大王(おおきみ)=天皇(てんのう)
その国主(くにぬし)が中華帝国内各地の王達に習って王を名乗り、その頂点に君臨する最高権力者を大国主(おおくにぬし)を大王(おおきみ)と呼称した。
従って何処までが実在かは不明ながら、初代・神武(じんむ)帝から四十代・天武(てんむ)帝までの正式な名乗りは大王(おおきみ)であり、それまでの帝を史学上「天皇(てんのう)」と呼称するのは皇統の一貫性を持たせる為に便宜上決めた事である。
元々中華大陸での「王」の称号は中国を統治する君主を指したもので、周代には天下を統治する唯一の天子として王の称号が在ったが、周代が終わって戦国時代に入ると王の臣下である筈の諸侯が争って「王」を自称した為に王が乱立した。
紀元前二百二十二年に中国全土を初めて統一した秦の秦王政は、価値を落とした王号に代わって新しい称号「皇帝」を使用し秦始皇帝を名乗った。
その後中華大陸では、紀元前二百六年に漢帝国が成立すると王号は皇帝の臣下(諸侯王)へ与えられる称号として定着した。
日本列島に於いても、小国乱立時代の王号の使用解釈は冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の臣下(諸侯王)へ与えられる称号であり、そうした小国家群の統一王権として大王(おおきみ)の称号を使用した。
しかしながら日本列島の大王(おおきみ)は、冊封(さくほう/さくふう)に拠る中華皇帝の影響力を排して中華帝国の皇帝と対等の独立した帝国で在る事を内外に主張する名称として、天皇(てんのう)と言う呼称を採るようになる。
大王(おおきみ)から天皇(てんのう)に呼称変更したのは、皇統簒奪の疑惑がある天武天皇(てんむてんのう/第四十代)が「初めて天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を採用したのではないか」と推測されている。
つまり飛鳥京(あすかきょう)時代の末期に即位した天武天皇(てんむてんのう/第四十代)が、何故かそれまで大王(おおきみ/治天下大王・あめのしたしろしめすおおきみ)の称号を用いていた大和王権の長が、天皇(てんのう/すめらみこと)の称号を用いるようになった。
なお、初代・神武大王(じんむおおきみ/神話・伝説上の初代天皇)から第二十五代・武烈大王(ぶれつおおきみ/第二十五代天皇)までを「上古天皇」と分類している。
この「上古天皇」は、「かみふるてんのう/かみのみなすめらみこと」と読むのだが、この「上古天皇(かみふるてんのう)」は「神降(かみふ)る=天孫降臨」とも読め、古事記・日本書紀の編纂意図が伺われる。
つまり、この頃の大王(おおきみ/天皇)の物語は、時系列からすると古事記・日本書紀の編纂からはかなり以前の事で、編纂までの間に為政者の都合による創作が紛れ込んでも違うとも正しいとも証明が出来ない。
【大王(おおきみ/天皇)の神格化】に続く。
【天皇(てんのう/すめらみこと)の称号】に続く。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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