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欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)

欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)は、応神大王(おうじんおおきみ/第十五代天皇)から分かれた皇統傍系出自の父・継体大王(けいたいおおきみ/第二十六代天皇)の子である。

継体大王(けいたいおおきみ)と仁賢大王(にんけんおおきみ/第二十四代天皇)の皇女・手白香皇女(たしらかのひめみこ)との子である。

欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)は、母に仁賢大王(にんけんおおきみ)の皇女・手白香皇女(たしらかのひめみこ)を持つ血筋として父・継体大王の皇統の歪みを解消した。

大王(天皇)が皇女を皇后とするという流れは、欽明が即位するまでに天皇に立った庶兄の安閑大王(あんかんおおきみ)宣化大王(せんかおおきみ)でも、それぞれ手白香皇女の姉妹を皇后に迎え入れている。

さらに欽明自身も、宣化大王の皇女・石姫皇女(いしひめのひめみこ)を皇后に迎えており、何重にも皇統が維持されている。

仁徳大王(にんとくおおきみ/第十六代天皇)を唯一の例外とするこの流れは、聖武天皇の妃・光明皇后冊立まで続いた。


この欽明大王(きんめいおおきみ)の御世、大伴金村(おおとものかなむら)物部尾輿(もののべのおこし)を大連(おおむらじ)とし、蘇我稲目宿禰(そがのいなめすくね)を大臣(おおおみ)とした。

大連(おおむらじ)とは、古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の一つで、姓(かばね)の一つである連(むらじ)の中でも軍事を司る伴造出身の有力氏族である大伴氏(兵力)と物部氏(兵器)が大連となった。

大臣(おおおみ)とは、古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の一つで、王権に従う大夫を率いて大王(天皇)の補佐として姓(かばね)の一つである臣(おみ)の有力者が就任し執政を行った。

しかし大伴金村は、大連(おおむらじ)就任直後の五百四十年(欽明天皇元年)に失脚し、物部氏と蘇我氏の二極体制ができあがる。

その翌年、五百四十一年(欽明天皇二年)に、欽明大王は大連(おおむらじ)・蘇我稲目(そがのいなめ)の娘である堅塩媛(きたしひめ)や小姉君(おあねのきみ)を妃とする。

この蘇我氏の娘達が生んだ三人の弟・妹(用明推古崇峻)が、計四十年間も大王(天皇)位につき、蘇我氏の全盛期が築かれた。


詳しくは小論・【継体大王(けいたいおおきみ・天皇)即位のある疑い。】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2017-05-17 16:27 | Comments(0)  

仁賢大王(にんけんおおきみ・天皇)

仁賢大王(にんけんおおきみ・第二十四代天皇)の即位には、流浪と復権と言うドラマチックな物語が伝えられている。

仁賢大王(にんけんおおきみ/天皇)は、古墳時代大王(天皇)で履中大王(りちゅうおおきみ/第十七代天皇)の孫、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の子・億計王(おけのおう)である。

父の市辺押磐皇子が、雄略大王(ゆうりゃくおおきみ/第二十一第天皇)に殺されると、弟の弘計王(こうけいのおう/後の顕宗大王/けんぞう・天皇)と共に逃亡して身を隠した。

まず丹波国与謝郡(丹後半島東半)に逃げ、後には播磨国明石や三木の志染の石室に隠れ住む。

兄弟共に名を変えて丹波小子(たにわのわらわ)と称した。

縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)に雇われて牛馬の飼育に携わっていたが、清寧天皇二年に、弟王・弘計が宴の席で王族の身分を明かした。

それを伝え聞いた清寧大王(せいねいおおきみ/第二十二代天皇は、子がなかったため喜んで迎えを遣わし、翌年に二王を宮中に迎え入れ、四月に兄王・億計王(おけのおう)が皇太子となった。

清寧天皇五年に清寧大王(天皇)が崩じたときに皇位(王位)を弟王と譲り合い、その間は飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)が執政した。

結果的に兄の説得に折れる形で顕宗天皇元年元旦、弘計が顕宗大王(けんぞうおおきみ/天皇として即位する。

引き続き億計王(おけのおう)が皇太子を務めたが、天皇の兄が皇太子という事態は、これ以降も例がない。

その後、即位した弟王・弘計の顕宗大王(けんぞうおおきみ)が、わずか在位三年で崩御した為、億計王が仁賢天皇元年一月に大王(おおきみ/天皇)に即位した。

仁賢大王(にんけんおおきみ)は、父を殺した雄略大王(おおきみ/天皇)の皇女・春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)を皇后に迎え入れる。

理由として、仁賢大王(にんけんおおきみ)自身が傍系の出身であるため、直系の皇女を皇后に迎え入れ正当性を強めたと考えられている。


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by mmcjiyodan | 2017-05-17 16:24 | Comments(0)