奇祭・男根型ご神体
よろず生産(豊穣)の神、また子宝の神として信仰されているこのご神体は男女一対で、世界でも珍しいものとされている。
また、日向市(宮崎県)で行われるひょっとこ夏祭りは、天宇受売(アメノウズメ)と猿田毘古神(サルタヒコ)の異民族誓約(いみんぞくうけい)の伝承神楽を踊りにしたひょっとこ面やおかめ面、狐の面をかぶり約千人の男女が、「ひょっとこ踊り」と言う性交を思わせるクィクィと腰を突き出すゆかいな仕草で踊り歩くのだが、これに似た腰使いの踊りは「おてもやん総おどり(熊本県)」など九州各地に存在する。
似たようなもので、こちらは舞台で演じるのが奈良県明日香村・飛鳥坐神社には天狗とおかめの情事(ベッドシーン)を演じる「おんだ祭り」がある。
これも明治維新の文明開化前は、「日本全国で同じ様な祭礼をしていた」と言われる。
つまり、飛鳥坐神社の天狗とおかめの情事(ベッドシーン)を演じる里神楽を仕掛けたのは、修験山伏を於いて他に無いのである。
静岡県の伊豆稲取・どんつく神社の奇祭「どんつく祭り」は「二千年間続いて来た」と言われ、御神体は大きさ三メートルの男根型で、その御神体を載せた神輿を女性が担ぎ、神社(女性)へ向かい、どーんと突くから「どんつく」なのだそうである。
夫婦和合、子孫繁栄を願うこのような祭りや御神体は全国各地に在り、愛知県は小牧、田懸(たがた)神社の豊年祭は、男達が男性器をかたどった神輿「大男茎形(おおおわせがた)」を担いで練り歩き、小ぶりな男性器をかたどったものを、巫女たちが抱えて練り歩く。
田懸(たがた)神社の創建の年代は不詳だが、延喜式神名帳に「尾張国丹羽郡 田縣神社」と有るからこちらもかなり古いものである。
また、大縣神社の「豊年祭(姫の宮祭り)」が田懸(たがた)神社の豊年祭と対になっており、こちらは女性器を型取ったものを巫女達が抱えて練り歩く。
新潟県長岡の諏訪神社 ・奇祭「ほだれ祭」の御神体も男根型である。
「ほだれ」は「穂垂れ」と書き、五穀豊穣や子宝を授かるなどを祈願するもので、神輿に鎮座した重量六百キロもある男根御神体の上には新婚のうら若い女性が数名、男根型御神体を跨いで乗り下来伝地区内を練り歩く。
長野県松本・美ヶ原温泉の薬師堂に男根型道祖神を祭り、祭礼には巨大な男根木像・御神体の御神輿を担いで練り歩「道祖神祭り」も有名である。
岩手県遠野の「金精様」とは豊饒と子孫繁栄のシンボルとして男性の性器を形取った石や木を祀る民俗神で、この金勢様や金精様は全国に存在する。
神奈川県川崎市川崎区の若宮八幡宮境内に在る金山神社は鉱山や鍛冶の神 (陰陽修験の業務の一環) である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀る神社だが、江戸時代川崎宿の飯盛女達の願掛けに端を発して奇祭「かなまら祭り」が行われるように成った。
金山神社は金属製の巨大なの男根(男性外性器・張形)を御神体として商売繁盛・子孫繁栄(子授け)・安産・縁結び・夫婦和合のご利益があると言われ、近年ではエイズなどの性病除けの祭り(Iron Penis Festival)として国際的にも有名になっている。
日本に於ける所謂(いわゆる)庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交祭り文化」である。
つまり、本音はただの性欲のはけ口かも知れないが(?)、建前は子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。
祭りを性開放の行事とした名残りは各地にあり、例えば、静岡県庵原郡興津町(現、静岡市清水区・興津)の由井神社でも、夏祭の夜は参集する全ての女性と交歓して良い風習が在った。
愛媛県上浮穴郡田渡村(現、小田町)の新田八幡宮は縁結びの神様で、毎年旧二月卯の日の祭礼の夜に、白い手拭を被って参詣する婦人は娘や人妻、未亡人の別なく「自由に交歓して良い」と言う事に成っていた。
毎年六月五日に催され、奇祭として知られる京都・宇治の「県(あがた)祭り(暗闇祭り)」は、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。
西の京都・宇治「県(あがた)祭り(暗闇祭り)」に対して東の暗闇祭り(くらやみまつり)で有名なのは、源頼義・義家の奥州征伐の「戦勝祈願に寄進した」とされる府中・大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の「暗闇祭り(くらやみまつり)」が在る。
大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の祭神は大黒天(大国主)で、この三大奇祭の一つに数えられる神社は武蔵一の宮(総社)である。
この大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の暗闇祭り(くらやみまつり)は基本的に厳粛な神事として巫女舞神楽が舞われ、宮堂に選ばれた男女が御夜籠りして神を迎えようとする「祭事(さいじ)」である。
信仰を集めるには楽しみが必要で、神事の行われる真夜中の一定時刻には社地はもとより氏子の集落一帯は全部燈火を消し、雨戸を開放しておかねばならぬに約束事に成っていた。
この祭りが「夜這い祭り」とも呼ばれ、昔は一般の男女参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許される」とされていた。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、祭り(祀り)としての性交行事が認められていたのだ。
弥生時代、日本列島は様々な異民族(異部族)が小国を創って割拠する人種の坩堝(るつぼ)で争いの地だった。
元々「日本の神話信仰」の根幹を為すのは異民族(異部族)同士の性交に拠る平和的和合(統合)であり、出来た子の代は異民族(異部族)混血の同一族である。
つまり、祭り(祀り)事は政(マツリゴト・政治)であると同時に政治は性事で、誓約(うけい)の性交は神聖な神事(マツリゴト・政治)である。
従って初期の神殿(神社)で執り行われた神事が性交そのもので在っても不思議は無く、その痕跡が現代でも垣間見られて当たり前で在る。
為に神殿(神社)性交は異民族(異部族)和合の神事で、これを「現代の性規範で否定しよう」とするから理解がされないのである。
「時代が違う」と言われそうだが、そもそも「知らない相手となど性交は出来ない」は本人の気分の問題で、昔は親同士が決めた結婚で婚礼の夜が初対面でも夫婦の契り(性交)は出来た。
人間としてナチュラル(自然体)な生き方は責められるべきではなく、「乱交などふしだら」と言うけれど、特別な相手では無い性交は元々遊びなのだから、それこそ特定な相手との浮気よりは相手が特定出来ない乱交の方が相方は嫉妬もしないし後腐れはない。
人生中途半端に逃げてばかりで解決する問題など世間には無いのだから、例え望まない人生でも、人間は神に与えられればそれを生きなければ成らない。
刹那刹那を生きる事でそれなりに楽しさもあるのだから、その辺りに信仰として続いた庶民の娯楽、暗闇祭りの真髄が在ったのかも知れない。
祭り事は統治の意味でもあり、昔の「お祭りをする」は性交の隠語でもある。
日本では一般的に「仏教」として受け取っているものに、ヒンドゥー教起源のものが多く、当初はその性に対しておおらかな教義が伝わっていても不思議は無い。
ネパールのヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。
伝来したヒンドゥー教の御神体・リンガ(男根神)が、日本で神社の御神体として鎮座していても不思議は無い。
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
◆【暗闇祭り(くらやみまつり)の歴史認識】をご参照下さい。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
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