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聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)

七百年代(奈良時代・ならじだい)の皇統は、その血流の継続に腐心した時代である。

要因は幾つかあるが、最大の原因は虚弱精子劣性遺伝に拠る男系継嗣に恵まれ難かったからである。

聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)、その娘・孝謙天皇(こうけんてんのう/第四十六代女帝)が仏教に熱心に帰依して仏教を国家統治の中心に置いていた。

そうした大王(おおきみ)継承の事情の上に、天智大王(中大兄皇子・なかのおおえのおうじ/葛城皇子)の皇統と皇位簒奪疑惑を持つ天武天皇(てんむてんのう/第四十代/大海人皇子)の皇統が複雑に絡み合う中、最大の実力者・藤原氏一族が介入する形で皇位は不安定のまま推移する。

持統天皇(じとうてんのう/第四十一代女帝)の後を継いで皇位に就いたのは軽(珂瑠)皇子(かるのみこ)で、文武天皇(もんむてんのう/第四十二代)を名乗る。

軽(珂瑠)皇子(かるのみこ)の母は阿陪皇女(あべのみこ/元明天皇)で、父・草壁皇子は皇太子位のまま亡くなり即位していないが、祖母である持統天皇の後見もあってか、立太子以前から皇子の扱いを受けていた。

しかし文武大王(もんむおおきみ/天皇)は病弱で、父・草壁皇子(天武天皇・第二皇子)同様に若くして亡くなった。

その文武大王(もんむおおきみ/天皇)の第一皇子として首皇子(おびとのみこ)が生まれた。

首皇子(おびとのみこ)は、草壁皇子(天武天皇/第二皇子)、母は持統天皇(じとうてんのう/第四十一代女帝)の長男・文武天皇(もんむてんのう/第四十二代)の第一皇子にあたる。

首皇子(おびとのみこ)は、父・文武天皇(もんむてんのう/第四十二代)を七歳で失い、母の藤原宮子(ふじわらのみやこ)(藤原不比等の娘)も心的障害の療養から寂しい成長期を過ごした。

その為、首皇子(おびとのみこ)の祖母に当たる父・文武天皇(もんむてんのう/第四十二代)の母・元明大王(げんめいおおきみ/第四十三代女帝・天智大王の第四皇女)が中継ぎの天皇として即位する。

元明大王(げんめいおおきみ)は、首皇子(おびとのみこ)の元服を待ち十三歳で正式に立太子するも太子が病弱で在った事と皇親勢力と外戚である藤原氏との対立もあり即位は先延ばしにされる。

そこで平城京遷都から五年後、文武天皇の姉・氷高皇女(ひたかのひめみこ/草壁皇子と元明天皇の皇女)を立て元正大王(げんしょうおおきみ/女帝)とした。

首太子(おびとのたいし)は二十四歳に成って漸く元正大王(げんしょうおおきみ)から皇位を譲られて即位し、聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)を名乗る。

即位した聖武大王(しょうむおおきみ/天皇)の政務を支えたのが、天武天皇の第一皇子・高市皇子(たけちのみこ/草壁皇子の異母兄)の継嗣・長屋王(ながやのおおきみ/皇族)だった。

この当時、藤原氏は自家出身の光明(こうみょう)子の立后を願っていた。

しかしながら、皇后は夫の天皇亡き後に中継ぎの天皇として即位する可能性があるため皇族しか立后されないのが当時の慣習であった事から、長屋王(ながやのおおきみ/皇族)は光明子の立后に反対していた。

ところが、七百二十九年(天平元年)に長屋王の変が起きて長屋王は自害し、反対勢力が排除されて光明(こうみょう)子は非皇族として初めて立后された。

長屋王の変は長屋王を取り除き光明(こうみょう)子を皇后にする為に藤原不比等の息子で光明(こうみょう)子の兄弟である「藤原四兄弟が仕組んだもの」と言われている。

藤原氏にとっては「目出度し目出度し。」となる所だったが、「長屋王の変」から八年後の七三七年(天平九年)に疫病が流行し、藤原四兄弟を始めとする政府高官のほとんどが死亡する。

この惨事に、急遽、長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整えるが、三年後の七百四十年(天平十二年)には九州の地で藤原広嗣の乱が起こっている。

この他にも天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発し、怯えた聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)は平城京から居住地(宮廷所在地)を転々と代えた挙句に独断で出家してしまい、それを受けた朝廷が慌てて退位の手続を執って娘の皇女・阿倍内親王(あべないしんのう/孝謙天皇)を即位させている。

長屋王(ながやのおおきみ/皇族)と長屋王の変】に続く。

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by mmcjiyodan | 2010-03-08 02:21  

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