肥後ずいき(随喜・芋茎)・熊本細川藩
特産の性具・肥後ずいき(随喜・芋茎)は、江戸時代から芋茎(いもがら)を使ってこけし形に作ったの伝統ある熊本の特産品である。
元祖・大人の玩具(おとなのおもちゃ)と言った所だが、まぁ何時(いつ)の時代でもこの手の事に人間は熱心である。
肥後ずいき(随喜・芋茎)は使用すると効果覿面で、女性がムズ痒(かゆ)さの為に大いに大胆になる所から大奥で珍重された為、細川藩が徳川将軍家への献上品に定め、「参勤交代のお土産として持参した」と文献に残っている。
随喜(ずいき)とは仏教用語で、大いに感謝したり大いに喜ぶ事である。
その仏教用語が肥後熊本の細川藩で、サトイモなどの茎である芋茎(いもがら)のムズ痒(かゆ)さを使って女性を喜ばす為の民芸伝統性具・肥後ずいき(芋茎)になった。
使用された女性が、ムズ痒(かゆ)さの余りに熱狂して激しく腰を使って性交に及ぶ所から「随喜(ずいき)」と名付けられたこけし形の性具で、ぬるま湯に漬(ひた)して女陰に抽入して使用する。
文献に拠ると芋茎(いもがら)の皮付近に存在する針状結晶のシュウ酸カルシウムが溶解して皮膚に刺さるからムズ痒(かゆ)いらしい。
それを陰茎とカリ首で擦(こす)り、ムズ痒(かゆ)さを和らげようとするから、女性は涙を流すほど激しい抽送を繰り返す事になって「随喜(ずいき)の涙を流す」と言う表現が生まれるほど性交が持続する。
尚、シュウ酸カルシウムのムズ痒(かゆ)さは酸で中和するので、食酢やレモンの果汁などで治まる。
肥後ずいき(随喜・芋茎)に関しては現代の倫理観で言えば「とんでもない名産品を生み出した」と考える方も居られるが、昔の日本は「性に対して非常におおらかだった」事を忘れてはならない。
詳細は【私の愛した日本の性文化】を参照。
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注意)、本書でも便宜的に使用しているが、実は「藩(はん)」と言う呼称は江戸期を通じて公用のものではなかった。
従って水戸黄門漫遊記など江戸初期から中期に掛けての時代劇で「藩(はん)や藩主(はんしゅ)」の呼称を使うのは時代考証的には正しくは無い。
幕末近くなって初めて「藩(はん)」と言う俗称が多用され始め、歴史用語として一般に広く使用されるようになったのは維新後の事である。
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
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