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秦始皇帝(しんのしこうてい)

秦始皇帝(しんのしこうてい)は、中国語(中文・ツゥンウェン)では始皇帝(シーホワンディ)または秦始皇(チンシーホワン)と称され、紀元前二百五十九年に中国全土に七ヶ国在った国の一つ秦と言う国の王家に生まれる。

十三歳の秦始皇帝(チンシーホワンディ)が、紀元前二百四十六年に秦国の王・秦王(チンワン)として即位した時は七ヶ国が覇を争う戦国期だった。

秦王(チンワン)即位八年後の二十一歳で始皇帝は実権を握って親政を始め、即位二十五年後の紀元前二百二十一年、三十六歳の始皇帝は史上初めて中国全土を統一して中国史上初の皇帝(ホワンディ)を称した。

始皇帝は先見性に優れた有能な皇帝で在った事は広く認められているが、一方で幼少より虚弱な体質で在った為に不老不死を求めて方士を重用し、徐福(スィフゥ/じょふく)に対して「東方に在る」と言う蓬莱国(日本を指すと解される)へに向い「仙人を連れて来るように」と命じた。

この徐福(じょふく/スィフゥ)の子孫が、始皇帝の末裔を名乗る「初期大和朝廷の有力豪族・秦氏ではないか?」と推測されている。

中国前漢の武帝の時代に司馬遷(しばせん/スーマーチエン)に拠って編纂された中国の歴史書「史記」に在る始皇帝の容貌や性格について始皇帝は、「鼻が高く、目は切れ長で、声は豺狼(ヤマイヌ)の如く、恩愛の情に欠け、虎狼のように残忍な心の持ち主」と記載されていて、日本の武将・織田信長のイメージがダブルる。

紀元前二百十一年に四十六歳の始皇帝が崩御すると、翌年には陳勝・呉広の乱が発生して秦は一気に滅亡へと向かい、始皇帝以後の秦帝国の皇帝は二世皇帝・三世皇帝と三代で滅びるが、皇帝自らが権力を持って秦帝国を治めたのはほぼ始皇帝の御世だけで在った。

いずれにしても、この秦帝国の話しは日本では天孫降臨神話の神代にあたり、まだ主に縄文人が暮らす未開の地だった。

つまり、七百八十一年に即位した桓武天皇奥羽(東北)蝦夷(えみし)を討伐して北海道を除く日本列島をほぼ統一する千年以上も前の事である。

参考・関連小論【山幸彦・海幸彦(やまさちひこ・うみさちひこ)伝説】はお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2010-01-10 15:07  

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