地祇系(ちぎけい)神
皇族も神社も「宮」である。
当初、「村の鎮守の神様」は、渡来部族占領軍の入植地に設けた氏族の氏神(征服者の祖先を祭る)であり、被征服者(隷属した現住民/民人/蝦夷・えみし)は氏子ではない。
鎮守様は入植者氏族の氏長(氏上)自身の役職名「鎮守」であり、鎮守神社は、被征服者(蝦夷族)に征服者氏族を畏怖させ、ひれ伏させる為の政治的布教活動の拠点であり、鎮守社は砦でもあった。
氏神は氏上であり神主(かみぬし=かんぬし)なのだ。
例えば「絵馬」は、最初は氏長(氏上=氏神)に「馬」を献上して治世の願い事をした習慣が、時を経て氏神が神社と成って「馬」の奉納が形式化して馬の絵に成り、やがて現在の木製の板に絵を描いたものに成り、そこに願い事を書き入れて奉納する信仰習慣に成った。
こうした経緯一つ取っても氏神の正体は氏上(氏族の長)であり、尊敬はされていたかも知れないが生臭い神だった筈である。
土地の氏神が民を守る事と土地の氏上(うじがみ)が土地と民を守る事は、その到達の意味合いが重なっている。
氏族が先祖を神に祭り上げる事は、子孫である自分達の権力の正統化に繋がる事であるから奇跡現象などの労はいとわなかった筈で、純朴な民がそれを信じても仕方が無い。
神主(かんぬし)と言う呼称の発祥の由来は「氏神主(うじかみぬし)」である。
現在では神職全般に神主(かんぬし)と言う名称を使うが、本来は神社における神職の長を指すのが神主(かんぬし)であり、つまり氏族の氏長が氏上(うじかみ・氏神)で、その氏神主(うじかみぬし)と言う訳である。
この古代征服者が祀る神・征服者が祀られる神を総称して、「地祇系(ちぎけい)神」と学問的に提起されている。
この「地祇系(ちぎけい)神」、狭義の上では祇園神を指す言葉として使用されている。
祇園祭は、朝鮮半島を発祥とする神様・牛頭王(ごずおう)またの名を祇園神・須佐王(スサノオ)を祀る祭りで、日本の祭りが朝鮮半島を発祥とする神を祀る証拠として祭りの掛け声は「ワッショイ」だが、現在の半島(朝鮮半島)の言葉でも掛け声は「ワッソー」で、この「ワッソー」を、御輿を担ぐ勢いで早口で言って見れば判るのである。
祇園祭りは、北は青森から南は九州・熊本まで広範囲に地祇系神(祇園神社系神)として執り行われている祭礼で、京都・牛頭王(ごずおう)の八坂神社(祇園総社)や博多・櫛田神社に祀られる素戔嗚尊(すさのうのみこと)の博多祇園山笠は特に盛大で知られている。
古代豪族の地祇系神に関しては、出雲系を指す神を地祇系神とする説があるが、天孫降臨伝説の天神系も渡来古代豪族であるから、地祇系(ちぎけい)神の定義は渡来部族入植地の鎮守神・氏長(氏上)=氏神が相応しいのではないだろうか?
従って理屈で言えば、本来なら総本社の神職の長が神主(かんぬし)で、分社の神職の長は厳密に言うと神主(かんぬし)の代理・代行者かも知れない。
日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。
そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城の事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。
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