須佐氏(すさうじ)=稲田氏(いなだうじ)
須佐・稲田氏に関わる古文書の記述を要約すると、出雲国神門川中流域・須佐郷(島根県出雲市佐田町須佐)地方を占めた古代小豪族(国造(くにのみやっこ・こくぞう))の一つであり、当初は須佐国造と称して「出雲大社の国造家に比した」とも言われている。
しかしながら国造本紀その他に須佐国造は見当たらず、稲田(須佐)氏の系図の真偽に関しては、今の所解明が為されて居ない為に誠に頼りない伝承である。
出雲国・須佐郷は四周を山に囲まれた箱庭のような小盆地で、須佐神社はその中央部を流れる須佐川のほとりに鎮座し、須佐郷の大神というべき須佐能袁命(すさのおのみこと)を祀っていて、風土記の「須佐社」、延喜式の「須佐神社」である。
「出雲風土記」に於いて、『須佐郷、郡家の真西十九里である。神須佐能袁命(かむすさのおのみこと). がみことのりして、「この国は小さい国だが住むに良い土地である。だから私の名は木や石につけるべきではない」と仰せられて、自らの御魂を鎮め置かれた。そしてただちに御名代として大須佐田・小須佐田を定められたから須佐と言う、ここには正倉(しょうそう)がある』と記されている。
古くは須佐神社の社地は「北の宮尾山に在った」と伝えられ、鎮座の年代は明かではないが既に中世には現社地に降りていたらしく、「十三所神社」「十三所大明神」、近世には「須佐大宮」と称していたが、明治維新後の「延喜式」にもとづいて「須佐神社」とされている。
主祭神は高天原神話(たかまがはらしんわ)と出雲神話(いずもしんわ)とを結ぶ神としての性格をもたされている須佐之男命で、スサノオは古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」、風土記では「須佐乃乎命・須佐能烏命・須佐能袁命」と書かれている。
記紀神話によると、伊弉諾尊・伊弉冉尊の御子神在であり、天照大神の弟神としては天神系、大穴持命(おおなもちのみこと)の父祖として地祇系(ちぎけい/征服者が祀る神・祀られる神)の性格を持つ。
古代豪族の地祇系神に関しては、出雲系を指す神を地祇系神とする説があるが、天孫降臨伝説の天神系も渡来古代豪族であるから、地祇系(ちぎけい)神の定義は渡来部族入植地の鎮守神・氏長(氏上)=氏神が相応しいのではないだろうか?
また、博多祇園山笠・櫛田神社(くしだじんじゃ)が、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説に拠れば、櫛名田比売(クシナダヒメ)の別名・奇稲田姫(クシ・イナダヒメ)が見事に符合して来るのである。
【八岐大蛇(やまたのおろち)伝説】に続く。
【日本の伝説リスト】に転載文章です。
名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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