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集団就職(しゅうだんしゅうしょく)

日本に於ける農漁村部の村落共生社会が崩壊した直接の原因は集団就職(しゅうだんしゅうしょく)である。

定義される集団就職(しゅうだんしゅうしょく)とは、未就業者(新卒者)が集団で都市部へ就職する事を指す用語で、戦前にも高等小学校を卒業した人が集団就職する例が在った。

しかし特に広く知られるのは、昭和三十年代中頃(千九百六十年代)に始まった日本の高度経済成長期に盛んに行われた農村から都市部への大規模な就職運動の事をさす場合が多い。

第二次世界大戦の戦後期に、日本では工場生産システムが大量生産の時代に入り、製造業界では単純労働力を必要としていた。

まだ戦後の経済復興期には、家族経営が多かった都会の小売業や飲食業も家族以外に補助的な労働力を求めていた。

昭和四十五年(千九百七十年)頃までの地方では、生計が苦しく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かった。

集団就職で中卒者(義務教育のみしか卒業していない)を送り出す側の事情として、都会への就職は土地(農耕地)を分け与える余裕が無い農村部の次男以降の子に、経済的自立の機会を与える算段だった。

子供が都会の企業に就職する事で経済的にも自立する事を期待して、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えが、当時は保護者にも学校側にも存在した。

こうした状況の下、地方の中学校も企業の求人を積極的に生徒に斡旋して集団就職として送り出した。

新しい生活の場を都会に求めて中学校や高校を卒業した直後に主要都市の工場や商店などに就職する為に臨時列車に乗って旅立つ集団就職列車が有名である。

集団就職列車は昭和二十九年(千八百五十四年)四月五日の青森発上野行き臨時夜行列車から運行開始された。

賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、関東、中部、関西の三大都市圏の転入超過人口の合計が四十万人~六十万人であった。

つまり集団就職とは、日本の高度経済成長期に盛んに行われた農村から都市部への大規模な就職運動の事をさす場合が多い。

この集団就職列車は、昭和五十年年(千九百七十五年)に運行終了されるまでの二十一年間に渡って就職者を送り続けている。


こう言った若年の労働者は、「将来性が高いと言う意味や安い給料で雇える」と言う意味から金の卵と呼ばれてもてはやされた。

地方の農村から都市部に引っ越した流入少年の数は東京都が最多で、東京都の工場街・商店街のある足立区・葛飾区・大田区・墨田区・新宿区・江東区などが「金の卵たる中卒者」が多く居住した地区だった。

この安い労働力を大量に供給する集団就職によって「日本の高度経済成長が支えられた」と言える一方、地方は「限界集落」への第一歩を歩み始めたとも言える。

昭和四十五年(千九百七十年)以降は経済が安定し、地方の各家庭の所得も増加し高卒労働者が中卒労働者を上回った。

昭和四十九年(千九百七十四年)のオイルショックで、日本経済が低迷した事もあり、工場が操業短縮に追い込まれるなど中卒者の新卒採用を控える企業が増加した。

若年の中卒者には、労働法上の制約で深夜労働や時間外労働が出来ないなども要因となり、労働省(現・)は昭和五十二年(千九百七十七年)に集団就職を廃止した。


集団就職の影響としては、都市部の人口の増加と村落部の人口減少、それに伴って各種の影響が在った。

特に現在では、村落部に高齢者ばかりの「限界集落」が急増し、生活圏としての体(てい)を為さない地域が多数問題に成っている。

都会に大量の若年層の人口流入が見られ様になると、その若者達に依る若者文化も発生し都会の生活に影響を与えた。

また、就職者の待遇の悪さや学歴の低さから、その子弟の教育水準の低下が起き、学校関係に影響を及ぼしたと言う人もいる。

只、集団就職に依って大企業に止まらず中小零細企業に到るまで安い労働力を大量に供給し、「日本の高度経済成長が下支えられた」と言える。

また、昭和三十年代~四十年代の集団就職で村落共生社会の若者男女が都会に取られて事で崩壊し、「夜這い制度」や「寝宿制度」などの性文化が消滅した。

この村落共生社会に於ける「シェア(分かち合い)の精神」を基にした性文化の消滅が、後の昭和六十年代から始まる「少子化の遠因の一つ」と成った。

つまり供給源としての人口維持装置だった村落共生社会の性文化の崩壊が、二世代を経て国家経済と福祉制度の根幹を揺るがす「少子化問題」を招いた。

勿論その性文化の崩壊だけでな無く、戦後の欧米化教育に依る「個人主義」で親類や親兄弟への心配りが希薄になった面で、「結婚しない自由」や「産まない自由」が公然と主張されている。

この親類や親兄弟への心配りが希薄になった事も、基を正せば集団就職に依って「居住の距離が遠く、互いに疎遠になった為」と言う考え方の変化に対する影響もある。

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by mmcjiyodan | 2012-05-29 03:08 | Comments(0)  

武士道の始まりと封建制(ほうけんせい)

武士道の始まりについて、「武士道が自覚されたのは封建制の時代で、封建制の始まりと武士道の始まりは一致する」と言う考え方がある。

元々「封建」の語は中国・周代の国家体制を指すもので、日本での「封建制」の語は、土地を媒介とした国王・領主・家臣の間の緩やかな主従関係に拠る支配形態を指す。

鎌倉幕府室町幕府を含めて封建制の時代とされる方も居られるが、江戸期の幕藩体制以前の二幕府に厳密な支配地争いに対する中央の統制能力は無かった。

歴史的に観て、江戸期以前の武士は今日に考えられる精神思想などとは全く違う「武を持って支配地を広げるだけの争いの組織」だった。

武士の社会は、支配地の拡大を求めて主従関係の「合従連衡(がっしょうれんこう/結びついたり離れたりする)」や「下克上(げこくじょう/上下関係の身分秩序を侵す)」の世界だった。

つまり鎌倉幕府室町幕府は、地方の支配地争いの結果を実行支配として認証する機関的な役割に過ぎない時期が多かった。

歴史的に観て、封建制とは近世の幕藩体制(江戸幕府)を指して用いられた歴史用語で、武士の思想が「道」と言う極みにまで達したのは、江戸期に入ってからである。

平安中期から江戸期開幕に到るまで、氏族武士の本質は領地利権の為に親兄弟でも戦で争う人種で、主君に対する下克上(げこくじょう)も当たり前だった。

そこに在った武士道は「強い者が勝つ」で、「主君に滅私奉公する」何て事は江戸期に入ってからの「幕府の統治政策」と「永く続き在った戦乱の反省」とが為した合意に過ぎない。

まぁ今の政治劇も「武士道の始まりと封建制(ほうけんせい)」時代と一緒だが、勝ち馬に乗りたい連中の駆け引きは今も昔も変わらない。

だから大戦(おおいくさ)と成る程、敵味方どちら付かずでギリギリまで決められない武将は幾らでも居た。

そんな姑息な現実を、建前でソッと包(くる)んだ綺麗事が武士道伝説だったのだ。

武士道伝説の綺麗事は歴史の難しい所で、例え統治の都合で捏造されたものでも、永く伝承されると「文化の歴史」として存在する様になる事である。

つまり「史実の歴史」とは別に「文化としての歴史」は、信仰や伝説を通じて時の経過と伴に育ち、後世では確実に文化として存在して「全く無い事」と否定出来ないのだ。

只、この「史実の歴史」と「文化の歴史」は、違いを認識しながら扱って行かねば成らない事は言うまでも無い。

詳しくは小論【国家の品格・武士道の国日本のまやかし】をお読み下さい。

関連小論
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by mmcjiyodan | 2012-05-25 15:31 | Comments(0)  

国益(こくえき)と神風伝説(かみかぜでんせつ)

国益(こくえき)は、国の利益を指す言葉で、この用語が登場したのは江戸中期(宝暦~天明期)である。

当時の国益(こくえき)と言う用語於ける「国の概念」は、三百諸侯と表現した諸藩領国の事で、その領国ごとの産品生産の向上なり経済自立化などの概念として使用された。

この用語が、幕末から明治維新以後に於いては対外国政策などの思想概念にも使用されるように成った。

まぁ人間の考える事など、戦前も現在も余り変わりは無い。

現在の防衛省幹部も官僚だが戦前の軍部幹部も官僚で、つまり現在の官僚が省益を守り育てると同様の風潮があり、それが局地戦から大戦に拡大する土壌だった。

結局の所、「国益、国益」と言いながら、軍幹部が財閥と組んで己達の利権拡大の為に軍事行動を拡大した側面は否めない。

政治家や官僚は簡単に「国益」と言うけれど、「国益は民益とは正反対に位置するもの」と言う矛盾が在る。

太平洋戦争も各地で連合軍に圧されて敗色が濃くなる千九百四十四年(昭和十九年十二月七日)、紀伊半島熊野灘沖に地殻変動が起こって「昭和東南海地震」が発生する。

現在騒がれている南海トラフ型の大地震だったが、戦時中の報道統制下の為、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けた事を隠す為に報道は規制され、詳細な報道がなされなかった。

当時米国を中心とした連合軍と交戦中の大本営では、「地震情報は敵を利する」として報道を統制し、公な救助活動もしなかった。

つまり国家と言うものは民益よりも国益を優先し、その守るべき国益は、実は特定の権力階層だけのものだったりする。

「国益」は、国家の為の国民か国民の為の国家なのかを巧みに混同させた言葉である。

この本質は、為政者(政治家)と国民の立場の違いである。

「国益」の統治的効用は、元々人間が群れ社会の動物で帰属意識が高い事を利用した為政者が、自信満々で言う言葉の美名なので国民は騙され易い。

日本史には「現実の歴史」と「文化としての歴史」と言う虚と実の二つの歴史が混在している。

歴史の難しい所は、例え統治の都合で捏造されたものでも、永く伝承されると「文化の歴史」として存在する様になる事である。

つまり「史実の歴史」とは別に「文化としての歴史」は、信仰や伝説を通じて時の経過と伴に育ち、後世では確実に文化として存在し、「全く無い事」とは否定出来ないのだ。

そして意図的に創り上げたのは、蒙古襲来(元寇/げんこう)時の「神頼み(暴風)」を都合良い解釈に仕立てて採った「神風伝説(かみかぜでんせつ)」だった。

只、この「史実の歴史」と「文化の歴史」は、違いを認識しながら扱って行かねば成らない事は言うまでも無い。

確かに鎌倉期の千二百七十四年(文永十一年)元(げん)・高麗国(コリョグオ)の連合軍が対馬・壱岐を襲った後、博多湾の沿岸に上陸(じょうりく)した。

これを「文永(ぶんえい)の役(えき)」と呼ぶ蒙古襲来(元寇/げんこう)が在ったのだが、到着した時には海峡の海はもう暴風に荒れ狂っていた為に大被害を出して元軍は撤退した。

七年後の千二百八十一年(弘安四年)に、「弘安(こうあん)の役(えき)」と呼ぶ二度目の蒙古襲来(元寇/げんこう)が在り、幸運な事にこの時も元軍(げんぐん)は暴風に会い大被害を出して撤退している。

この時の故事に倣(なら)って、「神風」なる伝説神話を編み出し民衆に広めた。

しかし「神風」など、日本本土が焦土と化しても吹きはしなかった。

鎌倉期二度の蒙古襲来(元寇/げんこう)時は偶然の暴風に重なって救われたが、それはあくまでも気象現象で、そう都合良く近代戦に「神頼み」など通用する訳がないのだ。

尚、戦前にこの神風伝説(かみかぜでんせつ)にあやかって大日本帝国海軍が量産した駆逐艦の艦級に、多数の神風型駆逐艦(かみかぜかたくちくかん)がある。

神国日本と徴兵令】に戻る。

詳しくは、小論・【日本史・歴史のミステリー】を御参照下さい。

関連小論・【張作霖爆殺事件・柳条湖事件の陰謀】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-05-23 01:16 | Comments(0)  

景行大王(けいこうおおきみ)と三峯神社(みつみねじんじゃ)

奥秩父にある修験の聖地に、犬神神社・三峯神社がある。

三峯神社(みつみねじんじゃ)は、神社本庁の別表神社であり、旧社格は県社(あがたしゃ)であり、秩父神社、宝登山神社と並ぶ秩父三社の一つで、埼玉県秩父市三峰にある神社である。

景行大王(けいこうおおきみ/第十ニ代天皇)の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩山・妙法山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮の社号を授けた」と伝える。

伊豆国に流罪になった役小角(えんのおずぬ)がその三峰山で修業をし、弘法大師・空海が観音像を安置したと三峯神社縁起には伝えられる。

しかし景行大王(けいこうおおきみ/第十ニ代天皇)は、主に日本武尊(やまとたける)神話の物語に登場するのみで実在を疑問視される天皇でもある。

祀われているのは西日本に最も広く分布する犬霊の犬神である。

それが、朝廷の東日本統治政策の一環として為した陰陽修験の山岳信仰の活動で、西日本以東に広がった。

この地は関東だが、武蔵国秩父山系、相模国丹沢山系一帯、伊豆国箱根山塊、甲斐国(山梨)や信濃国(長野)の山岳地帯などの地域は、オオカミ(狼)信仰=犬神信仰が盛んである。

このオオカミ(狼)信仰=大神信仰は修験道の山岳信仰であるから、天の犬=天狗(てんぐ)とも関わりがある。

そして天狗(てんぐ)と犬神は呼び方が違うだけの同じ「イヌ」である。

天狗(てんぐ)修験道は、猿田彦(サルタヒコ)天宇受売命(アメノウズメノミコト)誓約(うけい)の古事に習う「人身御供伝説」を村々に仕掛けた特殊組織だった。

犬神(いぬがみ)】に戻る。

詳しくは小論【天狗修験道と犬神・人身御供伝説】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-05-15 14:20 | Comments(0)  

天皇(てんのう/すめらみこと)の称号

大陸の中華皇帝(つんふぁふぁんでぃ=中文)に対抗して、列島に於ける「天皇」の称号を最初に名乗った大王(おおきみ)は、天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇/大海人皇子)だった。

その経緯であるが、大和朝廷(ヤマト王権)が日本列島の西半分を統一した頃は、日本列島には多くの国主(くにぬし)や県主(あがたぬし)が居て、その統一王が大国主(おおくにぬし)大王(おおきみ)だった。

統一前の日本列島に於いて、小国乱立時代の「王号」の使用解釈は冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の臣下(諸侯王)へ与えられる称号である。

そうした渡来部族が、勝手に切り取った部族国家乱立の小国家群の統一王権として大王(おおきみ)の称号を使用した。

しかしながら日本列島の大王(おおきみ)は、冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の影響力を排して中華帝国の皇帝と対等の独立した帝国で在る事を内外に主張する名称として、天皇(てんのう)と言う呼称を採るようになる。

「天皇」という称号の由来には複数の説があり、一つは古代中国で北極星を意味し道教にも取り入れられた「天皇大帝(てんおうだいてい)」或いは「扶桑大帝東皇父(ふそうたいていとうこうふ)」から採ったと言う説がある。

また別の説として、中華帝国・唐の「高宗」は皇帝ではなく道教由来の「天皇」と称した事が在り、「これが日本列島大和朝廷(ヤマト王権)に移入された」と言う説もある。

元々「天皇」はその読みを「てんおう」と読んでいた事から、五世紀頃の対外的には「可畏天王」、「貴國天王」或いは単に「天王(てんおう)」等と称していたものが天武朝に「天皇(てんおう)」とされた等の説がある。

伝統的に「てんおう」と訓じられていた「天皇」は、後世の明治期に成って連声により「てんのう」に変化したとされる。

大王(おおきみ)から天皇(てんのう)に呼称変更したのは、皇統簒奪の疑惑がある天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)が「初めて天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を採用したのではないか」と推測されている。

つまり飛鳥京(あすかきょう)時代の末期に即位した天武大王(てんむおおきみ)が、何故かそれまで大王(おおきみ/治天下大王・あめのしたしろしめすおおきみ)の称号を用いていた大和王権の長が、天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を用いるようになって天武天皇を名乗った。

天武天皇(てんむてんのう/大海人皇子)には、当時、ほぼ朝鮮半島統一が成されつつあった(金春秋<キム・チュンチュ>王=武烈王・太宗第二十九代)の弟が、「大海人皇子(おおあまのみこ)の正体ではないか」と言う「皇位簒奪疑惑」が存在する。

そこで、大友皇子との内乱(壬申の乱)を征した天武天皇(てんむてんのう/大海人皇子)の出現が、この「天皇」と言う称号採用とも「深く関連しているのではないか」とも考えられるのである。

大王(おおきみ)=天皇(てんのう)】に戻る。

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by mmcjiyodan | 2012-05-13 16:54 | Comments(0)  

フェール・エチル・アミン

人間は何故一目惚れするのか?

「惚(ほ)れる」と言う行為は、「大脳辺縁系」の「情動反応に伴って発生する」とされる「情動性自律反応」になる。

そのメカニズムは、本能をくすぐる脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの効果である。

「惚れる」と言う行為は「種の保存本能」を刺激し、性衝動を喚起する「情動性自律反応」となって性交への心理的誘導を感じる事になる。

元々生命科学的に言えば、人類の男女は「惚(ほ)れ脳内ホルモン・フェール・エチル・アミン」の作用に後押しされ、出会いを持って「性交相手の選択行為」をする生物である。

「惚(ほ)れる」と言う事は「恋する」と言う事で、フェール・エチル・アミンの効果である「惚(ほ)れる」は、脳内処理的には「性交の前駆作業」であり、気取らないで生物学的に言えば脳内処理的には「性交相手の選択行為」である。

その男性と女性の脳内ホルモン的な「性交相手の選択行為」の「惚れ薬」がフェール・エチル・アミンと言い、これが、、本能をくすぐる「恋のトキメ」を促進させる影の立役者の物質である。

また、芸能アイドルに対して憧れや擬似恋愛感情を持つ事も、フェール・エチル・アミンの作用である。

同様に、ペット(愛玩動物)を一目で「可愛い」と惚れ込むのにも勿論何かの脳の働きが在り、つまりその原因はこの脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの効果である。

フェール・エチル・アミンは、異性に対して脳内で分泌されるトキメキホルモンで、この時点では「惚(ほ)れ行為」であるが、その「惚(ほ)れ行為」に集中力や快感を倍増させる作用がある。

簡単に説明すれば、「恋する」や「惚(ほ)れる」と言う行為そのものに快感を感じさせたり、その想いを募(つの)らせる(集中させる)作用がある脳内ホルモンなのだ。

つまりフェール・エチル・アミンは、「人類の種の保存」を脳科学的に促進させる作用があるホルモンである。

そしてその「惚(ほ)れる」が片思いであれ両思いであれ、パターンに関係なくフェール・エチル・アミンの作用であるから、迷惑なストーカー行動の源も「惚(ほ)れる」の範疇にある。

心して自覚が必要だが、フェール・エチル・アミンの作用は「性犯罪」をも誘発する側面を持っている事である。

「惚(ほ)れる」と言う行為から始まって、片思いの想いを相手に伝える踏ん切りを後押しするのがフェール・エチル・アミンの作用である。

しかし「惚(ほ)れちゃったから仕方がない式」の盲目の一方的求愛は、フェール・エチル・アミンに後押しされてストーカーに発展する危険も内包している。

故に、本人が「惚(ほ)れた」と想った事は「フェール・エチル・アミンの作用である」と言う客観的な意識が無いと、自分のコントロールを失う事になる。

当然ながら、フェール・エチル・アミンに後押しされて、双方が「惚(ほ)れの合意」に到れば性交に及ぶ事に成るが、「愛」は連れ添ってから時間を掛けて育(はぐく)むもので、この時点での価値観はまだ「恋止まり」である。

「愛情」と言うのは、結局は自分が創り出した大切な物語であるから、その構築された「情」に嘘は無い。

しかし物語であるからには伴に生きる時間が永く在っての事で、少なくとも出会いの時点では、物語のプロローグ(序章)に過ぎない。

だからこそプロローグ(序章)に過ぎない結婚前の異性経験など、原則問わない事が男女間の暗黙のルールである。

従ってプロローグ(序章)の時点での性行為に於いては「恋」は在っても、とても「愛情」にまでは到っていない現実がある。

昔から「恋の病」と言う様に、ここを勘違いしているから「こんな筈ではなかった。」とカップルの解消や結婚を解消し離婚する事に成る。

つまりフェール・エチル・アミン効果で、良く知らない相手とでもフィーリング(感覚)で性交が可能で、ならば深い意味での「愛情」なんかなくても別の理由でも性交は可能である。

だから、誓約(うけい)目的だろうが、親の薦める結婚だろうが、地位や財産目的だろうが夢を適える手段で在っても、永く続いて「愛情」が芽生えればカップルとしては最高の結末と言える。

まぁ出会いは様々で、周囲や親の薦める結婚でも、その出会い時点でフェール・エチル・アミンが作用すれば、自由恋愛でなくても理屈は合うのだ。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

詳しくは・関連小論記事
吊橋効果(つりばしこうか)の心理を検証する】を参照。
オレオレ詐欺と占術霊感商法】を参照。
私の愛した日本の性文化】を参照。
美しくなれる興奮の解説】を参照。
地球を救う「共生主義」と言うイデオロギー】を参照。

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by mmcjiyodan | 2012-05-08 17:22 | Comments(0)  

長谷川氏(はせがわうじ、はせかわうじ)

江戸時代の十代将軍・徳川家治の治世時、旗本に火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた長谷川宣以(はせがわのぶため/平蔵)が居る。
小説「鬼平犯科帳」の主人公としてテレビドラマ化され、現代に知名度が高い人物である。

しかしこの長谷川宣以(はせがわのぶため/平蔵)、火付盗賊改役は四十二歳で拝命し八年間勤め上げた知行四百石の小物旗本である。

確かに大物凶悪犯グループを捕らえて庶民の評判は高かったが、幕閣に在って独断専行が多く、上司同僚の評価はイマイチで、知行の加増も出世は無かった。

ただ、長谷川氏としての知名度では宣以(のぶため/平蔵)が、現代では広く知られた存在に違いない。

ここで氏族・長谷川氏を紹介する。

長谷川(はせがわ、はせかわ)氏は、人口三十七万人強で全国三十四位の日本の氏族姓である。

本姓は中臣藤原流で、中臣姓・中原氏、藤原秀郷流藤原利仁系など幾つかの流れがある。

藤原姓の源流・中臣姓・中原氏系の長谷川氏は、大和国(奈良県十市郡)十市県主(といちあがたぬし)の裔にあたる。

藤原秀郷流・長谷川氏の家系は下野国(栃木県)の藤原秀郷系の家系であり、美濃長谷川藩、後の江戸時代の旗本である長谷川宣以(はせがわのぶため/平蔵)の家系が先祖とする流れである。

藤原秀郷系長谷川氏は、中臣鎌足の流れを汲む藤原秀郷を祖とした一族で、尾藤氏流と下河辺氏流の二系統がある。

この長谷川氏は、藤原秀郷流の主要五氏(他は青木氏、永嶋氏、長沼氏、進藤氏)の一家である。

尾藤氏流長谷川氏は、佐藤氏の分家・尾藤氏のさらに庶流にあたる。

佐藤公清の庶子・公澄の四世孫・知宗(兄・知広が尾藤氏を名乗る)の末裔で、二十二代後の宗茂が長谷川氏を名乗ったと言う。

長谷川宗茂の曾孫が長谷川宗仁で、宗仁の子・守知は一時「美濃長谷川藩(一万石)」を立てている。

この系統は守知の嫡男・正尚のとき三弟の守勝に三千百十石ほどを分与、分割相続により六千八百九十石取りの旗本となったが本家は無嗣断絶し、守勝の分家が存続した。

尾藤氏流・下河辺氏は、小山氏の一族たる下河辺氏を出自とする地方豪族である。

下河辺氏の祖たる下河辺政義の子・小川政平の末裔である。

政平の子孫・政宣が大和国長谷川に住んだ為、長谷川氏を名乗ったという。

長谷川政宣の系統は駿河国小川郷(現・静岡県焼津市)に拠り、小川法永長者と称されたとされる。

この法永長者・長谷川氏の子孫が駿河戦国大名・今川氏に仕えた。

その後長谷川正長の時、君主・今川義元桶狭間の戦いで討死した為没落、再度徳川家康に召抱えられるも三方ヶ原の戦いで討死した。

長谷川正長には正成・宣次・正吉の三子があり、正成系は千七百五十石(のち分割相続により減り千四百五十石)で江戸時代を存続した。

この家系の分家から長谷川宣以(はせがわのぶため/平蔵)が出ている。

正吉系は四千七十石(一時五百石を加増されたが分割相続により減少)で幕末に至った。

尚、三男・宣次系は四百石で続いた。

長谷川氏には、越中国(富山県)の藤原利仁系の家系の長谷川氏もある。

また、在原姓(平城天皇裔)・長谷川党も長谷川氏を名乗り、大和国式上郡長谷を発祥地とされ、法貴寺荘(現磯城郡田原本町法貴寺)を根拠地としたとみられ、長谷川党・法貴寺党とも言われる。

その他として清和源氏満政流を祖とする、今川義元に仕えた摂津清和源氏系長谷川氏の長谷川長久とその子・長谷川長綱の家系、美濃国(岐阜県)の橘氏系長谷川氏の家系が在る。

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by mmcjiyodan | 2012-05-08 00:07 | Comments(1)  

葛藤(かっとう)

現代の辞書に於いて葛藤(かっとう)の意味は、葛(かずら)がつる草の総称であり、藤もつるを有する花木である事から、もつれ合う葛(かずら)や藤の意で人と人とが譲る事なく対立する事や争いを言うと解説している。

葛藤(かっとう)を「もつれ」と読み、心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらを選ぶか迷う心的なもつれの事も言うとも解説している。

しかしその解説は、本当の歴史を知らない言語学者や歴史学者の多くが、定説に対する辻褄合わせの為に作為的に事実を見落とす愚を犯している表面的な解説に過ぎない。

我輩は、葛藤(かっとう)の意味を、大和朝廷(ヤマト王権)内部に於ける統治上の葛城氏藤原氏の激しいもつれが「葛藤(かっとう)の語源の成立要因ではないか」と考える。

大和朝廷(ヤマト王権)成立初期当時とされる特筆すべきミステリーは、有力豪族(臣王・御門)の葛城氏が、忽然と中央政界から姿を消した事こそ神武王朝から葛城王朝に「かえしね」=「返し根(根を返した)」が行われた証拠ではないだろうか?

大王家(おおきみけ/天皇家)には氏姓が無い。
何故なら、この世に唯一無二の氏姓を授ける側だからである。

葛城氏が大王家(おおきみけ/天皇家)を継いだ事で、中央からこの氏姓(葛城)が消えた事は、この氏姓を授ける側に成った事が理由であれば納得が行くのである。

当時の大王(おおきみ/帝)は神武系から皇統を受け継いだ葛城氏系であり、最有力の豪族(臣王)には中臣姓から藤原姓に替わった藤原氏が居た。

そうなればお定まりの勢力争いが、朝廷(ヤマト王権)内部に噴出しても不思議はない。

葛城氏(かつらぎ/かずらぎ)の葛(かずら/クズ)はマメ科属のつる性の多年草であり、根を用いて食品の葛粉や漢方薬が作られる漢方・葛根湯(かっこんとう)に調剤する方剤の一種類である。

その葛(かずら/クズ)の生長は凄まじいものがあり、チョットした低木林ならばその上を覆い尽くし、木から新しい枝が上に伸びるとそれに巻き付いてねじ曲げてしまう事もある。

まるで神武朝に巻き付いてねじ曲げ、秘密裏に葛城朝を起こした事を暗示させるネーミングの様ではないか?
勿論、同じつる性マメ科属の一つでフジ属・藤がライバル藤原氏であれば、両者が絡み合って政府の舵取りに「葛藤(かっとう)していた」は、講釈師並の符合である。

詳しくは小論・【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2012-05-03 19:07 | Comments(0)