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広渡寺(こうどじ)・間宮正八幡宮(まみやしょうはちまんぐう)

静岡県・函南町間宮には、浄土宗・広渡寺(こうどじ)がある。

この広渡寺(こうどじ)は、仏教の寺でありながら神社も併設されている。

この浄土宗・広渡寺(こうどじ)の神社併設の由来が、源頼朝の挙兵に関わる物語の一端を覗かせる逸話である。

源頼朝が源氏再興祈願の為に、毎夜「丑の中刻(午前2時頃)」に三島大社(三島明神)に詣でて居た。

為に頼朝は、仮の館が在った伊豆の国(いずのくに)・「蛭が小島」と「三島大社(三島明神)」の中間に在る広渡寺(こうどじ)で「時間合わせの為に仮眠休息した」と伝承される。

それにしても「丑の刻参り」とは・・・、頼朝の陰湿な執念を象徴するエピソードで在る事は間違いない。

その後平家を倒して鎌倉幕府を成立させた頼朝は、この祈願時に「世話に成った礼」として源氏の象徴である八幡神(八幡大菩薩)の神社を広渡寺に寄進した。

伝えられる「弓矢の守護神が夢 に出てきた」は後の創作だが、間宮・広渡寺(こうどじ)と頼朝の間にそれなりの縁が在った事は事実である。

頼朝は、この寄進した八幡神社に自らの尊像を彫刻して「間宮正八幡」と号して安置し、永く広渡寺の鎮守の神と崇め奉られている。

こうしたその時代(リアルタイム)に頼朝が残した建造物が存在する所から、流人中の源氏再興祈願は事実で挙兵の意志は在ったのだろう。

だが、その挙兵のタイミングが計画的だったのか、頼朝の妻・北条正子絡みの偶発だったかは定かではない。

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by mmcjiyodan | 2012-06-27 23:44 | Comments(0)  

「卵子の老化(らんしのろうか)」

現代の不妊問題に関しては、男性の「虚弱精子劣性遺伝」の問題だけでなく、現代では晩婚女性の「卵子の老化(らんしのろうか)」も問題になっている。

これは、晩婚化した現代社会が自然の摂理に逆らって居るからに他ならない。

現在の社会事情を排除すると、生物学的な人間の生殖適齢期は十五歳~二十歳が最良で、現代社会に於ける晩婚化は妊娠には不向きな大問題の側面を有している。

女性は出産の準備の為に、十歳頃から脳下垂体が子宮に指令を出して女性ホルモンを分泌し、乳房が大きくなるなど体形を女性らしくする。

女性ホルモンは寝ている時に分泌されるので、中高生の時期に睡眠を沢山採ると正に「寝る娘(こ)は育つ」で乳房の発達が良い。

つまり貧乳女性は、夜更(よふか)し遊びや勉強で発育期に睡眠時間が少なかったのが原因で、けして遺伝などでは無い。

明治期以前は、照明が発達していなかったから夜に成ると寝るしかない生活で、女性の乳房はふくよかだった。

しかし現代はこう言う時代だから、あらゆる状況で女性の発育期の睡眠時間が少なく成って居る。

そう言う事だから、俗に言う「彼氏に揉んでもらうと乳房が大きくなる」も、発育期であれば刺激に拠って脳下垂体が活性し、女性ホルモンの分泌を促す理屈かも知れない。

で、あるならば、肉体的成熟は女性ホルモンの分泌に起因し、中高生時期の発育年齢を過ぎてから幾ら刺激しても乳房は成長しない事に成る。

生き物には「種の保存」と言う最低限の使命が在り、人間の場合も母体が健康である若い内の妊娠が望まれる。

それ故に人間には、誰にでも自然体(ナチュラル)の性欲が在り、性交の快感は極自然な「神の恵み」である。

所が文明の発達と共に、人類は「生きて命を次代に命を繋げる」と言う大事な事を忘れて来た。

忘れて来た大事な事とは、自然体(ナチュラル)の群れとして生きる近隣愛の共生であり自然種の動植物や環境との共生である。

過っての日本の村落では、「夜這い制度」や「寝宿制度」、「若い衆宿」が自然体(ナチュラル)で存在し、そうした風俗習慣は明治維新まで続いた。

所が、明治新政府は、欧米列強と肩を並べるべく近代化を目指す。

維新後、政府は急速な文明開化(欧米文化の導入)を図り、為に政府が「各種の禁令」を出して伝統的な性風俗習慣は終焉を迎えている。

おおらかだった性に対する概念を欧米文化の「罪の意識」に変えた事が、建前上日本と言う国の村落から「共生社会」を取り上げてしまう。

嫌、実は地方に拠って、伝統的な性風俗習慣は終戦後の集団就職の頃まで密かに続いていた。

しかし敗戦後の欧米化は、「群れ社会」を消滅させて極端な「私権社会」に走り、「親子兄弟でさえも殺す」と言う殺伐とした社会を創造してしまった。

現に、日本独特の「共生社会」の性文化を批判した西欧文化も裏面では「不倫と売春の文化」で、その辺りを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。

つまり現代の、「この世の表面上の合意認識が、正しい生き方」だと言う確信など無いのである。

女性の妊娠に於いて、人間界の環境の変化による社会性から結婚の高齢化が進み、「卵子の老化(らんしのろうか)」が問題に成って居る。

つまり母体の高齢化は卵子の老化(らんしのろうか)を招き、「手遅れ不妊」を引き起こす大問題である。

元々生物学的に言えば十五歳以上が妊娠適齢期で、十八歳から二十歳が妊娠最盛期なのだが、べつの社会事情に拠ってその妊娠最盛期は無視される現状にある。

つまり現代社会に於いては、「卵子の老化(らんしのろうか)」に拠って妊娠し難い状況を招いている。

世界的には数ヵ国に過ぎない「二十歳以下を子供」とする日本の甘やかしの法律の上に女性の独立心や権利意識の高まりが晩婚化を高め、結果「卵子の老化」と言う笑えない状況にある。

日本独特の「共生社会」の性文化を批判した西欧文化も裏面では不倫と売春の文化で、その辺りを念頭に物事の発想を始めないと、思考の柔軟性を自(みずか)ら縛る事になる。

つまり、「現代のこの世の合意認識が、正しい生き方だ」と言う確信など無いのである。

女性の妊娠に於いて、人間界の環境の変化による社会性から結婚の高齢化が進み、「卵子の老化(らんしのろうか)」が問題に成って居る。

元々生物学的に言えば、人間は十五歳以上が妊娠適齢期で、十八歳から二十歳が妊娠最盛期なのだが、べつの社会事情に拠ってその妊娠最盛期は無視される現状にある。

何時(いつ)までも子離れしない「二十歳以下を子供」とする日本の甘やかしの法律は、世界的事例は数ヵ国に過ぎない。

その甘やかしの法律の上に女性の独立心や権利意識の高まりが晩婚化を高め、結果「卵子の老化」と言う笑えない状況に日本はある。

つまり現代社会に於いては、「卵子の老化(らんしのろうか)」に拠って妊娠し難い状況を招いているのである。


晩婚化が進み、女性の「卵子の老化」が表面化して現状では六組に一組の夫婦が不妊治療を受けている。

つまり生き物としての生態系が人間の我侭(わがまま)で無視され、人間の実社会が自然な種の保存と乖離(かいり)してしまった現状で、益々少子化に拍車がかかっている。

虚弱精子劣性遺伝と貧乏人の子沢山】に戻る。
血統至上主義(けっとうしじょうしゅぎ)】に戻る。

遺伝子関係の詳しくは・小論【ホモサピエンス(知性人)の「種の保存と遺伝子」】を参照下さい。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-06-24 19:10 | Comments(0)  

阿蘇氏(あそうじ)と甲斐氏(かいうじ)〔二〕

阿蘇氏(あそうじ)と甲斐氏(かいうじ)〔一〕】に戻る。

甲斐親直(かいちかなお/宗運)の甲斐氏の本流・菊池氏(きくちうじ)は、本姓を藤原氏とし、九州の肥後国菊池郡(熊本県菊池市)を本拠としていた一族である。

阿蘇氏家老職・甲斐氏は、鎌倉時代末期、菊池武房の子・武本(武村とも)が一族の内紛から甲斐都留郡(現山梨県)に逃れて住んだ肥後国・菊池氏の支流で、九州に戻って日向国高千穂に土着し、阿蘇氏重臣となった一族だった。

菊池武本(武村とも)の子孫・重村は南北朝初期足利尊氏に従って九州に下向し、甲斐氏を称して千三百三十八年(延元三年)、大友氏の援軍とともに肥後へ進出した。

しかし、南朝方の菊池武重に敗れて日向縣(あがた)に土持氏(つちもち)を頼って逃れ、後に高千穂鞍岡(現、五ヶ瀬町内)に土着して同地の国人となった。

千五百十四年頃の戦国時代、藤原菊池流・甲斐親宣(かいちかのぶ)は、日向国高千穂・鞍岡の国人領主だった。

千五百十七年(永正十四年)に前阿蘇大宮司・阿蘇惟豊(あそこれとよ)が菊池武経(きくちたけつね)との争いに敗れ肥後から落ち延びて来ると、親宣(ちかのぶ)はこれを助け、矢部浜の館に復させ領主復権に成功させる。

以後、甲斐親宣(かいちかのぶ)は阿蘇家の筆頭家老として活躍し、その継嗣・甲斐親直(かいちかなお/宗運)も阿蘇家の家老職を継承する。

阿蘇家当主・阿蘇惟豊(あそこれとよ)は豊後・大友氏と盟友関係に在った為に島津氏の肥後征討の目標となり、惟豊の死後阿蘇大宮司に背く内通者が現れる。

阿蘇家々老職・甲斐親直(かいちかなお/宗運)は、島津氏に内通した肥後益城郡・御船房行(みふねふさゆき)を益城郡の御船城に攻め落とす。

甲斐親直(かいちかなお/宗運)は御船城主となり、幼主・惟光(これみつ)を筆頭家老として軍事外交両面に於いて補佐し、僅かに阿蘇家の命脈を維持するも、親直(ちかなお/宗運)亡き後は、千五百八十五年(天正十三年)島津氏に降伏した。

尚、この甲斐氏(かいうじ)の当主の一人に、後ほど御紹介する「鬼八伝説(きはちでんせつ)」に於ける神代の時代からの伝承に基づき生身の乙女を供する事が続けられて居た「人身御供」を戦国時代に止めさせたのが、甲斐宗摂(かいそうせつ/宗運の庶子)の命令である。

以後、甲斐氏姓は肥後、日向、豊後、薩摩の各地に拡大し、江戸時代に延岡市に居城を構えた旧内藤藩領内の西臼杵郡高千穂町や五ヶ瀬町を中心とした宮崎県北部から、熊本県の阿蘇の外輪山一帯、大分県南部の九重連山付近にかけて、非常に多く分布している。

豊臣秀吉九州平定後阿蘇氏は、熊本城主・佐々成政を頼るも、後に国人一揆によって佐々成政は秀吉から切腹を命じられ、肥後の領主は加藤清正に代わったが、清正の朝鮮出兵中に、惟光(これみつ)は謀叛の嫌疑を受け阿弥陀寺で殺害された。

清正は帰国後、惟光(これみつ)の弟・惟善(これよし)に封土(神社領)を与え、大宮司職を復させた以後は代々阿蘇神社社家として存続し、明治に至り男爵を授けられ華族に列した。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2012-06-20 23:30 | Comments(0)  

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)〔一〕

加賀前田氏の本宗家流とも言える荒子・前田氏に、前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)を名乗る武将が居た。

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)は戦国時代の武将で、近年彼を主人公にした著作や漫画の主人公に使われて有名に成る。

この前田慶次郎(まえだけいじろう)伝説も、宮本武蔵伝説と同様に創作部分が多く、信憑性に欠けるが、娯楽性を加味した「格好が良い傾き者(かぶきもの)伝承」がドンドンと膨らんでいる。

但し現実の前田慶次郎(まえだけいじろう)は、周囲を小馬鹿にするような破天荒な行動の伝承が目立つばかりの武将で、武門として歴史に影響を与えるほどの成果はない。

それでも、格別に信頼が置ける前田慶次郎(まえだけいじろう)の資料が無いまま、名声が上がって行く傾向は、ヒーロー伝説が好きな庶民のささやかな娯楽の対象である。

言ってみれば、宮本武蔵は、自伝自称型英雄であり、前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)は作家創造型の娯楽英雄と言える。

前田慶次郎(まえだけいじろう)の実父は織田信長の重臣・滝川一益の一族とされるが、比定される人物は一族の中で諸説有り未確定である。

滝川一益は、近江国甲賀郡の国人の出自と言われていて、信長の乳兄弟・池田恒興と同族(従兄弟)とされる場合もある。

慶次郎利益(けいじろう・とします)は荒子・前田家の長子・利久の養子となり、本来なら前田家の当主に納まる筈だった。

慶次郎利益が養子に入った前田家は、実家・滝川家同様に織田信長の尾張織田家に仕えて居た。

千五百六十年(永禄三年)、前田家当主・利春が死去し前田家の家督は長子・利久が継いで居た。

所が千五百六十九年(永禄十二年)に、突如、お館様(主君)・信長から利春の四男・前田利家が兄に代わって前田家の家督を継ぐように命じられる。

養父・利久(荒子城主)が病弱で、「戦奉公に御無沙汰」の状態に在った事が理由と成り、前田家当主の座を四男・前田利家に譲らされてしまう。

後に加賀百万石の藩祖となった前田利家は荒子城主・前田利春の四男で在ったが、織田信長に近習(小姓)として仕え頭角を現し、信長の衆道相手としても可愛がられた。

この頃から前田利家は、近習(小姓)旗本・赤母衣衆として信長の本隊として従軍、槍の名手だった故「槍の又左」の異名をもって怖れられる。

この為、慶次郎利益(けいじろう・とします)は養父に従って荒子城から退去したとされるも、養父・利久はその後も利家とともに織田家に仕えた。

千五百八十一年(天正九年)頃、大きく支配地を広げる織田信長の元で累進し能登国一国(二十三万石)を領する大名となった前田利家を頼り仕える事になる。

前田利家から甥に当たる利久に二千石、その養子・慶次郎利益(けいじろう・とします)には五千石を与えられている。

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)〔ニ〕】に続く。

★主な安土桃山時代の大名家・代表的当主など一覧は【安土桃山時代(あづちももやまじだい)】を参照下さい。

第三巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2012-06-19 00:46 | Comments(0)  

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)〔ニ〕

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)〔一〕】に戻る。

前田利家の能登・前田家に仕官した前田利久とその養子・慶次郎利益(けいじろう・とします)は、親子で都合七千石を与えられ、利家に従って転戦していた。

千五百八十二年六月二十一日(天正十年六月二日)、京都に宿泊していた織田信長を家臣・明智光秀が襲い信長を自刃させる「本能寺の変」が起きる。

織田信長四天王(柴田勝家羽柴秀吉丹羽長秀滝川一益)の一人・滝川一益は、「本能寺の変」当時は上州上野国群馬郡・厩橋城(前橋城)に在って関東に一大勢力を築いていた北条氏と対峙していた。

真田家の史料「加沢記」記述では、この時に慶次郎利益(けいじろう・とします)は、滝川勢の先手となっている。

千五百八十四年(天正十二)の小牧・長久手の戦いでは、慶次郎(けいじろう)は佐々成政に攻められた末森城の救援に向かう。

その際に、佐々方から寝返った阿尾城の城代に利家に任じられ、同城奪還に向かった神保氏張らの軍勢と交戦する。

千五百八十七年(天正十五年)八月、義父・利久が没した事により慶次郎(けいじろう)の嫡男・前田正虎が利家に仕え、利久の封地ニ千石をそのまま給された。

千五百九十年(天正十八年)三月、豊臣秀吉小田原征伐が始まると主君・前田利家が北陸道軍の総督を命ぜられて出征する事になった。

慶次郎利益(けいじろう・とします)もこれに従い、次いで利家が陸奥地方の検田使を仰付かった事により慶次郎利益(けいじろう・とします)もまたこれに随行した。

しかし陸奥地方の検田使随行以降、慶次郎(けいじろう)が利家と仲違いした為、又は養子と言う事で利久の死を契機に縁が薄くなった事によって前田家を出奔する。

尚、嫡男・正虎を始め妻子一同は、この時慶次郎利益(けいじろう・とします)に随行せず加賀前田家に残って義理の従兄弟にあたる初代藩主・前田利長、次いで二代藩主・前田利常に仕えた。

出奔した慶次郎利益(けいじろう・とします)は京都で浪人生活を送りながら、里村紹巴・昌叱父子や九条稙通・古田織部ら多数の文人と交流したと言う。

ただ慶次郎(けいじろう)は、歌人「似生」として千五百八十二年(天正十年)には既に京都での連歌会に出席した記録があり、出奔以前から京都で文化活動を行っていたと考えられている。

その後、慶次郎利益(けいじろう・とします)は、上杉景勝とその執政・直江兼続の知遇を得て、上杉氏に仕官している。

仕官したのは、景勝が豊臣秀吉に越後から会津百二十万石に移封された千五百九十八年(慶長三年)から関ヶ原の戦いが起こった千六百年(慶長五年)までの間の事である。

慶次郎利益(けいじろう・とします)は、新規召し抱え浪人の集団である組外衆筆頭として千石を受けた。

慶次郎利益(けいじろう・とします)の人物評として、周囲を小ばかにする言動の逸話が散見され、けして出世に媚びない所が彼の魅力と見られていた。

しかし出世に媚びない所が、慶次郎利益(けいじろう・とします)を中の下、千石~五千石位の武将の地位に止まらせたのかも知れない。

関ヶ原の役に際しては、主君・上杉景勝が石田三成に呼応して西軍として立ち、徳川家康を奥州まで呼び寄せる作戦を実行する。

慶次郎(けいじろう)は「西軍の上杉景勝が東軍の最上義光を侵攻した慶長出羽合戦・長谷堂城の戦いに出陣し、功を立てた」とされる。

だが、慶次郎(けいじろう)の奮戦空しく西軍は敗退し、主家・上杉氏が三十万石に減封され米沢に移される。

関ヶ原の役の戦後処理により、上杉氏が三十万石に減封され米沢に移されると、慶次郎(けいじろう)はこれに従って米沢藩に仕える。

米沢近郊の堂森(現、米沢市万世町堂森)で、「慶次清水と呼ばれる」所に隠棲し、千六百十二年(慶長十七年)六月四日に隠棲の地・堂森で没している。

前田慶次郎(まえだけいじろう/利益・とします)〔一〕】に戻る。

★主な安土桃山時代の大名家・代表的当主など一覧は【安土桃山時代(あづちももやまじだい)】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-06-19 00:43 | Comments(0)  

吊橋効果(つりばしこうか)

人間は、大別して「理性」と「感性」の二つを複雑に共存させながら生きている。

その「理性」と「感性」の内の「感性部分」を心理学的に考えて見る。

人間の心理的部分に「感性」が影響し、つまりあらゆる意味で人間は「感性」に影響されて生きているから「理性」で割り切れない錯覚の世界を構築して生きて来た。

「吊橋効果(つりばしこうか)」のキーワードは心理的な「恐怖の興奮」で、誤認心理効果(錯覚)として、女性を口説くなら「吊橋の上が良い」と言う。

「吊橋効果」とは、不安や恐怖、危機感を共有する事で脳部位・側坐核(そくざかく/脳部位)が働いてドキドキ感を「恋」のトキメキ(生理的興奮の認知)と誤認して親近感が湧き、好意的な感情が芽生える心理効果である。

「吊橋効果」について少し広げて考えると、ジェットコースターやバンジージャンプなどの恐怖感も、その「ドキドキ感」が異性を感じるトキメキ感覚(生理的興奮の認知)に似ていて、つまり恐い物体験が一種の娯楽になる。

お化け屋敷や恐怖スポットのデイトも、「吊橋効果が見込める」と考えれば、恋の成就も期待できる訳である。

不倫の原理は典型的な「吊橋効果」で、つまり吊橋の恐怖感のドキドキ感と不倫の背徳感のドキドキ感が「恋」のドキドキ感と誤認混同され脳に認知される。

つまり、「ドキドキ感」の必要性は「種の保存」の為の「性交相手の選択行為」として「惚れる為」に存在する。

その「惚れる為に発生」し、脳内処理されるホルモン物質、フェール・エチル・アミンの作用である。

一瞬の「惚れる」はドキドキ感と伴に脳内に発生する為、ホルモン、フェール・エチル・アミンの作用で脳に生理的興奮の認知をされる。

フェール・エチル・アミンは、所謂「恋の病」とされる原因の脳内ホルモンで、「好みの相手である」と認識すると、それに集中力や快感を倍増させて強力に後押しする。

また、ペット(愛玩動物)を一目で「可愛い」と惚れ込むのにも何かの脳の働きが在り、それを今までは自然な反応と理解して来た。

しかしその現象には勿論裏付けが在り、つまりその原因こそはこの脳内ホルモン・フェール・エチル・アミンの効果である。

同様に、芸能アイドルに対して憧れや擬似恋愛感情を持つ事も、フェール・エチル・アミンの作用である。

また芸能そのものも、「感性」の発露で有る事に違いは無い。

そして「惚れる」と同様の「ドキドキ感」をもたらす不安や恐怖などでフェール・エチル・アミンの誤認心理効果と深く関わる脳部位が「側坐核(そくざかく/脳部位)」である。

「吊橋上の口説きが極めて有効である」と同様に不倫には不安が伴い、誤認心理効果(錯覚)の「トキメキが付きまとう」と言う理論である。

そしてそれらは、平凡な日常生活に不安や不満を感じれば殊更大きな誘惑に膨らんで行く夫婦間のリスクなのだ。

恐怖で支配された状況に於いて、 犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより協力・信頼・好意で対応する方が生存確率が高くなる為に防衛的に発生する心理的反応を「ストックホルム症候群」と言う。

「ストックホルム症候群」については「吊橋効果とは若干違う誤認心理効果(錯覚)」と言う意見も在る。

だが、恐怖で支配された状況に於ける恐怖のドキドキ感を脳内で処理する時点で、恐怖を善意に転化する機能が人間に在っても不思議ではない。

或いは、「文化としての歴史」は、言い換えれば「感性の歴史」であり、感性の歴史ではこの「吊橋効果」が大きく影響している。

実は、「吊橋効果のドキドキ感」を利用したものに、恐怖感を煽(あお)って信仰を深めさせる手段がある。

信仰とは未知の恐怖から発生した架空の物語である。

しかしながら、それを信じて真理的に救われる多くの人々が居る事も事実である。

生き行く為に不安や恐怖感が信仰に結び付くメカニズムは、即ち未知の恐怖には不思議な力を持った存在(神仏)に頼るしかない。

まぁ占いも信仰も、人間としての月日を過ごすには「必要な心理効果」と言う一面も存在する事は事実だ。それで信仰と言う「誤認心理効果(錯覚)」は、「感性部分」に於いてヒューマン(人間らしい、人間味、人間的)としての魂(たましい)の拠り所になる。

詳しくは【吊橋効果(つりばしこうか)の心理を検証する】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-06-03 21:10 | Comments(0)