タグ:日本史検索 ( 1478 ) タグの人気記事

 

水戸藩(みとはん/水戸徳川家)

大日本史編纂には隠された真実があった。

徳川家康の十一男・徳川頼房が常陸国(茨城県)に入り水戸藩とし、御三家としての水戸家が成立したのだが、実はこの水戸藩、表向きの理由以外に徳川家康の意向に拠り当初から容易ならぬ密命を帯びて設置されていた。

水戸光圀の大日本史編纂には、影の目的があった。

それは、編纂の為の現地調査を名目とした諸国大名家監視体制だった。

活躍したのは、雑賀党当主・鈴木孫三郎重朝(しげとも)雑賀衆の一団だったのである。

この意表を突いた諸大名制御策、誰かの用意周到な知略の賜物で、段取りも時間も念が入っている。

徳川家康の十一男・徳川頼房が家康の命により常陸国(茨城県)に入り、水戸藩として御三家としての水戸家が成立する。

御三家に数えられる水戸家は、家康十一男・頼房が二代将軍・徳川秀忠の三男・徳川忠長を家祖とする駿河徳川(松平)家・(五十五万石)の断絶後、千六百三十六年(寛永十三年)に徳川を賜姓された家である。

つまり本来は別の立藩目的が在った水戸家だが、前後の事情から水戸家は補欠から御三家に繰り上げられた経緯が伺えるのである。

水戸藩は将軍の補佐を務める事を任とし、江戸定府(参勤交代なしの江戸在住)であった。

しかし、そもそも表向きを老中・大老が合議決定する幕閤に在って、水戸藩々主の江戸定府の役割は何だったのか?

その辺りに、水戸藩(みとはん)が徳川本宗家を補佐する隠された密命がなければ、ここは説明が着かないのである。

水戸黄門の真実】へ続く。
大日本史編纂の謎】へ続く。

詳しくは【水戸徳川家異聞】を参照。

注意)、 本書でも便宜的に使用しているが、実は「藩(はん)」と言う呼称は江戸期を通じて公用のものではなかった。

従って江戸初期から中期に掛けての時代劇で「藩(はん)や藩主(はんしゅ)」の呼称を使うのは時代考証的には正しくは無い。

幕末近くなって初めて「藩(はん)」と言う俗称が多用され始め、歴史用語として一般に広く使用されるようになったのは維新以後の事である。

関連記事
江戸幕府・成立大略】に飛ぶ。
三百諸侯(さんびゃくしょこう)・江戸時代の大名家】に飛ぶ。
徳川御三家(とくがわごさんけ)】に飛ぶ。
徳川御三卿(とくがわごさんきょう)】に飛ぶ。
常陸国水戸藩・徳川頼房(とくがわよりふさ)】に飛ぶ。
水戸藩重臣・雑賀(鈴木)家の謎】へ飛ぶ。

第四巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:44 | Comments(0)  

水戸(光圀)黄門(みと(みつくに)こうもん)

水戸黄門(みとこうもん)=徳川光圀(とくがわみつくに)は、徳川家康の十一男・徳川頼房の三男である。

父・徳川頼房が常陸国(茨城県)に二十六万石を与えられて御三家の一つ水戸藩を起こした事に始まる水戸徳川家の第二代藩主を勤め、隠居後に藩校・彰考館に安積澹泊(あさかたんぱく・覚兵衛)、佐々宗淳(さっさむねあつ・介三郎)らを登用、「大日本史」の編纂に取り掛かる。

公表では、史書編纂を志した光圀は水戸藩世子時代の千六百五十七年(明暦三年)には、明暦の大火で小石川藩邸が焼失して駒込別邸へ移った事を期にここで史局を開発し編纂事業を開始する。

千六百七十二年には、光圀は編纂事業を本格化させ、駒込別邸の史館を小石川本邸へ移転して「彰考館」と改め、史館員も増員し、遠隔地へ派遣して史料収集を行い、表向き特に南朝関係の史料を広く収集している。

実は南朝関係の史料は全国に分布し、その資料編纂を目的とした調査が理由となると何処の藩も水戸藩々士の藩領入国を断れない。

尚、「大日本史」は光圀死後の千七百十五年(正徳五年)に第三代水戸藩主・徳川綱條(とくがわつなえだ/光圀養子)による命名で、光圀時代には「本朝史記」や「国史(倭史)」と呼ばれている。

光圀が第二代藩主に収まるには頼房・長男と言われる松平頼重(まつだいらよりしげ)との奇妙な経緯があり、第三代藩主には松平頼重(まつだいらよりしげ)の長男・綱條(つなえだ)を養子に迎えている。

水戸藩第二代藩主・徳川光圀は、第三代藩主・綱條(つなえだ)に家督を譲っての隠居後、藩領内からほとんど出る事が無かったのだが、漫遊記では水戸光圀公が全国を歩いて悪役人を懲らしめ、世直しをして居る事に成っている。

これは架空(フィクション)の物語で、幕末になって、「講談師(氏名は不明)が創作した」とされている。

この水戸黄門漫遊記に登場する「助さん格さんに忍者役のサポートの一団」のモデルが、驚く事に「全て雑賀衆だ」と言ったら、どうだろうか?

事実の方が、講談師の創作より意表をついている事になる。

水戸黄門の真実】 へ続く。
大日本史編纂の謎】へ続く。

関連記事
三百諸侯(さんびゃくしょこう)・江戸時代の大名家】に飛ぶ。
常陸国水戸藩・徳川頼房(とくがわよりふさ)】に飛ぶ。
松平頼重(まつだいらよりしげ)・生い立ちの謎】 へ飛ぶ。
水戸藩】へ飛ぶ。
水戸藩重臣・雑賀(鈴木)家の謎】 へ飛ぶ。

詳しくは【水戸徳川家異聞】を参照。

水戸(光圀)黄門(みと(みつくに)こうもん)については第四巻の主要登場人物です。記載項目が多過ぎてブログでは書き切れません。詳しくは皇統と鵺の影人・本編の第四巻をお読み下さい。

第四巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:41 | Comments(0)  

水揚げ・〔一〕村落の水揚げ親

戦前の日本社会では、男女共に大人として扱われる年齢が現在より若かった。

女性の場合は初潮、或いは数え年の十三歳を節目として成人と見做され、「おはぐろ(お歯黒)祝い、またはコシマキ(腰巻)祝い」が開かれ、暫くすると「水揚げ」となる。

この「水揚げ」、成人する女性に性行為を実地して習得させる事である。

親がその相手を探し、依頼する事が多かった。

「水揚げ」の相手は、村の年長者で性行為の経験が豊富な事には勿論の事、人柄が良く水揚げ後も娘の相談相手になれる後見人として、村長・村主・庄屋・名主や村役と言った資産も政治力も在る村の実力者の男性が選ばれた。

娘は、水揚げ親に女性としての性交術を実践伝授される訳で、特別な縁(えにし)が成立し、つまり「水揚げ親制度」は、娘の将来に渡る後見人を獲得する事である。

そして後見人を獲得する事は勿論の事、同時に日頃のお礼の意を示す事や一家のその後をその実力者に託す為の人身御供伝説を彷彿させる「貢(みつぎ)の正当化」ではなかったのか?

その水揚げを経る事によって、その娘に対する「夜這い」が解禁となる。

これらは、信仰深い人々にとって「神の計(はか)らい」だったので有る。

現代の感覚では、古(いにしえ)の水揚げ年齢が十三歳・十四歳では酷く早い様に感じるだろうが、当時の習俗的認識では普通の感覚で在った。

そしてその水揚げ年齢の感覚は、けして古いものでは無く、第二次世界大戦後の暫くまでは続いて居た。

水揚げ・〔二〕芸妓の水揚げ】に続く。

詳しくは、小論【私の愛した日本の性文化】に飛ぶ。

性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:37 | Comments(0)  

無鹿(むしか)

延岡市の中心部を流れる五ヶ瀬川の州にある「無鹿」の町から川沿いの道を遡ると、天孫降臨伝説の地「高千穂(たかちほ)」に至る。

現在の無鹿は、延岡市の郊外に在る何の変哲も無いひなびた住宅街だが、数奇な運命を持ってこの作品に何度か顔を出す不思議な地名で有る。

無鹿(むしか)から海、或いは海岸線を行けば、北浦の地に達する。

北川の地と高千穂の地は、無鹿(むしか)からそれぞれの川ぞいを行けば達する。

つまり無鹿(むしか)の地が、古代からの交通の要衝で在った事は容易に想像できる。

だがつい近世の大友宗麟の時代まで、大きな集落を形成した事実はなさそうだ。

それ故、無鹿(むしか)以前の古い地名はない。

しかしこの地が、営々と続いた「天孫降臨伝説」の氏族の発祥とその二千年余り後に、最後の氏族が終焉を迎えた因縁の地なのである。

無鹿(むしか)は、西郷隆盛率いる薩摩軍が起こした氏族(武士)最後の戦いと成る「西南戦争/西南の役」の反撃を試みた激戦の地で、この地で敗れた薩摩軍は、可愛岳(えのだけ)を越えて薩摩城山に立て篭もり最期を迎える。

この無鹿(むしか)の名前は、戦国武将・大友宗麟が名付けたそうだが、その話は後の章に譲る。

大友宗麟】へ続く

関連記事
高千穂(たかちほ)】へ飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:32 | Comments(0)  

村岡良文(むらおかよしふみ)=平良文(たいらのよしふみ)

第五十代桓武天皇の皇子であった葛原(かずはら)親王(臣籍降下して平性を賜る)から五代目に、桓武平氏として平良文(たいらのよしふみ)がいる。

平良文(たいらのよしふみ)は下総国の豪族として武蔵国・下総国などを開発して勢力を確立し、相模国村岡にその住居を定めて村岡姓を名乗り、村岡(平)良文として関東鎮守府将軍となる。

やがて、村岡五郎(平)良文の孫・平忠常(上総介)が上総国で起こした大反乱「長元の乱」を起こし、平忠常(上総介)は清和源氏の源頼信(みなもとよりのぶ)に討ち取られている。

伊勢平氏の平直方は、関東で発生した「鎮守府将軍・村岡五郎(平)良文の乱」の鎮圧に追討使として失敗してしまい、役を解かれて伊豆の国に在住する。

この直方の流れが後に北条家となる。

清和源氏の源頼信(みなもとよりのぶ)が、関東での平忠常(上総介)の「長元の乱」鎮圧に成功し、関東では源氏の勢力が強まり、鎮守府将軍などの現地武門トップの地位は源氏へと移ってしまうのである。

この村岡良文(平良文)の子孫が、源義家(八幡太郎)に従って奥州(東北)と坂東(関東)の治安にあたる縁を持ち、坂東(関東)各地に土着して土豪武士となり、その諸氏が八つの氏族に大別されていた為に「坂東八平氏」と呼ばれる。

関連記事
平安群盗と原初の武士達(自衛武力)】に飛ぶ。
平将門(たいらのまさかど)】に戻る。
坂東八平氏(ばんどうはちへいし)】に続く。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:29 | Comments(0)  

武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)

武蔵坊弁慶は、源義経に付き従う怪力無双の僧兵として広く知られている。

兵法に優れ、武術の達人だった武蔵坊弁慶が、幾ら源氏の血筋とは言え自発的に義経に臣従するのは如何にも不自然である。

武蔵坊弁慶に付いては、当時平清盛と対立していた比叡山から派遣され、源氏再興を謀った「義経付軍事教育顧問」説も浮かんでいる。

つまり武蔵坊弁慶は、最澄が興した天台宗の総本山・比叡山延暦寺の「修験者(山伏)だ」と言われている。

これが事実であるなら、当然義経の影には「修験者(台蜜山伏)」のネットワークがあり、奇跡的な義経の戦闘方法を、彼らが影で支えていたのではないだろうか。

智謀と怪力で「主・源義経を助けた」と言われる武蔵坊弁慶には詳しい経歴が不明で、比叡山に入山したが乱暴が過ぎて追い出された事に成っている。

牛若丸(義経)と武蔵坊弁慶の出会いの場とされる京・五条橋は、当時まだ存在しなかった。

従って、出会いシーン「京・五条橋の下り」は後世の創作である。

牛若丸(源義経)と弁慶の「五条橋に於ける出会い」の下り以外の有名な脚色・創作例は、日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六(正勝)の「矢作橋の出会い」、宮本武蔵と岩流(佐々木小次郎)の「舟島(巌流島)の決闘の詳細」などが挙げられる。

弁慶については後の創作が多く、手の付けられない乱暴者が義経に強者の鼻をへし折られて臣従した事に成っているが、そんな愚かな乱暴者が突然悟って知将に成るなどおよそ創作劇的である。

また、義経主従都落ちの後、畿内周辺に潜伏する義経一行を比叡山の僧兵らが庇護しており、義経と比叡山の僧兵の関係を伺わせるが、史実の弁慶については都落ちした義経・行家一行の中に弁慶の名がある以外は、ほとんど明らかではない。

本来弁慶の詳しい経歴が不明なのは、それこそ「密命を帯びた工作員だったから」と考えるのが順当である。


源義経(みなもとよしつね)】に飛ぶ。
源義経一党・修験黒幕説】に飛ぶ。
源義経・一ノ谷(城戸の戦い)の奇策「ひよどり越えの逆落とし」】に飛ぶ。
屋島の戦い(やしまのたたかい)】に飛ぶ。
壇ノ浦の戦いと松浦(まつら)水軍】に飛ぶ。
平泉・高館(たかだち)/衣川館の襲撃】に飛ぶ。
源義経については記載項目が多過ぎてブログでは書き切れません。詳しくは皇統と鵺の影人・本編の第二巻をお読み下さい。

関連記事
源氏流諸系詳細(げんじりゅうしょけいしょうさい)】に飛ぶ。

義経郎党関係記事
伊勢義盛(いせよしもり)】に飛ぶ。
鈴木重家(しげいえ)・亀井六郎兄弟、】に飛ぶ。

関連記事
創られた歴史のミステリー】に飛ぶ。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:25 | Comments(0)  

冥府・冥界(めいふ・めいかい)

「泰山府君」とは陰陽道の主神、冥府(めいふ)の神である。

冥府とは霊界(地獄・天国)に続く三途の川の場所で、成仏できない魂の彷徨(さまよう)場所を言う。

当然ながら、冥府は「死の側」で有る。

これに対抗するには「生の側」のパワーが必要である。

生は性に通じる。

輪廻転生の考え方と相まって、陰陽道の呪詛の中に生命誕生の神聖な行為、性交を持ってそのエネルギーパワーを駆使する必然性があった。

生命の躍動感こそが、不吉な諸事を祓う本来の呪詛である。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:21 | Comments(0)  

明治維新(隠された明治維新)

明治維新によみがえる南朝・後醍醐天皇の系図、仕掛けたのは、吉田松蔭門下生と尊王派の公家達・・・・その噂は本物か?

北斗妙見信仰に端を発する大内家から長州・毛利藩(萩藩)まで、脈々と守護し続けた皇統の隠し玉、それは歴史の綾だったのか、それとも必然性だったのか。

七卿は逃れた長州の地で、松陰派にある人物と引き合わされている。

和暦・文久三年八月の変(千八百六十三年)で尊皇攘夷派の長州藩は抗争に破れ、京都を追われ、薩摩・会津の連合軍が代わって警備についた。

会津・薩摩の藩兵が皇居九門の警護を行う中、中川宮や公武合体派の近衛忠熙、近衛忠房を参内させて尊攘派の公家(三条実美以下十九人)は朝廷から追放され、長州藩は京都堺町門の警備を免ぜられて毛利敬親・定広親子は国許に謹慎を命じられた。

都に居た長州藩の藩兵は本拠の長州国表に落ち延びる。

この撤退を指揮した秀才「久坂玄瑞(くさかげんずい)」と伴に、同じく尊皇攘夷派の為、長州に流れ下った公家が七人居た。

これを、「七卿落ち(八月十八日の政変)」と言う。

この、落ち延びた七卿の行く先に、吉田松蔭の描いたシナリオ、良光(ながみつ)親王の末裔が待っていたのである。

良光親王(ながみつしんのう)末裔を名乗る「大室家」については、足利尊氏が興した室町幕府より「大である」と言う呪詛的な意味合いも在っての「大室名乗り」だと伝えられている。

南北朝期の宮方(南朝方)が圧されつつ在った時代に、長州・大内氏に下った良光親王(ながみつしんのう)についても大室家についても、大内氏の極秘扱いに埋もれて文献もほとんど残ってはいない。

下関戦争(馬関戦争/ばかんせんそう)薩英戦争(さつえいせんそう)で欧米列強の戦闘能力を知った尊皇攘夷派は、アッサリと倒幕一辺倒に切り替え攘夷の看板を下ろしているが、「武士としての思想信条は何処へ行った」のだろうか?

「世界の現実を学んだ」と言えばそれまでだが、本音は「どうにかして下士身分から這い上がりたい」と言う野心満々の現体制破壊が在ったのではないだろうか?

つまり仕えていた藩主の意向も、孝明天皇(こうめいてんのう)の攘夷勅命(じょういちょくめい)も無視した権力奪取が明治維新の実態かも知れない。

いずれにしても、この明治帝入れ替わり説は突拍子も無い説ではあるが、ここまでの諸般の繋がりが示唆する事象を辿って行くと、どう見ても帝の入れ替わりを疑える情況だった。

可能性が出て来た以上それを否定する確実な証拠が出て来なければその謎は現に存在し、それを常識と言う名の想像だけで否定する事は出来ない。

孝明天皇崩御の謎】に戻る。

田布施町(たぶせちょう)】へ続く。
睦仁親王(明治天皇)即位の疑惑】へ続く。
明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)】へ続く。

詳しくは、小説【異聞・隠された明治維新】を参照下さい。

関連小説【松下村塾々生・維新顛末記】を参照下さい。

この記述は、【日本史時代区分大略・一覧表】に掲載しております。

関連記事
南朝方忠臣・明治復権の怪】に飛ぶ。
江戸(東京)遷都(えどせんと)】に飛ぶ。
伊藤博文(いとうひろぶみ)と明治帝の関係の謎】に飛ぶ。
徳川幕府倒幕の隠れた要因・血統主義の崩壊】に飛ぶ。

隠された明治維新については第五巻~第六巻の明治維新の項目の主要テーマです。
記載項目が多過ぎてブログでは書き切れませんので、詳しくは皇統と鵺の影人・本編の第五巻~第六巻をお読み下さい。

関連記事
明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)】に飛ぶ。
明治改元(めいじかいげん)と大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく)の国号】に飛ぶ。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:17 | Comments(0)  

明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)

明治天皇(第百二十二代天皇)は孝明天皇(こうめいてんのう)の第二皇子である。

父・孝明天皇(こうめいてんのう)から親王宣下を受け立太子を宣明し、幕末の動乱期に皇太子・睦仁親王を名乗り、後に若くして皇位について居る。

所がこの明治帝(睦仁親王)、明治維新の前後では「全くの別人だった」と言う証言が存在する。

孝明天皇(こうめいてんのう)と同じ頑なな攘夷論者だった皇太子・睦仁親王(むつひとしんのう)は、明治帝として天皇即位後に突如攘夷思想を撤回する謎があるからである。

この維新の陰謀説、皇統に陰謀など「有っては成らない事」と思う心情も判らないではないが、大きな政変に皇統が少しだけ揺らぐのは良く有る事である。

朝廷と言う狭い場所に世間から隔離されて居る皇室にとって、外国人嫌いは単純に「右脳域の感性」の問題である。

しかし物事の決定には「左脳域の計算」も無視は出来ず、正直、攘夷論者の父帝・孝明天皇(こうめいてんのう)の強い影響を受けた皇太子・睦仁親王(明治天皇)は、困った存在になる筈だった。

室町期の北朝の皇統に「足利の血が入れ替わった」と囁かれても、足利氏自身が源氏の皇胤貴族の出自であるから、あながち「偽者」とは言い難い。

明治維新における大室某も、系図通りの南朝の末裔であれば、やはり「偽者」とは言い難い。

実は周囲の多くが、この難局を前にすれば「この際、止む負えない」と思った節(ふし)が有る。

それ故この政変、思った以上にスムースに事が運んだ。

つまりは周囲が、この政変ストーリーを「容認または積極的に賛同した」と考えられる話で、それで無ければここまで隠し果せる話では無いのである。

明治天皇にはこうした疑惑が囁かれていた。

しかし、この「明治天皇挿(す)げ替え説」に確たる証拠は無く、状況証拠を積み重ねるのみであり、既に解明される事無く歴史の闇に消えつつある。

睦仁親王(明治天皇)即位の疑惑】に戻る。
明治維新(隠された明治維新)】へ戻る。

詳しくは、小説【異聞・隠された明治維新】をお薦めします。是非参照下さい。

幕末~明治維新・人名と事変の周辺記事なら【クリックリスト】がお薦めです。

関連記事
孝明天皇崩御の謎】に飛ぶ。
天皇(てんのう/すめらみこと)の称号】に飛ぶ。
皇居内裏女官(こうきょだいりにょかん)】に飛ぶ。
田布施町(たぶせちょう)】へ飛ぶ
伊藤博文(いとうひろぶみ)と明治帝の関係の謎】に飛ぶ。【明治改元(めいじかいげん)と大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく)の国号】に飛ぶ。

主たる臣下の関連記事
三条実美(さんじょうさねとみ)】に飛ぶ。
岩倉具視(いわくらともみ)】に飛ぶ。
桂小五郎(かつらこごろう/木戸孝允)】に飛ぶ。
小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)】に飛ぶ。
西郷隆盛(さいごうたかもり) 】に飛ぶ。
大久保利通(おおくぼとしみち)】に飛ぶ。
後藤象二郎(ごとうしょうじろう)】に飛ぶ。
伊藤博文(いとうひろぶみ)】に飛ぶ。
井上馨(いのうえかおる/井上聞多)】に飛ぶ。
西郷従道(さいごうじゅうどう/つぐみち)】に飛ぶ。
大山巌(おおやまいわお/弥助)】に飛ぶ。
山縣有朋(やまがたありとも)】に飛ぶ。
山本権兵衛(やまもとごんべい)】に飛ぶ。
児玉源太郎(こだまげんたろう)】に飛ぶ。
桂太郎(かつらたろう)】に飛ぶ。
乃木希典(のぎまれすけ)】に飛ぶ。
東郷平八郎(とうごうへいはちろう)】に飛ぶ。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:13 | Comments(0)  

物造り大国・日本

日本は伝統的に「物造り」を尊ぶ民族である。

それには明確な歴史的背景がある。

この国の支配者層は「氏族」で、支配者一族は「氏姓制度」に拠る氏(うじ)と姓(かばね/せい)を持っていた。

海を渡り来た征服部族が、日本列島の土地を武力で切り取り、先住民(蝦夷・エミシ/縄文人)を支配して小国家群を打ち立てた。

その小国家群が大和合して大和国を創り、その支配者一族の身分を示す為に「氏姓制度」が定められた。

つまり氏(うじ)姓(かばね/せい)は、特権階級の子孫を示す名乗りだった。

征服部族(氏族)の支配力、財力の一端を担ったのが、日本列島に持ち込んで来たあらゆる生産技術の専有だった。

奈良時代から安土・桃山期まで、あらゆる生産は支配者身分の「氏族(有姓階層)」が専有技術として貴族・武士・神官・僧侶などと兼業し、高度な技術開発と熟練技術も「氏族」が自ら携わって子孫に伝承させていた。

日本の技術力は、自らの力を注いだ勝負の苦しみの中から生まれた物で、けして楽に生み出したものではない。

勝負は職人の心意気で、簡易性と合理性を追求する欧米の技術思想と一手間掛けても技術水準を追求する日本の職人魂は異質な物である。

つまり日本の技術者(科学者)の誇りが技術革新を呼び、現在の高度技術立国がある。

物造りに「高精度・高級」の「誰々作」と言う特別な思い入れの感性と価値観を持つ日本人の、「高度技術立国のルーツ」がこの歴史的な経緯にある。

この日本人気質とでも言うべき資質が、欧米の「マニュアル型・標準化量産工業」とは異なる手造り「高精度・高級」の「誰々作」は、日本の誇るべき熟練技術力の源である。

日本が世界に誇るべき熟練技術力は、日本人の特別な思い入れの感性と価値観に裏打ちされて、町工場に到るまで浸透している。

しかし残念ながら、現在の大企業優先政策により中小零細を取り巻く経済環境の悪化で、この熟練技術力を継承させる土壌を失いつつあるのが現在の日本の現状である。

政府・政治家は、「日本の独自文化は他国にも理解してもらいたい」と奇麗事を言いながら、この国の財産とも言うべき熟練技術力の「物造り」に冷たく、欧米型の下層階級の労働者に拠る大量生産体制の発展ばかりに偏った金融政策をし、本来資金力に脆弱(ぜいじゃく)な熟練技術力を持つ中小零細を見捨てて来た。

特に小泉・竹中政治は、金融機関を立て直す為に無理やり金融機関の体質改善を命じて「貸し渋り貸し剥がし」を引き起こさせ、中小零細企業の息の根を止めてしまった。

この小泉・竹中政治の悪政、直接的には中小零細に関係ない為に「自分達に関わりない」と無関心の人達も多いが、経済は「金回り」であるから、実は消費の沈滞が間接的に被害をこうむる事に成り、それが現在ジワジワと効いて来ている。

益してや、「熟練技術力」と言う財産を背景に国の底力を発揮すべき将来の芽を多数潰して、「高度技術立国」の建て直しには時間が掛かる状況にある。

これは昔、中華人民共和国が「紅衛兵運動」で有識者を弾圧して、「国の発展が三十年遅れた」と言われるに等しい愚挙である。

関連記事
戦国武士の副業】に飛ぶ。
百姓(ひゃくしょう)】に飛ぶ。

物造り大国・日本の矛盾】に飛ぶ。

第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。

★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)

未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくるにほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ<=このブログのランキング順位確認できます。

[PR]

by mmcjiyodan | 2008-04-27 17:09 | Comments(0)