戊辰戦争(ぼしんせんそう)
明治新政府が王政復古で成立した大政奉還後も、旧体制の親江戸幕府勢力(佐幕派)は残っていて新政府に抵抗する構えを見せる者も多く、その一掃を目指して新政府が薩長土肥の軍事力を用い主に甲信越・関東・東北・北海道で交戦した掃討戦だった。
この掃討戦の期間が慶応四年~明治元年で干支(えと)が戊辰(ぼしん)だった事から戊辰戦争(ぼしんせんそう)と呼ばれ、明治新政府側が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅した事により、以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められた。
戊辰戦争は大きく分けて三段階に分けられ、最初の衝突は「鳥羽・伏見の戦い」で、この時点では旧幕府勢力も新政府に参加する構想も在り薩長と幕府の主導権争いに起因すると思われるが、戦闘の最中に錦旗(きんき)が薩長に下賜され徳川慶喜が大阪から海路江戸に向かった時点で主導権は完全に薩長の手に落ちた。
その後、江戸に攻め下る官軍(新政府軍)を前に西郷隆盛と勝海舟の交渉で江戸城の無血開城は為されたが、幕府方は近藤勇(こんどういさみ)と土方歳三が指揮した甲州勝沼戦や市川・船橋戦、そして幕臣約四千名が集合した上野彰義隊戦(上野戦争)などの局地戦が起き、いずれも装備に勝る官軍(新政府軍)が勝利している。
第二段階は会津藩・庄内藩の処分問題に起因するもので、合津戦争を含む「東北戦争」の段階で、東北列藩同盟は「会津藩・庄内藩への同情論が結束を促した」とされている。
第三段階の「箱館戦争」は旧幕府勢力の最後の抵抗で、榎本武揚(えのもとたけあき)ら一部の旧幕臣が旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出、途中東北列藩同盟側敗戦濃厚な仙台で同盟軍および大鳥圭介・土方歳三等の旧幕府軍の残党勢力約二千五百名を収容して蝦夷地(北海道)へ向かい、松前藩の箱館五稜郭などを占領し蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出する。
新政府がこの蝦夷地支配を認め無い中、要となる旗艦・開陽を座礁沈没させて失い制海権を失った旧幕府軍 は上陸して来た新政府軍と交戦と成り、主戦派の土方歳三が戦死し榎本武揚らは新政府軍に降伏し戊辰戦争は終結する。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2010-01-21 01:02