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枢軸国(すうじくこく)(一)

枢軸国(すうじくこく)とは、第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国を指す言葉である。

ドイツ、日本、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイなどソビエトを脅威と捉えていた反共主義国家が多い。

また、連合国が承認していない国家としては、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア独立国、満洲国、中華民国南京政府などがある。

そして枢軸国(すうじくこく)は、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチ党政権がその中心を為していた。

ヒトラー率いるナチ党政権下のドイツと、ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世国王の元、ベニート・ムッソリーニ率いるファシズム体制下のイタリア王国はどちらも類似した権威主義的体制で、思想的に近いものがあった。

しかし両国の関係は当初必ずしも良好ではなく、千九百三十四年にヒトラーとムッソリーニの初会談が行われた時も特に会談の成果は生まれなかった。

第二次世界大戦に於ける枢軸国は連合国と戦闘した国々であるが、枢軸国全体で統合された戦争指導は最後まで行われなかった。

このためドイツの対ソ開戦や日本の対米開戦は事前に通知されておらず、交戦相手も統一されていないなど、枢軸国の足並みは揃わなかった。

その為、千九百三十九年に勃発したポーランド侵攻に参加した枢軸国は、ドイツとその影響下で独立したスロバキア共和国のみであった。


千九百四十年五月に行われたドイツによるフランス進攻が、枢軸軍電撃戦として成功し、フランスはドイツの占領下で親ドイツ政権が成立する。

この成功に依り、イタリアと、前年にイタリアの侵攻を受けて同君連合を形成していたアルバニア王国も枢軸国に加わり、連合国に宣戦布告した。

八月十六日に行われた第二次ウィーン裁定によって、ドイツはルーマニア王国への駐屯権を獲得し、ルーマニアを枢軸国の影響下においた。


千九百四十年九月には「日独伊三国条約(三国同盟)」が結ばれ、以降、「枢軸条約」と表記される。

ただしこの時点では、この条約に日本が加入する事は枢軸国として参戦する事ではなかった。

この年の十一月にはハンガリー王国、ルーマニアが「枢軸条約」に加入する。

千九百四十一年三月一日ドイツ軍はブルガリア王国に進駐して「枢軸条約」に参加させる。

同年三月二十五日、ユーゴスラビア王国も「枢軸条約」に参加したが、二日後の三月二十七日にはクーデターが発生している。

クーデター後のユーゴスラビア新政府はドイツとの協調関係を維持すると声明したが、ヒトラーは許さずユーゴスラビア侵攻に踏み切った。

戦後、ユーゴスラビアはハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、そして独立したクロアチア独立国とセルビア救国政府、モンテネグロ王国によって占領される。

同千九百四十一年六月二十二日、ヒトラーの号令で独ソ戦が始まった。

ハンガリー、ルーマニア、クロアチアも独ソ戦に参戦し、さらに「冬戦争」でソ連の侵略を受けていたフィンランドも継続戦争状態のまま七月十日に参戦した。

独ソ戦開始の際にヒトラーはフィンランドを同盟国と呼んだが、実際にはフィンランドはドイツと同盟を結んでおらず、あくまで共同参戦国(英語版)であるという主張を行っている。

しかしフィンランド領内にはドイツ軍が駐屯しており、同年十一月二十五日に防共協定に参加している。

フィンランドがソ連側からの講和交渉を拒絶した為、イギリスによる宣戦を受けている。

千九百四十年十一月二十一日、北アフリカの植民地を失ったフランス・ヴィシー政権(ドイツ占領下の傀儡政権)に業を煮やしたドイツはアントン作戦を敢行、フランス全土を占領した。


千九百四十一年十二月八日、日本はコタバル上陸及び真珠湾攻撃を行い、アメリカ合衆国とイギリスに宣戦布告した。

オランダ政府は同年十二月十日に日本政府に対して「日本がオランダと密接不可分の関係にある米英両国に対し戦端を開いたので、日蘭間に戦争状態が存在するに至った」と通告した。

同年十二月十一日ドイツは条約上の参戦義務は無かったがアメリカに宣戦布告し、他の条約参加国も追随する。

この時点で、日本はソ連との間に日ソ中立条約を結んでいた為、日本はソ連に宣戦することはなかった。

しかし、日中戦争で日本と交戦中であった中華民国は日本とドイツ、イタリアに対して正式に宣戦布告を行い、連合国に加入する。

この十二月十一日には日独伊単独不講和協定が結ばれ、枢軸国陣営が成立した。

また同日、日本とタイ王国の間で日泰攻守同盟条約が結ばれ、翌千九百四十二年一月八日、条約締結に反応したイギリス軍とアメリカ軍がタイに対して攻撃を行った。

この為、一月二十五日にタイ王国はアメリカ・イギリスに対して宣戦布告した。


枢軸国(すうじくこく)(二)】に続く。

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by mmcjiyodan | 2016-08-06 08:54 | Comments(0)  

枢軸国(すうじくこく)(二)

枢軸国(すうじくこく)(一)】に戻る。

千九百四十二年六月二十六日からのスターリングラード攻防戦はドイツの敗北に終わり、枢軸国にとって戦局は悪化の一途をたどるようになった。

戦局利あらずと観たフィンランドはこの時期からアメリカを仲介としてソ連と休戦交渉を行っている。

千九百四十三年七月二十四日、イタリア王国でクーデターが発生し、ムッソリーニは逮捕・監禁されたがドイツによって救出された。

九月八日イタリア王国は連合国に降伏したが、九月二十三日にはドイツによってムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国がイタリア北部に成立し、枢軸国として戦闘を続けた。

またアルバニアはドイツの占領下に置かれ、ドイツ主導による傀儡政権の統治下に置かれた。

千九百四十三年十月三日、ムッソリーニのイタリア社会共和国と別に存在したイタリア王国はドイツに宣戦布告した。


同千九百四十三年十月二十一日、日本の支援の下自由インド仮政府が成立する。

自由インド仮政府軍はインドの宗主国であるイギリスに対して戦闘を行った。

同十一月十六日、大東亜会議において大東亜共同宣言が宣言された。

この宣言は「大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ」とあるように、日本と同盟しアメリカ・イギリスと戦うという内容であった。

この際、日本は会議参加国に対して米英への宣戦布告を要求した。

ビルマはイギリス・アメリカに宣戦布告したものの、フィリピン第二共和国は宣戦を拒絶した。


同千九百四十三年の後半になると、欧州に於ける東部戦線は崩壊し始める。

八月二十四日、ルーマニアはクーデターによって連合国側につき、ドイツに対して宣戦布告を行った。

同九月九日にはブルガリアでもクーデターが発生し、連合国側について枢軸国に宣戦した。

その十日後の九月十九日、継続戦争を戦っていたフィンランドはソ連と休戦条約を結んだ。

その後フィンランドは駐留ドイツ軍とラップランド戦争と称される交戦を行う。

同十月十五日にはハンガリーも対ソ休戦を発表しようとしたが、ドイツ軍のクーデターによって親独派の矢十字党政権のハンガリー国が成立し、枢軸国側に留まった。

西部戦線でも八月二十六日にパリが連合軍によって奪回されるなど、ヴィシー政権とドイツのフランス支配は終焉した。


千九百四十五年三月、日本は支配下に置いていた仏領インドシナからベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国を独立させ、傀儡政権を樹立する。

そんな中、ヨーロッパは完全に連合国側の手に落ち、欧州の枢軸国は次々と脱落・消滅していった。

同年四月二十五日にはイタリア社会共和国が降伏、五月八日にはドイツが降伏した。最後に残った日本も、広島・長崎への原爆投下の甚大な被爆被害を受け、八月十五日に降伏受け入れを表明し、九月二日には正式な降伏文書調印を行った。


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by mmcjiyodan | 2016-08-06 08:51 | Comments(0)