モラトリアム(返済猶予制度)
昭和に入った頃、日本経済は第一次世界大戦時の好況から一転して不況となり、さらに関東大震災の処理のための震災手形が膨大な不良債権と化していた。
一方で、中小の銀行は折からの不況を受けて経営状態が悪化し、社会全般に金融不安が生じていた。
千九百二十七年(昭和二年)三月十四日の衆議院予算委員会の中での片岡直温蔵相の「失言」をきっかけとして金融不安が表面化し、中小銀行を中心として取り付け騒ぎ(預金・貯金・掛け金等を取戻そうとして預金者が一時に金融機関の店頭に殺到して混乱をきたす事。)が発生し、昭和金融恐慌(しようわきんゆうきょうこう)と言う事態と成った。
昭和金融恐慌(しようわきんゆうきょうこう)は、日本で千九百二十七年(昭和二年)三月から発生した経済恐慌で、単に金融恐慌(きんゆうきょうこう)と呼ばれる事もあり、金融恐慌は本来は抽象的に経済的現象を指す言葉だが、日本に於いて特に断らない場合は千九百二十七年(昭和二年)の経済恐慌を指す事が通例である。
この経済恐慌の兆候は、一旦は収束するものの四月に財閥の一郭・鈴木商店(現在の双日のルーツの一つ)が倒産し、その煽りを受けた台湾銀行が休業に追い込まれた事から金融不安が再燃した。
これに対して高橋是清蔵相は、戦争・恐慌・天災などの非常時に、社会的混乱を避ける為に法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予するモラトリアム(返済猶予制度)を実地する一方、片面印刷の二百円券を臨時に増刷して現金の供給に手を尽くして現金の流通を増やし、銀行もこれを店頭に積み上げるなどして不安の解消に努めて金融不安は収まった。
昭和金融恐慌は、二年後に起きた昭和農業恐慌(千九百二十九年の世界恐慌の影響を受けて主に農業に経済的打撃を受けた)と合わせて昭和恐慌と言われる事もある。
モラトリアム(返済猶予制度)については、千九百二十七年(昭和二年)の昭和金融恐慌以外に千九百二十三年(大正十二年)の関東大震災、最近では、千九百九十五年(平成七年 )の阪神・淡路大震災の際に、被災地企業に対する手形の支払猶予措置がとられた特殊ケースが在る。
モラトリアム(返済猶予制度)の名称は広範囲に使うので、制度の解釈はその設定で中身はかなり違って来る。
例えばを大胆に言うなら、借入金の金利だけ払い続けて元金の返済だけを期限付きで猶予する方法や、元金と金利返済の両方を期限付きで猶予する方法もある。
勿論、過去の徳政令には「借金チャラ」と言うのが多いので、歴史的に見れば只のモラトリアム(返済猶予)は政策程度的には大した事ではない。
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皇統と鵺の影人
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