伊東祐親(いとうすけちか)と八重姫の悲話
流人となった頼朝だが、伊豆配流と言う事は伊豆配流と言う事でそこは高貴な後胤貴族の血を引く源氏の棟梁で、伊豆の国(いずのくに)内ならば比較的自由に行動が出来た。
十四歳の若者から三十三歳で旗揚げするまでの十九年間、ちょうど恋の季節を伊豆国で送った頼朝である。
北条正子と割り無い仲に成る前に、一つの恋が在った。
その恋の相手が伊東祐親(いとうすけちか)の三女・八重姫で、頼朝は二十五歳だった。
何時(いつ)の世でも、女性(母性)にとっては悲劇の主人公は恋の相手として魅力的である。
正直、名門・源氏の若き棟梁が流人として父・伊東祐親(いとうすけちか)に預けられたとなると、哀れみ混じりに八重姫(伊東八重)の母性本能をくすぐらせ、やがて恋に落ちたのかも知れない。
源頼朝の監視を任されていた伊東祐親(いとうすけちか)の娘・八重姫は、祐親(すけちか)が大番役(朝廷警護の任)で上洛している間に頼朝と通じて一子・千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまう。
その千鶴丸が三歳に成る頃、大番役を終えて京から戻った祐親はこの事実を知ると「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家の咎めを受けたらなんとするのか」と激怒する。
そして祐親(すけちか)は、平家の怒りを恐れ千鶴丸を松川轟ヶ淵に沈めて殺害、さらに頼朝自身の暗殺も図り、娘・八重を取り返して伊豆の国(いずのくに)江間の住人、「江間小四郎(えまのこしろう)に嫁がせた」と伝えられる。
この危機に、頼朝の乳母・比企尼(ひきのあま)の三女を妻として頼朝と親交が在った祐親(すけちか)次男・祐清(すけきよ)が頼朝に知らせ、頼朝は夜間馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿われて事なきを得たと伝えられている。
伊東祐親(いとうすけちか)は平安時代末期の伊豆の国(いずのくに)の在地豪族で、後に毛利両川の一家になる吉川氏(きっかわうじ)とも同族の藤原南家の流れを汲む工藤氏流れ伊東氏・伊東祐家の子で在ったが、父・祐家が早世すると、祖父・伊東家継は祐家の兄弟・工藤祐継(くどうすけつぐ)に本領の伊東荘を与え孫の祐親(すけちか)には河津荘を与えた。
本領を工藤祐継(くどうすけつぐ)に渡され伊東氏の総領の地位を奪われた事に不満を持つ祐親(すけちか)は、訴訟を起こして争い、祐継(すけつぐ)の死後にその子・工藤祐経(くどうすけつね)から伊東荘を奪った。
これを恨んだ祐経(すけつね)は祐親(すけちか)の嫡男・河津祐泰(かわづすけやす)を狩りの場で射殺し、これが後に祐親(すけちか)の孫が達(曾我祐成・時致)が起こす曾我兄弟の仇討ちの原因となる。
伊東祐親(いとうすけちか)は東国に於ける親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、平治の乱に敗れて伊豆に配流されて来た源頼朝の監視を任され、娘・八重姫の悲惨な恋の当事者と成ったのである。
祐親(すけちか)の暗殺の手を逃れ北条時政の館に匿われた源頼朝は、やがて時政の娘・正子と新たな恋を始めていた。
千百八十年(治承四年)に頼朝が伊豆目代・山木(平)判官兼隆を討って挙兵すると、祐親(すけちか)は大庭景親(おおばかげちか)らと協力して石橋山の戦いに後方から頼朝方の退路を絶ちこれを撃破する。
しかしやがて安房国で勢力を盛り返した頼朝に拠って逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられて娘婿の三浦義澄(みうらよしずみ)に預けられる。
危ない所を知らせた次男・祐清(すけきよ)への恩義も在り、三浦義澄(みうらよしずみ)による助命嘆願が功を奏して一時は頼朝に一命を赦された祐親(すけちか)だが、この助命を深く恥入り祐親(すけちか)は自害して果てた。
尚、この八重姫の悲話については「創作部分が多い」との指摘もあるが、源頼朝と伊東祐親(いとうすけちか)の間にただならぬ経緯が存在したのは事実である。
尚、近頃は現代の倫理観に当時を無理に当て嵌め、「伊東祐親(いとうすけちか)は極悪人」とする意見を持つ者もいるが、それを言うなら武力簒奪だろうが陰謀だろうが領地簒奪は武士の習いであり、殊更伊東祐親(いとうすけちか)を俎上に上げなくても武士は全員極悪人である。
恥ずかし気も無く、自分の正義感を満足させたいだけで「こうあるべき」と言う「べき論」を真っ先に掲げて思考を始める怪しげな綺麗事歴史論者の姿勢は、結果的に歴史を捻じ曲げてしまう。
【曽我兄弟のあだ討ち】に続く。
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