きゃくしき/律令の補助法令の総称)の取り決めである。

第一巻から十巻までは神祇官(祭祀を司る/じんぎかん、かみづかさ、かんづかさ)関係の式、第十一巻から四十巻までは太政官(だいじょうかん、おおいまつりごとのつかさ)八省関係の式、第四十一巻から四十九巻はその他の官司関係の式、第五十巻は雑式の順となっている。

なお、弘仁・貞観・延喜とは、それぞれの格式が編纂を開始された年代の元号で、実際の完成には時間がかかっている。

弘仁格式は嵯峨天皇(さがてんのう/第五十二代)が藤原冬嗣に、貞観格式は清和天皇(第五十六代)が藤原氏宗に、延喜格式は醍醐天皇(だいごてんのう/第六十代)が藤原時平に、それぞれ命じて編纂させたものである。

但し今日では、三代格式の内ほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、かつ細かな事柄まで規定されている事から、古代史の研究では重要な文献となっている。

延喜式(えんぎしき)は、平安期の九百五年(延喜五年)、醍醐天皇(だいごてんのう/第六十代)の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たり、九百二十七年(延長五年)に一応完成し、その後も改訂が加えられ四十年後の九百六十七年(康保四年)より施行された。

現代に伝えられる神祇官関係の式が延喜式(えんぎしき)で、第八巻には祝詞が掲載されている。

第九巻及び十巻は神名帳(神社の一覧表)となっていて、祈年祭奉幣を受けるべき二千八百六十一社の神社が記載されている。

延喜式神名帳に記載のある神社を一般に「式内社」と言って社格の一つとされ、当時朝廷から重要視された神社である事を示しているが、消滅したり不明となっている神社も多い。

第一巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2012-04-06 15:27 | Comments(0)  

修禅寺(しゅぜんじ)・修善寺(しゅぜんじ)

修禅寺(しゅぜんじ)は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で山号を福地山とする為、正式名称は「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)」である。

その修禅寺(しゅぜんじ)の寺領の地を、修善寺(注・寺の方はゼンの字が禅の修禅寺が正)と呼び、現在の住所は静岡県伊豆市修善寺である。

現在は曹洞宗の寺院・修禅寺(しゅぜんじ)であるが、開山したのは真言宗・空海(弘法大師)で、当時は地名が桂谷と呼ばれていた処から、真言宗の桂谷山寺と言われる格式の高い寺だった。

そしてこの修善寺には、空海(弘法大師)が開いたと伝えられる独鈷の湯(とっこのゆ)が、現在でも有名な温泉地として栄えている。

真言宗・桂谷山寺(けいこくさんじ/修善寺)は、「延喜式」に於いて、「伊豆国禅院一千束と記された」としている。

空海(弘法大師)に拠る桂谷山寺(けいこくさんじ/修禅寺)の開山は、中国から帰国して高野山に金剛峰寺を開山して僅か一年と経たない事業だった。

何故、空海(弘法大師)が高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を開山した直後に、伊豆半島中心の地「桂谷」に桂谷山寺の開基を急いだのか?

その伊豆の地が、「田京」と言う謎の都を有する日本史上特別の重要な土地だったからである。

その後、源頼朝が鎌倉の地に幕府を開府した鎌倉時代初期に、有力御家人を排出した事から修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。

また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府二代将軍・源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害された地としても知られている。

千二百四十九年~千二百五十五年の建長年間に、大陸元帝国の密偵と疑われていた南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が避難の為に修禅寺に来住し、それに伴って一時「臨済宗」に改宗された。

その後、千三百六十一年(康安元年)の畠山国清(伊豆国守護大名)と足利基氏(鎌倉公方の祖)の戦乱の被害を受け、更に千四百九年(応永九年)の大火災で伽藍が全焼し、荒廃した。

その後、伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させ、以後曹洞宗の寺と成って今日に到る。

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by mmcjiyodan | 2012-04-04 01:57 | Comments(0)  

ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)

ハニートラップ(蜜の罠/性を武器にする女スパイ)は、性玩具に成り切って情報を引き出したり、標的の男性を有利に行動させるべく誘導する女性工作員である。

飛鳥期の「神前娼婦(巫女)」も簡単な情報収集の使命も負って居て、現代風に言えばハニートラップ(蜜の罠/性を武器にする女スパイ)だった。

何故なら、神社側は旧支配者が土着した郷士の末裔であり、貴人・官人(高級貴族役人)は現支配者として朝廷から赴任して来た相手である。

鎮守氏神神官に納まった旧支配者が一定の勢力を維持するには、新たに赴任して来た貴人・官人の御機嫌取りと腹の内を探る必要が在った。
つまりハニートラップ(蜜の罠/性を武器にする女スパイ)は、安全保障の手段である。

その神前娼婦(巫女)の進化形ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)が、平安期に活躍した勘解由小路(かでのこうじ)党の遊妓・「白拍子(しらびょうし)」だった。

その遊妓・「白拍子(しらびょうし)」の遊芸や神楽舞(かぐらまい)から発展したのが、室町期の足利文化として育った「能楽(のうがく)」や「狂言(きょうげん)」、そして戦国期の「阿国歌舞伎」だった。

諜報活動兼芸能従事者に関わる氏族出自の者は、実は修験道から派生した武術忍術の技能集団である。

諜報分野に於いては情報収集、及び広報活動が要求される事から、遊興を通じての情報収集や、民衆に意図的なプロパガンダをする目的手段としての氏族芸能従事者は存在した。

となると、氏族の諜報活動兼芸能従事者の中から、観阿弥・世阿弥親子のように猿楽を猿楽能として大成させる者も出て来る。

彼らは、明らかに氏族の出自だった。
ほかにも、歌舞伎や人形浄瑠璃と言った日本の古典芸能は、こうした氏族の諜報活動兼芸能従事者の下で育まれた。

だが、これを被差別民衆が「芸能と関わる側面が大きかったから」と言って、「賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)」と言う被差別民衆の間から、「種々の芸能が生まれた」とするのは、明らかに間違いである。

つまり「阿国歌舞伎」の出雲の阿国は、歌舞音曲を用いて旅回りをしながら、情報収集を為すハニートラップ(性を武器にする女スパイ)だった。

その阿国を使ったのが、諜報活動を能(よ)くする在地の勘解由小路党の草・雑賀鈴木党で在った可能性は、極めて高い。

日本は平和ボケしているからハニートラップ(性を武器にする女スパイ)など夢物語だが、現在でも世界中の諜報機関で採用されている最も有効な手段である。

出雲阿国(いずものおくに)】に続く。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2012-04-01 02:00 | Comments(0)