囚人のジレンマ
現代では否定される事でも、その時代環境が今とは違う価値観を肯定し、それを誇りに思える場合があるのだが、これこそ誓約(うけい)精神の原点なののである。
だが、群れを強く意識した村落共生社会では「囚人のジレンマ」と呼ばれる個人性と社会性のせめぎ合いの中から共に生きる為に生まれた協調性が、村の掟(ルール)として採られたのではないだろうか?
囚人のジレンマとは、群れ合意(社会性)と個人の意志が必ずしも一致しない為に、個人の意志を優先すると群れとしての利益を失い、結局個人も大局的には「利」を失う事を言う。
それ自体は応用範囲の広い人類永遠のテーマであるが、二人の隔離した囚人の自白ゲームがモデルとなっている為に「囚人のジレンマ」と呼ばれている。
自らを有利にする自白は、同時に友人を陥(おとしい)れて失う事である為、合理的な各個人が自分にとって「最適な選択(裏切り)」をする事と、全体として「最適な選択」をする事が同時に達成できない事が、ジレンマ(板挟み)なのである。
つまり個々の最適な選択が全体として最適な選択とは成らない状況が存在する事を指して「囚人のジレンマ」と言う。
しかしながら人間は独りでは生きられない動物であるから、結局個人は「群れ」と言う社会性に囚われているので、個人が確実に「利を得る方法」を選ぶなら群れに対する協調性が必要に成るのである。
但し余り極端に片寄ると国家全体主義に走る恐れがあるので、あくまでも国境と人種の壁を取り除く事を含めての「共生主義」へのイデオロギーの転換が必要なのである。
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皇統と鵺の影人
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