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千姫事件(せんひめじけん)

父は二代将軍・徳川秀忠、母は継室の浅井江の下に長女として、千姫(せんひめ)は山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。

千姫(せんひめ)は千六百三年(慶長八年)に七歳で豊臣秀頼と結婚し、大野治長(おおのはるなが)の母で千の乳母の刑部卿局と伴に大坂城に入る。

その後豊臣家と徳川家は対立し、千六百十五年(慶長二十年)の大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。

この時千姫(せんひめ)は十九歳、秀頼との間に実子は無かった。

この救出時、家康は「千姫を助けた者に千姫を与える」と述べたとされ、千姫事件(せんひめじけん)の火種とされる。


大坂夏の陣の大坂城落城後、元号を元和(げんわ、げんな)に変え同千六百十五年は元和元年に改められる。

千姫(せんひめ)は大坂城落城の翌年、千六百十六年(元和二年)桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚する。

この時、津和野藩主・坂崎直盛(坂崎出羽守/宇喜多忠家の長男)が輿入れの行列を襲って千姫(せんひめ)を強奪する計画を立てている事が発覚し、直盛は自害(もしくは家臣により殺害)、坂崎氏は改易処分となった。

坂崎直盛は家康の依頼を受け、火傷を負いながら千姫(せんひめ)を救出したにも関わらず、その火傷を見た千姫に拒絶された事で千姫奪取計画を立てる事件を起こしたと言われている。

この辺りは俗説多く、直盛の火傷には疑問があり、家康が「千姫(せんひめ)を助けた者に千姫を与える」と述べた事実はあるが、特に直盛に依頼した訳ではないとされる。

またこの救出劇、実際には千姫(せんひめ)は豊臣方の武将である堀内氏久に護衛されて直盛の陣まで届けられた後、直盛が秀忠の元へ送り届けたとする説が有力とされる。

つまり坂崎直盛は、決死の働きで千姫(せんひめ)を救出したのでは無く「脱出して来た千姫一行にめぐり合っただけ」と言う事に成る。

別の説として、秀頼死後に寡婦となった千姫(せんひめ)の身の振り方を家康より依頼された直盛が、公家との間を周旋し、縁組の段階まで話が進んでいた。

処が突然、直盛に話が無く姫路新田藩主・本多忠刻との縁組が決まった為、面目を潰された直盛が千姫奪回計画を立てたと言われる説も在る。

この千姫(せんひめ)を強奪する坂崎直盛の計画は幕府に露見、幕府方は坂崎の屋敷を包囲して、直盛が切腹すれば家督相続を許すと持ちかける。

だが、主君を切腹させる訳にはいかないと家臣が拒否した為、幕閣の甘言に乗った家臣が直盛が酔って寝ているところを斬首したとも伝わる。

他にも、立花宗茂の計策により、柳生宗矩の諫言に感じ入って自害したとも言われており、柳生家の家紋の柳生笠(二蓋笠)は坂崎家の家紋を宗矩が譲り受けたとも伝わっている。

大名の坂崎氏は、この騒動の結果断絶したが、次男・重行の孫・中村家初代の中村重豊が中村氏として坂崎氏の血脈を繋いだ。

千姫(せんひめ/天樹院)】に戻る。

第四巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2013-07-27 11:38 | Comments(0)  

大宰府(だざいふ)

大宰府(だざいふ)は和名を「おほ みこともち の つかさ」とされ、別名を「総領(そうりょう)」とも呼ばれた。

大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、言わば広地域地方行政長官である。

大宝律令以前、広地域地方行政府は吉備大宰(六百七十九年/天武天皇八年)、周防総令(六百八十五年/天武天皇十四年)、伊予総領(六百八十九年/持統天皇三年)などが在った。

しかしこれらの広地域地方行政府は大宝令の施行とともに廃止され、七世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関「大宰の帥(大宰府)」のみが残された。

九州の大宰府は、七百一年の大宝律令に拠って政府機関として確立したが、他の大宰は廃止され、一般的に「大宰府」と言えば九州のそれを指すと考えて良い。

大宰府(だざいふ)は、大宝令の施行以前に於いて「筑紫総領(つくしそうりょう)」とも表記されているが、多くの史書では太宰府と記され、現在でも地元は太宰府「だざいふ」を使っている。

現在、遺跡は国の特別史跡とされ、その想定範囲は現在の太宰府市及び筑紫野市に当たる。

なお現在の史跡は、地元では「都府楼跡(とふろうあと)」或いは「都督府古址(ととくふこし)」などと呼称される事が多い。


平城宮木簡には「筑紫大宰」、平城宮・長岡京木簡には「大宰府」と表記されており、歴史的用語としては機関名である「大宰府」という表記を用いる。

都市名や菅原道真(すがわらみちざね)を祀る神社・太宰府天満宮では「太宰府」と言う表記を用い、単に「宰府」と略す事もある。

長官は大宰帥(だざいのそち)と言い従三位相当官、大納言・中納言クラスの政府高官が兼ねていた。

平安時代には皇統の親王が任命されて実際には赴任しないケースが大半となり、次席である大宰権帥(だざいのごんそち)が実際の政務を取り仕切った。

帥(そち)・権帥(ごんそち)の任期は五年だったが、道真(みちざね)の様に大臣経験者が大宰帥(だざいのそち)に左遷された場合は実務権限は無かった。

関連記事
菅原道真(すがわらみちざね)】に飛ぶ。
律令制に於ける官職】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2013-07-24 15:46 | Comments(0)  

惣国制(そうこくせい/国人衆合議に拠る自治)

室町後期から戦国初期の大乱の時代に、大名領主が力を失った地域で有力国人衆(地侍)が「惣(そう)」と呼ばれる合議に拠る自治共同体を形成したのが惣国制(そうこくせい)である。

言い換えれば、惣国制(そうこくせい)とは、大名領主を仰がずに在地領主権を守る為に団結した国人衆(地侍)による合議政治の統治形態を言う。

惣国内は国人衆の代表数人に拠る合議で統治し、その基本は独特の自治共和体制の「多分の儀(多数決)」だった。

惣国制(そうこくせい)は守護大名戦国大名にとっては、支配が及ばない御し難く(ぎょしがたく/制御しづらい)厄介な存在だった。

有力国人衆(地侍)の合議に拠る自治は大名との軋轢を生み、更に惣に結集した民衆も参加、山城国一揆(山城惣国一揆)、伊賀惣国一揆、紀州惣国などに発展する。

そしてこの惣国(そうこく)に信仰が絡んだものが、各地で勃発し織田信長を苦しめた一向一揆であり、豊臣秀吉に大戦(おおいくさ)を強いた紀州惣国などである。

長島一向一揆(ながしまいっこういっき)
越前・加賀一向一揆(えちぜん・かがいっこういっき)
一向一揆(いっこういっき)・石山合戦(いしやまかっせん)と顕如(れんにょ)上人

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by mmcjiyodan | 2013-07-19 09:38 | Comments(0)  

鳥羽天皇(とばてんのう/後に上皇・法皇)

第七十四代・鳥羽天皇(とばてんのう)は、第七十三代・堀河天皇と贈皇太后(藤原苡子)の皇子である。

子に崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇が居るが、「古事談」の記述では崇徳天皇(すとくてんのう)を第七十二代・白河天皇の実子としている。

千百三年二月(康和五年)に生まれた鳥羽天皇(とばてんのう)は、生後間もなく母・苡子が没した為、祖父の白河天皇(法皇)の下に引き取られて養育された。

鳥羽天皇(とばてんのう)は、誕生から七ヶ月で立太子され、父・堀河天皇の死後、五歳で即位、政務は白河法皇が執る。

千百十七年(永久五年)、鳥羽天皇(とばてんのう)十四歳の時に、白河法皇の養女である十六歳の藤原璋子(ふじわらのしょうし/待賢門院)が入内する。

翌千百十八年に鳥羽天皇(とばてんのう)は藤原璋子(ふじわらのしょうし)を中宮とし、以後五男二女を儲けるも長子・崇徳には白河天皇の実子説在り。

白河法皇が政務の実権を握り続ける中、千百二十三年(保安四年)二十歳の鳥羽天皇(とばてんのう)は長子とされる崇徳天皇(すとくてんのう)に皇位を譲位する。

この崇徳天皇(すとくてんのう)への譲位は、白河法皇が実権を握り続ける為に鳥羽天皇(とばてんのう)を退位させたとされている。

千百二十九年(大治四年)白河法皇が崩御し、今度は鳥羽上皇が二十六歳にして漸く院政を敷き政務の実権を握る。

鳥羽上皇は、白河法皇に疎んじられて謹慎して居た摂関家・藤原忠実(ふじわらのただざね)を呼び戻して娘の泰子(高陽院)を入内させるなど、院の要職を自己の側近で固める。

さらに鳥羽上皇は、故・白河法皇の後ろ盾を失った中宮・璋子にかわり、藤原得子(ふじわらのなりこ/美福門院)を寵愛して、崇徳天皇を退位させ、所生の皇子・体仁親王(なりひとしんのう/近衛天皇)を即位させる。

鳥羽上皇は崇徳、近衛、後白河の三代二十八年に亘り政務の実権を掌握し、千百四十二年(康治元年)には東大寺戒壇院にて受戒し、法皇となった。

鳥羽法皇は皇后・美福門院に動かされて崇徳上皇を疎んじ為それを原因として、法皇の崩御の直後に保元の乱が勃発する。

関連記事
院政政治(いんせいせいじ)】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2013-07-11 03:09 | Comments(0)  

AID不妊治療と種の保存

子が欲しい夫婦に於いて、不妊治療に非配偶者間人工授精(AID)と言う夫以外の精液を使用して妊娠する方法がある。

不妊の原因が夫に避けなければならない遺伝子がある場合、夫が無精子症で全く精子がない時やそれに近い条件の時、血液型の不適合、手術・薬剤による射精 異常である場合などがAID不妊治療の対象になる。

現代でこそ医療技術が向上して人工授精が施術可能に成った。

だが、昔はそうした事は望むべきも無いから、「暗闇祭り」とかで相手不詳の子種を得るしか方法が無かった。

そこで頼りとしたのは、官人接待(かんじんせったい)と神前娼婦(しんぜんしょうふ)に見る神社の信仰だった。

昔の不妊に於いてはこうした神社絡みで神から授かる方法意外に不妊対策は無く、それを現代の倫理感で推し量るものでは無い。

性行為と人工授精施術の違いこそ在れ、「子を授かる」と言う究極の結果としてはさほど差が無いとも受け取れる。


人はその生き方に於いて幾通りの選択枝があり、そのどれが幸せな生き方かは本人がその生き方を省(かえり)見た時に初めて結果として知るものである。

その点では、相手不詳の子種を天の授かりものとして、その夫婦が我が子を得る事にギリギリの選択枝だった。

もっとも、現代に於ける女性も中々の物で、信頼出来る日本の政府機関の統計に依ると夫婦間に出来た筈の子供の二十五人に一人は「夫との子供では無い」と言うデーターがある。

勿論、建前では在っては成らない事だが、現実に数字は存在する。

こんな事を書くと大きな反発があるだろうが、それは女性側にした所で平凡な日常生活ばかりの人生は安全かも知れないが退屈で心が乾き切ってしまう。

本音では、日常の平凡な人生を長々と送ってそのまま朽ち果てるよりも、贅沢かも知れないが時々シュール(奇抜)な刺激が在る方がストレスを発散できる。

つまり女性も、本能的には絶えず優秀な「子種」を求めて機会を伺って居るのが偽らない自然な姿である。

詳しくは・小論【ホモサピエンス(知性人)の「種の保存と遺伝子」】を参照下さい。

詳しくは・小論【暗闇祭りの歴史認識】を参照下さい。

第五巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2013-07-06 11:09 | Comments(0)  

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)

日本神話に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は姫と付くから女神で、姫が尊称であれば、コノハナノサクヤ(木花開耶)までが名前である。

このコノハナノサクヤ(木花開耶)の別表記として「古事記」では木花之佐久夜毘売、「日本書紀」では木花開耶姫と表記する。

また、「古事記」では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、「日本書紀」では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。


この木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、天照大神(アマテラス)の孫である天孫・ニニギノミコトの妻とされる。

そして長寿の神々と比べ、天孫ニニギノミコトとその子孫の天皇の寿命が神々ほどは長くない理由をこう伝えている。

九州南部に勢力を持っていた隼人族(ポリネシア系縄文人)のオオヤマツミを父に持つ木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、日向国に降臨した天照大神の孫・天孫ニニギノミコトと、笠沙の岬(鹿児島県川辺郡笠沙町にある野間岬)で出逢い求婚される。

この出会い伝説は、宮崎県、鹿児島県内にも伝説地が存在する。

咲耶(さくや)の父・オオヤマツミは、ニニギノミコトの求婚を喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出した。

処が、ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを送り返し、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とだけ結婚する。

オオヤマツミはこれを怒り、

「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギノミコト)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約(うけい)を立てたからで、コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」

と告げたとされる。

つまり「記紀神話(天孫降臨)」では、天皇の寿命が人間に近い訳を天孫であるニニギノミコトがイワナガヒメを娶らなかったからと理由付けているのだ。


此処で筆者が指摘したいのは、「天孫降臨伝説」に於ける「誓約(うけい)」の解釈でである。

記紀神話では「誓約(うけい)」を「占い」と記述している事だが、筆者の解釈では「誓約(うけい)」は男女の性交を通じた部族和解の神事と解釈している点である。


木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は一夜で身篭るが、ニニギは国津神の子ではないかと疑った。

咲耶(さくや)は疑いを晴らす為、誓約(うけい)をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦、山稜は宮崎市村角町の高屋神社)の三柱の子を産んだ。

この三柱の内、ホオリの孫が初代大王(天皇)の神武大王(じんむおおきみ・天皇/ヤマト・イワレヒコ)である。


勿論、弥生期以降の富士山について、日本神話に登場する天照大神(アマテラス)の孫である天孫ニニギノミコトの妻・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の神話が、富士山信仰の主役である。

富士山信仰の主神とされる「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」には「カムアタン」の古事記・別称があり、カムアタンのアイヌ語訳は「今座る神」、つまり現人神(あらひとがみ)である。

現人神(あらひとがみ)・「カムアタン」の出自は、薩摩国阿多郡阿多郷の阿多隼人の出身であり、「その首領の娘」と言うポリネシア系縄文人の意味を持つ。

「アタン」は、ポリネシア系縄文人が薩摩隼人として定着(座)した薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市金峰地区周辺)の事の表現であるとされている。

そして隼人族は、征服渡来部族以前から九州南部に勢力を持ったポリネシア系縄文人の有力部族だった。


木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約千三百社の浅間神社に祀られている。

火中出産の説話から、咲耶(さくや)は火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」を譲られる。

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は富士山に鎮座して祀られるようになり、東日本一帯を守護する事となった。


ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は水の神であり、噴火を鎮める為に富士山に祀られたとしている。

また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされており、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)にちなんで桜の木をご神木としている。

富士山麓忍野八海の湧池は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)にゆかりの池として、毎年行う木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の祭りで神輿をこの池の水で洗い浄める。

さらに、ホオリらが産まれた時にオオヤマツミが狭名田(現在の鹿児島県霧島市)の茂穂をもって、今日の甘酒とされる天舐酒(アマノタムケザケ)を造ったとの説話がある

この説話から、オオヤマツミはサカトケノカミ(酒解神)、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)はサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて、酒造の神ともされる。

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、浅間神社の他、安産や子育ての神として子安神社(皇大神宮所管社、東京都八王子市など)に、祀られている。

また咲耶(さくや)は、酒解子神として梅宮大社(京都府右京区)に、また、伊都国の中心とされる福岡県糸島市三雲の細石神社にも姉のイワナガヒメと共に祀られている。

関連記事
小論・【世界文化遺産・富士山名称の謂(いわ)れ】を参照下さい。

小論・【天孫降(光)臨伝説と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)】を参照下さい。

第一巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2013-07-02 20:54 | Comments(0)  

富士山の名称の謂(いわ)れ〔一〕

日本人が、何処まで富士(フジ)の名称の謂(いわ)れを知っているだろうか?

富士の語源について、単純にポリネシア系縄文人(アイヌ)語で「噴出する所(火の山)」を指す「ふんち(噴地?)=(フジ)」が最有力である。

筆者が富士山の(フジ)について、ポリネシア系縄文人の言語として「噴出する所」と紹介したところ「何それ?」とにべも無く切り捨てた方が居た。

勿論、「何それ?」と切り捨てただけで全く反論の論証は無く、筆者の「WEBサイトが読み難い」と指摘しただけである。

そう言う方は、日本史の縄文期を切り捨てた弥生期以降の「天孫降臨伝説」の定説しか念頭に無い、日本史に於いて稚拙な方だと想う。

しかし「天孫降臨伝説」は、中華文明を携えて朝鮮半島を経由或いはダイレクトに大陸から渡来し、列島を強引に支配した弥生期以降の渡来人達の支配の為の捏造神話である。

いずれにしても、日本史には虚と実が混在している。

例えば、七百十二年編纂の古事記や七百二十年編纂の日本書紀は、かなり後世に編纂された物である。

勿論統治者の正当性を誇示し民衆の支持を得るのが目的だから、当時の統治者の都合の良い様に捏造された。

つまり先住民(蝦夷族/ポリネシア系縄文人)への迫害の歴史など、古事記・日本書紀で覆い隠してしまった。

その記紀神話(古事記・日本書紀)を基に構築された神社の由緒書きを「古文書」として採り、先住民(蝦夷族/ポリネシア系縄文人)の痕跡を頭から否定するのは無知以外の何者でもない。


ここで問題なのが、ネイティブジャパニーズ・日本列島固有の原住民族・先住蝦夷族(エミシ族)/縄文人の存在が、天孫降臨伝説で来征服部族に拠って「抹殺された歴史だ」と言う事である。

日本列島は、樺太から来た原人稲作縄文人渡来と混合した弥生人を経て大和民族(ヤマト民族/日本人)の成立を見る。

ここから先は完全に仮説だが、可能性があるので記述して置く。

大和朝廷に於ける貴族・土御門安倍氏が、恭順した蛮族(あくまでも朝廷側の言い分・エミシ族)の指導者であり、珠流河国造の少し前、シャーマン的指導力を持つエミシ族の長「火(アピェ・ape)」が、駿河国安倍郡辺りに「勢力を有していたのではないか」と考えないと、安倍を冠する地名が、静岡県の中部に存在した理由は思い当たらないのである。

安倍川が極古い時代の「蝦夷(えみし)族と渡来氏族の勢力境界線であった」とすれば、富士山の名の由来も理解出来る。

前述したがアイヌ語で「フジ(huji)」は 「噴出する所」と言う意味である。

良く、富士山の事を「不死の山」と充てて信仰の対象にしているが、富士の語源がアイヌ語の「フジ(huji)」であれば、活火山として「噴出する所」・・即ち富士の山ではないだろうか?

アイヌ語の単純な火は「火(アピapi)」であるが、アイヌ語の「火の神」の火は「火(アピapi)」を使わず「火(フチfuti)」である。

火の神 (カムイフチkamuifuti)の火(フチfuti)が「火山=火の神」の言語生成図式ならば、「噴出する所(フチfuti)=火の神の火(フチfuti)」が成り立つのである。

渡来氏族の「あれを何んと呼ぶ?」と言う問い掛けへの蝦夷(えみし)族の答えが、「フジ(huji・噴出する所)」であった可能性は極めて高くなる。

つまり、アピェ(ape・火の意)のカムイ(kamuy・神)が、フジ(huji・噴出する所)・・・「活火山富士山」と解する事ができるのである。

そして、恭順合流した先住蝦夷(エミシ)の族長一派が「火(アピェ・ape)」を名乗るからこそ、後の俘囚長、東北の「安倍氏」が存在するのではないのだろうか?

この辺りの経緯については、政治的配慮からか、七百十二年編纂の古事記や七百二十年編纂の日本書紀にはまったく記述はない。

富士山の名称の謂(いわ)れ〔二〕】に続く。

第一巻】に飛ぶ。
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by mmcjiyodan | 2013-07-02 04:20 | Comments(0)  

富士山の名称の謂(いわ)れ〔二〕

富士山の名称の謂(いわ)れ〔一〕】に戻る。

縄文期については、渡来征服部族に拠って抹殺された歴史でもある。

日本語のルーツを調べて見ると明白だが、日本語の音読み訓読みは渡来部族とアイヌ(縄文)語の翻訳機能である。

稲作縄文人の末裔とされるアイヌ人(蝦夷族/アイヌ族)のアイヌ語で「フジ(huji)」は 「噴出する所」と言う意味である。

この「フジ=噴出する所」を真剣に受け止める気が無い者は、ヌシロ(能代)やアギタ(秋田)などの本州アイヌ語地名に関しても同様で、疑問視してしまう。


なにも「富士(フジ)」の名称だけが、稲作縄文人の言葉では無い。

例えば日本武尊(ヤマトタケルノミコト・倭建命)が詠んだと伝えられる歌に「大和(やまと)のまほろば(マホロバ)」と言う表現の「まほろば(マホロバ)」も、実は稲作縄文人の末裔とされるアイヌ語・ポリネシア系縄文語である。

伊豆半島・土肥(どい/とい)の旧発音表記は「どひ」で、土匪(どひ)や奴婢(どひ/ぬひ)にも通じる。

勿論ではあるが、何しろ先住民を「土蜘蛛」と呼んだ征服氏族(渡来民族)の事である。

土匪(どひ)や奴婢(どひ)は支配階級を得た征服氏族(渡来民族)が野蛮と決め付けて、先住縄文人(蝦夷族/アイヌ族)に対して勝手に文字を当て嵌めたものである。

実は、伊豆半島各地の地名には縄文人(蝦夷族)の言葉に符合するものが多であり、伊豆半島に「縄文人(蝦夷族/アイヌ族)が住んでいた」と言う推測が成り立つ。

アイヌ語で「トピ=素晴らしい土地」と言う言葉があり、土肥の先住民が縄文人(蝦夷族/アイヌ族)であれば、肥沃な土地を「トピ」と称し「トピ」と言う言葉が転じて「土肥(とひ)」に成った」と言う説に符合する。

縄文人(蝦夷族/アイヌ族)の存在を否定して掛かる者は、天武大王(てんむおおきみ/第四十代)から桓武天皇(かんむてんのう/第五十代)に掛けて征服氏族の列島渡来と先住縄文人(蝦夷族/アイヌ族)の迫害の歴史を日本史から消し去る意図を持って編纂された古事記日本書紀の捏造歴史観しか持ち合わせて居ない事になる。

つまり日本史に於けるの「天孫降臨伝説」のアンカリングを引き摺って居ては、縄文期からの継続的日本古代史は何時までも途切れる事になる。


勿論、弥生期以降の富士山について、日本神話に登場する天照大神(アマテラス)の孫である天孫ニニギノミコトの妻・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の神話が、富士山信仰の主役である。

富士山信仰の主神とされる「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」には「カムアタン」の古事記・別称があり、カムアタンのアイヌ語訳は「今座る神」、つまり現人神である。

現人神・「カムアタン」の出自は、薩摩国阿多郡阿多郷の阿多隼人の出身であり、「その首領の娘」と言うポリネシア系縄文人の意味を持つ。

「アタン」は、ポリネシア系縄文人が薩摩隼人として定着(座)した薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市金峰地区周辺)の事の表現であるとされている。

そして隼人族は、征服渡来部族以前から九州南部に勢力を持ったポリネシア系縄文人の有力部族だった。

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by mmcjiyodan | 2013-07-02 04:18 | Comments(0)