冥府・冥界(めいふ・めいかい)

「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府(めいふ)の神である。

冥府とは霊界(地獄・天国)に続く三途の川の場所で、成仏できない魂の彷徨(さまよう)場所を言う。

当然ながら、冥府は「死の側」で有る。

これに対抗するには「生の側」のパワーが必要である。

生は性に通じる。

輪廻転生の考え方と相まって、陰陽道の呪詛の中に生命誕生の神聖な行為、性交を持ってそのエネルギーパワーを駆使する必然性があった。

生命の躍動感こそが、不吉な諸事を祓う本来の呪詛である。

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# by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:21 | Comments(0)  

明治維新(隠された明治維新)

明治維新によみがえる南朝・後醍醐天皇の系図、仕掛けたのは、吉田松蔭門下生と尊王派の公家達・・・・その噂は本物か?

北斗妙見信仰に端を発する大内家から長州・毛利藩(萩藩)まで、脈々と守護し続けた皇統の隠し玉、それは歴史の綾だったのか、それとも必然性だったのか。

七卿は逃れた長州の地で、松陰派にある人物と引き合わされている。

和暦・文久三年八月の変(千八百六十三年)で尊皇攘夷派の長州藩は抗争に破れ、京都を追われ、薩摩・会津の連合軍が代わって警備についた。

会津・薩摩の藩兵が皇居九門の警護を行う中、中川宮や公武合体派の近衛忠熙、近衛忠房を参内させて尊攘派の公家(三条実美以下十九人)は朝廷から追放され、長州藩は京都堺町門の警備を免ぜられて毛利敬親・定広親子は国許に謹慎を命じられた。

都に居た長州藩の藩兵は本拠の長州国表に落ち延びる。

この撤退を指揮した秀才「久坂玄瑞(くさかげんずい)」と伴に、同じく尊皇攘夷派の為、長州に流れ下った公家が七人居た。

これを、「七卿落ち(八月十八日の政変)」と言う。

この、落ち延びた七卿の行く先に、吉田松蔭の描いたシナリオ、良光(ながみつ)親王の末裔が待っていたのである。

良光親王(ながみつしんのう)末裔を名乗る「大室家」については、足利尊氏が興した室町幕府より「大である」と言う呪詛的な意味合いも在っての「大室名乗り」だと伝えられている。

南北朝期の宮方(南朝方)が圧されつつ在った時代に、長州・大内氏に下った良光親王(ながみつしんのう)についても大室家についても、大内氏の極秘扱いに埋もれて文献もほとんど残ってはいない。

下関戦争(馬関戦争/ばかんせんそう)薩英戦争(さつえいせんそう)で欧米列強の戦闘能力を知った尊皇攘夷派は、アッサリと倒幕一辺倒に切り替え攘夷の看板を下ろしているが、「武士としての思想信条は何処へ行った」のだろうか?

「世界の現実を学んだ」と言えばそれまでだが、本音は「どうにかして下士身分から這い上がりたい」と言う野心満々の現体制破壊が在ったのではないだろうか?

つまり仕えていた藩主の意向も、孝明天皇(こうめいてんのう)の攘夷勅命(じょういちょくめい)も無視した権力奪取が明治維新の実態かも知れない。

いずれにしても、この明治帝入れ替わり説は突拍子も無い説ではあるが、ここまでの諸般の繋がりが示唆する事象を辿って行くと、どう見ても帝の入れ替わりを疑える情況だった。

可能性が出て来た以上それを否定する確実な証拠が出て来なければその謎は現に存在し、それを常識と言う名の想像だけで否定する事は出来ない。

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田布施町(たぶせちょう)】へ続く。
睦仁親王(明治天皇)即位の疑惑】へ続く。
明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)】へ続く。

詳しくは、小説【異聞・隠された明治維新】を参照下さい。

関連小説【松下村塾々生・維新顛末記】を参照下さい。

この記述は、【日本史時代区分大略・一覧表】に掲載しております。

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隠された明治維新については第五巻~第六巻の明治維新の項目の主要テーマです。
記載項目が多過ぎてブログでは書き切れませんので、詳しくは皇統と鵺の影人・本編の第五巻~第六巻をお読み下さい。

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# by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:17 | Comments(0)  

明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)

明治天皇(第百二十二代天皇)は孝明天皇(こうめいてんのう)の第二皇子である。

父・孝明天皇(こうめいてんのう)から親王宣下を受け立太子を宣明し、幕末の動乱期に皇太子・睦仁親王を名乗り、後に若くして皇位について居る。

所がこの明治帝(睦仁親王)、明治維新の前後では「全くの別人だった」と言う証言が存在する。

孝明天皇(こうめいてんのう)と同じ頑なな攘夷論者だった皇太子・睦仁親王(むつひとしんのう)は、明治帝として天皇即位後に突如攘夷思想を撤回する謎があるからである。

この維新の陰謀説、皇統に陰謀など「有っては成らない事」と思う心情も判らないではないが、大きな政変に皇統が少しだけ揺らぐのは良く有る事である。

朝廷と言う狭い場所に世間から隔離されて居る皇室にとって、外国人嫌いは単純に「右脳域の感性」の問題である。

しかし物事の決定には「左脳域の計算」も無視は出来ず、正直、攘夷論者の父帝・孝明天皇(こうめいてんのう)の強い影響を受けた皇太子・睦仁親王(明治天皇)は、困った存在になる筈だった。

室町期の北朝の皇統に「足利の血が入れ替わった」と囁かれても、足利氏自身が源氏の皇胤貴族の出自であるから、あながち「偽者」とは言い難い。

明治維新における大室某も、系図通りの南朝の末裔であれば、やはり「偽者」とは言い難い。

実は周囲の多くが、この難局を前にすれば「この際、止む負えない」と思った節(ふし)が有る。

それ故この政変、思った以上にスムースに事が運んだ。

つまりは周囲が、この政変ストーリーを「容認または積極的に賛同した」と考えられる話で、それで無ければここまで隠し果せる話では無いのである。

明治天皇にはこうした疑惑が囁かれていた。

しかし、この「明治天皇挿(す)げ替え説」に確たる証拠は無く、状況証拠を積み重ねるのみであり、既に解明される事無く歴史の闇に消えつつある。

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詳しくは、小説【異聞・隠された明治維新】をお薦めします。是非参照下さい。

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# by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:13 | Comments(0)  

物造り大国・日本

日本は伝統的に「物造り」を尊ぶ民族である。

それには明確な歴史的背景がある。

この国の支配者層は「氏族」で、支配者一族は「氏姓制度」に拠る氏(うじ)と姓(かばね/せい)を持っていた。

海を渡り来た征服部族が、日本列島の土地を武力で切り取り、先住民(蝦夷・エミシ/縄文人)を支配して小国家群を打ち立てた。

その小国家群が大和合して大和国を創り、その支配者一族の身分を示す為に「氏姓制度」が定められた。

つまり氏(うじ)姓(かばね/せい)は、特権階級の子孫を示す名乗りだった。

征服部族(氏族)の支配力、財力の一端を担ったのが、日本列島に持ち込んで来たあらゆる生産技術の専有だった。

奈良時代から安土・桃山期まで、あらゆる生産は支配者身分の「氏族(有姓階層)」が専有技術として貴族・武士・神官・僧侶などと兼業し、高度な技術開発と熟練技術も「氏族」が自ら携わって子孫に伝承させていた。

日本の技術力は、自らの力を注いだ勝負の苦しみの中から生まれた物で、けして楽に生み出したものではない。

勝負は職人の心意気で、簡易性と合理性を追求する欧米の技術思想と一手間掛けても技術水準を追求する日本の職人魂は異質な物である。

つまり日本の技術者(科学者)の誇りが技術革新を呼び、現在の高度技術立国がある。

物造りに「高精度・高級」の「誰々作」と言う特別な思い入れの感性と価値観を持つ日本人の、「高度技術立国のルーツ」がこの歴史的な経緯にある。

この日本人気質とでも言うべき資質が、欧米の「マニュアル型・標準化量産工業」とは異なる手造り「高精度・高級」の「誰々作」は、日本の誇るべき熟練技術力の源である。

日本が世界に誇るべき熟練技術力は、日本人の特別な思い入れの感性と価値観に裏打ちされて、町工場に到るまで浸透している。

しかし残念ながら、現在の大企業優先政策により中小零細を取り巻く経済環境の悪化で、この熟練技術力を継承させる土壌を失いつつあるのが現在の日本の現状である。

政府・政治家は、「日本の独自文化は他国にも理解してもらいたい」と奇麗事を言いながら、この国の財産とも言うべき熟練技術力の「物造り」に冷たく、欧米型の下層階級の労働者に拠る大量生産体制の発展ばかりに偏った金融政策をし、本来資金力に脆弱(ぜいじゃく)な熟練技術力を持つ中小零細を見捨てて来た。

特に小泉・竹中政治は、金融機関を立て直す為に無理やり金融機関の体質改善を命じて「貸し渋り貸し剥がし」を引き起こさせ、中小零細企業の息の根を止めてしまった。

この小泉・竹中政治の悪政、直接的には中小零細に関係ない為に「自分達に関わりない」と無関心の人達も多いが、経済は「金回り」であるから、実は消費の沈滞が間接的に被害をこうむる事に成り、それが現在ジワジワと効いて来ている。

益してや、「熟練技術力」と言う財産を背景に国の底力を発揮すべき将来の芽を多数潰して、「高度技術立国」の建て直しには時間が掛かる状況にある。

これは昔、中華人民共和国が「紅衛兵運動」で有識者を弾圧して、「国の発展が三十年遅れた」と言われるに等しい愚挙である。

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# by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:09 | Comments(0)  

以仁王(もちひとおう)

その後、後白河天皇(後に上皇)の第二皇子・以仁王(もちひとおう)が平家打倒の挙兵(きょへい)をする。

後白河天皇の第三皇子・以仁王(もちひとおう)は、兄の守覚法親王が仏門に入った為に繰り上げ第二皇子と成った平安時代末期の皇族で、幼少の頃から書や学問、詩歌や笛の才能に優れていた。

以仁王(もちひとおう)は、当然親王になる資格があった天皇の皇子であるが、平家政権の圧力があり「親王宣下を得られなかった」とも言われている不運な皇子だった。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族、鳥羽天皇の皇女・暲子内親王(あきこないしんのう)は、后位を経ずに女院となり「八条院」と号し、終生未婚であった。

八条院は、父母の莫大な遺産や荘園のほとんどを相続し、中世皇室領の中枢をなす一大荘園群二百数十箇所に及ぶ荘園が女院の管領下にあって八条院領と呼ばれ甥の二条天皇の准母となったほか、以仁王とその子女、九条良輔(兼実の子)、昇子内親王(春華門院、後鳥羽上皇の皇女)らを養育した。

つまり後白河天皇の第三皇子・以仁王は、その八条院の猶子である。

以仁王は若くして英才の誉れが高く、天台座主最雲の弟子となったが師の没後還俗(げんぞく)して元服、皇位継承の有力候補と目されていた。

しかし、異母弟憲仁(高倉天皇)の母建春門院平滋子の妨害により親王宣下も受けられぬ不遇をかこって居た所、平家のクーデターが起こり父・後白河法皇が幽閉され、以仁王自身も知行地・常興寺(領)を没収される。

その邸宅が三条高倉に在った事から、以仁王(もちひとおう)は高倉宮または三条宮とも称されていたが、「父・後白河とも疎遠の上に、父・後白河が譲位後に妃とした滋子(平清盛の妻・二位尼時子の妹)とも不仲であった」と言われ、平清盛の妻・時子は高倉天皇生母であるから、実権を平家一門に握られた以仁王(もちひとおう)の不満は当然の事だった。

千百八十年(治承四年)実権を平家一門に握られた不満から、ここに到って以仁王は終(つい)に平家討伐を決意し、源頼政と共謀して密かに平家追討の「令旨(りょうじ)」を全国に雌伏する源氏に向けて発し、平家打倒の挙兵をうながしたのである。

しかしこの事はすぐに露見して平氏の知る処と成り、「宇治橋の戦い」に敗れて奈良に逃れようとする途中、光明山鳥居の前(京都府山城町)で以仁王(もちひとおう)と源頼政は討ち取られて早期に鎮圧されてしまう。

この「以仁王の乱」、「源頼政の挙兵」とも呼ばれた蜂起そのものは、以仁王(もちひとおう)自身は準備不足の為に計画が露見して平家一門の追討を受け殺害されたが、以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)は、その討ち死により少し遅れて全国の源氏に届き、挙兵の動きが活発なものに成って、これを契機に諸国の反平家(反清盛平家)勢力が兵を挙げ、全国的な動乱(俗に言う源平合戦)である「治承のクーデター・寿永の乱」が始まって行く。

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# by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:02 | Comments(0)