神武王朝四代と葛城御門(かつらぎみかど)
初代・神武大王(じんむおおきみ/天皇)の后妃・五十鈴媛命(いすずひめのみこと)の皇后父は事代主神である。
二代・綏靖大王(すいぜいおおきみ/天皇)の外祖父は事代主神にあたり、后妃・五十鈴依媛命(いすずイ姫のみこと)の皇后父も事代主神で、二代・綏靖大王(すいぜいおおきみ/天皇)は続柄からすると、母の妹を娶った事になる。
そして三代・安寧大王(あんねいおおきみ/天皇)の外祖父は事代主神、后妃は渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)で皇后父が 鴨王と成っている。
神武大王家も神であるから、神である事代主神の娘を娶っても不思議は無い。
しかしながら、神武大王家(じんむおおきみけ/神武朝)も人間なら賀茂・葛城氏=事代主神であるから、三代・安寧大王(あんねいおおきみ/天皇)の后妃・渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)の皇后父・ 鴨王も=賀茂王となり、四代・懿徳大王(いとくおおきみ/天皇)の外祖父・ 鴨王も賀茂・葛城氏=事代主神と言う事になり、神武大王家(じんむおおきみけ/神武朝)と賀茂・葛城氏は表裏一体そのものである。
この事を裏付けるように、京都・上賀茂神社に継承(伝わる)「葵祭り」には斎王代(さいおうだい)が登場する。
これは天皇家が娘を神様に捧げる様式を、儀典的に現している。
つまり葵祭りの斎王代(さいおうだい)は、天皇でさえ賀茂神社の主神・事代主(ことしろぬし)の神には娘を捧げる儀典形式を踏んでいるのである。
本来の斎王(さいおう)は、未婚の内親王または女王(親王の娘)が勤め、厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称した。
伊勢神宮の斎王を「斎宮」、賀茂神社の斎王を「斎院」とも称し、斎宮は古代から南北朝時代まで斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。
この事が、神武王朝四代と葛城御門(かつらぎみかど)の経緯を表しているのであれば、「賀茂・葛城一族」は古事記や日本書紀が伝えるごとくに単なる機内の豪族ではなく、神武王朝に匹敵する相当の実力を擁した御門(みかど)だった事は間違いない。
そしてこの神武王朝四代に継ぐ神武王朝第五代孝昭・大王(こうしょうおおきみ)に、どうやら葛城氏による皇位簒奪の疑いがあるのだ。
【神武王朝第五代・孝昭大王(こうしょうおおきみ)の香殖稲(かえしね)】に続く。
【下田・賀茂郡と伊古奈比咩命(いかなひめのみこと/白浜神社)】に続く。
【賀茂氏(かもうじ)とカーマ・スートラ】に続く。
【賀茂家 (かもけ/勘解由小路・かでのこうじ)】に続く。
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皇統と鵺の影人
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