島津久光(ひさみつ・忠教/ただゆき)
四賢候の一人と評価される島津久光(しまづひさみつ)は、薩摩藩から西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)ら維新の立役者を輩出した事から維新政府で評価を得たのだが、しかし本来の考え方は権力者に有り勝ちな守旧派で、別に最初から倒幕に熱心だった訳ではなく公武合体派だった。
島津氏二十七代当主・(島津薩摩藩十代藩主)・島津斉興(しまづなりおき)の五男として誕生した島津久光(しまづひさみつ)は、種子島家・種子島久道の養子や島津一門家筆頭の重富・島津家の次期当主・島津忠公の娘・千百子(ちもこ)と婚姻し婿養子となるなどの経緯を経て元服、忠教(ただゆき/島津久光)を名乗る。
千百子(ちもこ)と婚礼を挙げて重富・島津家の家督を相続した島津忠教(ただゆき/島津久光)は、父・斉興(なりおき)の後継の地位(薩摩藩主)をめぐって、兄・斉彬(なりあきら)と忠教の兄弟をそれぞれ擁立する派閥による御家騒動(お由羅騒動)に巻き込まれる。
この騒動は幕府の介入を招いて父・斉興(なりおき)の引退を早め、異母兄の十一代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)が誕生する。
十一年後の千八百五十八年(安政五年)、井伊直弼(いいなおすけ)が大老に就任した頃に兄・斉彬(なりあきら)が病没し、その遺言により忠教(ただゆき/久光)の実子・忠徳(茂久/後の忠義)が藩主に就任する。
存命だった忠教(ただゆき/久光)の父・十代藩主・島津斉興(しまづなりおき)が十二代藩主・島津茂久(忠義)を後見していてが、その斉興(なりおき)が病没して十二代藩主・島津茂久(忠義)の実父としての忠教(ただゆき/久光)の政治的影響力が増大し、久光(ひさみつ)と改名して「国父」・「副城公」として遇されて藩政の実権を掌握し事実上の最高権力者となる。
藩政の実権を掌握した島津久光(ひさみつ・忠教/ただゆき)は、既に齢(よわい)四十二歳を数えていた。
この久光(ひさみつ)の藩政掌握の過程で小松清廉(帯刀)や中山中左衛門など重用、大久保利通・伊地知貞馨(堀仲左衛門)・岩下方平・海江田信義・吉井友実ら、後に精忠組と名付けられる中下級藩士から成る有志グループを登用する。
久光(ひさみつ)は、この藩政掌握の間に反りが合わない西郷隆盛を無断東上の罪で責めて徳之島、沖永良部島に配流し、藩内有志の嘆願により赦免するまで流配を解かなかった。
千八百六十二年(文久二年)、四十五歳に成っていた島津久光(しまづひさみつ)は尊皇攘夷か佐幕かで揺れる京の都へ、持論の公武合体運動推進の為兵を率いて上洛する。
その京で、久光(ひさみつ)は有馬新七ら自藩々士を多数含む尊攘派過激分子が共謀して関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義邸を襲撃しょうと伏見の船宿寺田屋に集るを知り、大久保一蔵(利通)らを派遣しこの騒ぎを抑えようと試みたが大久保が失敗した為、鎮撫使を派遣して切り合いとなる寺田屋騒動(てらだやそうどう)を起こしている。
その後、「八月十八日の政変」、「禁門の変」、「第一次長州征伐」、「第二次長州征伐」、「将軍・家茂の薨去」、「孝明天皇の崩御」の経緯の中で、風向きは久光(ひさみつ)の公武合体推進から倒幕へと流れが変わって行く。
藩内では絶対君主と解される藩主やその代行者で在っても現実には家臣(部下)が着いて来なければ無力で、久光(ひさみつ)の公武合体運動は頓挫し、小松帯刀や西郷隆盛、大久保利通ら藩論が倒幕に傾く中、久光(ひさみつ)は政治的妥協の可能性を断念し薩摩藩指導部は武力倒幕路線を決断する。
病を得た久光(ひさみつ)は薩摩に帰郷、朝廷より久光・茂久へ討幕の密勅が下され、将軍・徳川慶喜による大政奉還の奏請を受けて上京が命じられるも病の為応じられず、息子である藩主・茂久が藩兵三千を率いて鹿児島を出立、その後、中央政局は王政復古、戊辰戦争へと推移している。
維新後の久光(ひさみつ)は五十六歳の千八百七十三年(明治六年)に東京に上京し、新政府に出仕して内閣顧問・左大臣に任じられるが政府の意思決定からは実質的に排除され、廃藩置県、廃刀令等の開化政策に反抗したが、久光(ひさみつ)の意を汲む者は居なかった。
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