坂本龍馬(さかもとりょうま)の海援隊(かいえんたい)
坂本龍馬が中心となり結成した私設海軍・貿易会社として活動した貿易結社・「亀山社中」は物資の輸送や航海訓練なども行い、龍馬は千八百六十六年の第二次幕長戦争に於いて長州藩の軍艦に同乗し下関海戦に従軍する。
翌年には、土佐藩から龍馬の脱藩が許されて土佐藩に付属する外郭機関として亀山社中は「海援隊」と改称されて龍馬は隊長となり、同年に起こった「いろは丸沈没事件」に於いては、紀州藩に賠償金を請求する。
薩長の険悪な仲を憂慮した龍馬は、海援隊(かいえんたい)隊長の立場を利して武器や軍艦などの兵器を薩摩藩名義で長州へ流すなどの斡旋を行い、険悪で在った薩摩と長州の関係修復を仲介し、薩摩の西郷隆盛(吉之助)・長州の木戸孝允(桂小五郎)を代表とする薩長同盟の締結に大きな役割を果たす。
坂本龍馬は朝廷の復権・倒幕運動に奔走するが、徳川慶喜の大政奉還を受けて内戦回避を主張する坂本龍馬と薩摩・長州の武力倒幕論が意見対立し、京都・近江屋で坂本が陸援隊隊長の中岡慎太郎とともに暗殺される。
日本初の株式会社とも言われる海援隊(かいえんたい)は龍馬暗殺を持って求心力を失い、結成三年余りで分裂して長岡謙吉らの一派、菅野覚兵衛らの一派などが夫々戊辰戦争の局地戦に参加、長岡謙吉が土佐藩より海援隊長に任命されたが、翌年には藩命により海援隊は解散される。
その後土佐藩士の後藤象二郎が海援隊を土佐商会として、土佐国地下浪人・岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)が九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事などに発展させている。
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