神仏習合(しんぶつしゅうごう)
しかし列島の民には、多くの民族が誓約(うけい)で同化する知恵を持っていた。
その知恵を使う事で民族同士の誓約(うけい)同様に、信仰上の神々と仏教を習合(しゅうごう)させてしまう事を試みる。
つまり、他国では余り見られない試みだが、「一緒にさせてしまえば争いは起こらない」と言う単純な理屈である。
本格的に神仏習合が為されたのは七世紀後半の天武大王(おおきみ/天皇)の御世において、大王(おおきみ/天皇)を中心とする国造りが整備されるに伴い、神武朝の氏神であった天照大神を頂点として、それら国造りに重用された神々が民族神へと高められ、その神々に対して仏教側からも敬意を表して格付けを上げるようになった事に神仏習合は始まる。
実際には、仏の説いた法を味わって仏法を守護する「護法善神の仲間である」と言う解釈により、「神も仏も呼び名が違うだけで同一」と言う解釈により奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に仏教の菩薩号(ぼさつごう)を付すまでに至った。
これを本地垂迹(ほんちすいじゃく)と言い、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)である」としたのである。
それで 天照大神は仏教では大日如来となり、民族神の代表格である八幡神(応神神/天皇)が八幡大菩薩(はちまんだいごさつ)などはその典型的な例である。
妥協と言えばそれまでだが、天武大王(おおきみ/天皇)の民族神重用に仏教側が生き残りの知恵を絞った訳である。
【本地垂迹(ほんちすいじゃく/神仏習合)】に続く。
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by mmcjiyodan | 2009-01-05 21:16