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錦旗(きんき)/錦の御旗(にしきのみはた)

錦旗(きんき)と呼ばれる菊章旗は、赤地の錦に、金色の日像・銀色の月像を刺繍したり描いたりした日之御旗と月之御旗の二振り一組の御旗である。

承久の乱(じょうきゅうのらん)に際して後鳥羽上皇が配下の将に与えた物が歴史上の錦旗の初見とされ、以後朝敵討伐の証として天皇から官軍の大将に下賜する慣習がある。

維新の動乱に際しては、鳥羽伏見の戦いに於いて薩摩藩の本営で在った東寺に初めて錦旗(きんき)が掲げられた。

この時使用した錦旗は、慶応三年秋に薩摩藩大久保利通長州藩の品川弥二郎が、愛宕郡岩倉村にある中御門経之の別邸で岩倉具視と会見した際に朝廷拠り調製を委嘱された物と伝えられる。

十四代将軍・徳川家茂の急死と孝明天皇の崩御、十五代将軍・徳川慶喜の大政奉還を機会に明治帝(睦仁親王)の側近公卿は尊皇派に入れ替わって居たが、明治帝(睦仁親王)みずからが薩長に錦旗の使用を許したかは疑問である。

王政復古の勅を起草した岩倉卿の腹心・玉松操(たままつまひろ)のデザインを元に大久保利通が京都市中で大和錦と紅白の緞子を調達し、半分を京都薩摩藩邸で密造させた。

もう半分は数日後に品川が材料を長州に持ち帰って錦旗に仕立てた。

その後戊辰戦争の各地の戦いで薩長両軍を中心に使用され、官軍の証である錦旗の存在は士気を大いに鼓舞すると共に、賊軍の立場となった江戸幕府側に非常に大きな打撃を与える。

錦の御旗を目にした前線の幕府兵達が「このままでは朝敵になってしまう」と青ざめて退却する場面を、土佐藩士・田中光顕は目撃している。

戊辰戦争(ぼしんせんそう)】に続く。

第五巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2010-01-17 21:12  

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