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秦河勝(はたのかわかつ)

実は秦の始皇帝から派遣された方士・徐福の末裔とも目される秦の始皇帝を始祖と自称する秦氏には、紀元前二百年頃の渡来の方士・徐福の末裔説も在るが、一応六世紀頃に日本列島へ渡来した渡来人部族集団と言われ、秦河勝(はたのかわかつ)は、その秦氏出身の豪族で六世紀後半から七世紀半ばにかけて大和朝廷(ヤマト王権)の有力構成臣として活動した。

ただしこの秦氏(はたうじ)一族の渡来時期六世紀頃に関しては、大和朝廷での活躍時期からの逆算の可能性も在り、或いは紀元前期に渡来して列島のどこかで小国を造っていた古代豪族の秦氏(はたうじ)が大和朝廷に合流した可能性も否定できない。

秦氏(はたうじ)は古代の渡来系有力氏族で、土木や養蚕・機織(ぬのおり)・製鉄精錬などの技術を発揮して「製造業や商業で栄えた」と言う。

河勝は「秦氏の族長的人物であった」とされ、聖徳太子の相談相手として活躍したとも伝えられ一方、技術力を持つ渡来人集団を率いる経済活動でも成功した富裕な商人の一面も在り、その財力により初期・「大和朝廷の財政を支えていた」とされる。

財力を背景に有力豪族としての地位を得た秦河勝(はたのかわかつ)は、平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったとされ、新羅の使節を迎える導者や駿河国富士川周辺で、「常世神」を崇める大生部多(おおふべのおお)と言う者を中心とする集団を追討したとされるなどの業績が伝承されている。

日本初の多角企業集団秦氏(はたうじ)の族長的人物・秦河勝(はたのかわかつ)には表向きと違う活動の痕跡も多く、神農(しんのう)道の祖とも伝えられ、自らの事業の為や朝廷の為の「情報収集や諜報活動をしていた」とされる。

そこから派生して香具師(かうぐし、こうぐし、やし)の祖・川勝氏、そして芸能関係の金春流や猿楽として発生し、同朋衆(どうぼうしゅう)の芸として発展した能楽の観阿弥、世阿弥親子も河勝の子孫を称している。

尚、秦氏・秦河勝(はたのかわかつ)の後裔を称する武家として有名なのは、戦国大名で知られる土佐国の長宗我部氏、江戸幕府幕臣・川勝氏も河勝の子孫を称している。

渡来人(とらいじん)】に続く。

参考・関連小論【古代ヘブライ(ユダヤ)伝説・秋田美人とナニャドヤラ】はお薦めです。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2009-11-01 01:23  

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