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光仁天皇(こうにんてんのう)

称徳天皇(しょうとくてんのう/第四十六代女帝)の後を継いだ白壁王(しらかべのおう・光仁天皇/こうにんてんのう/第四十九代天皇)は、天智大王(てんちおおきみ/第三十八代天皇)の第七皇子・施基親王(志貴皇子)の第六子である。

白壁王(しらかべのおう)が八歳の時に父・施基親王(志貴皇子)が死亡し、後ろ盾を失った為に叙任が遅く、初叙(従四位下)は二十九歳に成ってからだった。

しかしその叙任から七年後、聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)の皇女・井上内親王を妃とした事から昇進を速め、結婚十五年後に従三位に叙せられ、その三年後の七百六十二年(天平宝字六年)に中納言に任ぜられる。

その後起こった藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱鎮圧に功績を挙げて称徳天皇(しょうとくてんのう・女帝)の信任を得、七百六十六年(天平神護二年)に大納言に昇進する。

この飛鳥時代、朝廷では皇位をめぐって陰謀が渦巻いていた。

僅かでも皇位に色気を見せれば、命を狙われるか野望を抱く豪族に祭り上げられる。

度重なる政変で多くの親王・王が粛清されて行く中、白壁王(しらかべのおう)は専ら酒を飲んで日々を過ごす事で凡庸を装い、陰謀に巻き込まれず難を逃れ生き残った。

そんな寝たふりをしていた白壁王(しらかべのおう)に転機が訪れる。

七百七十年(神護景雲四年)、先帝・称徳天皇(しょうとくてんのう/第四十六代女帝)が崩御すると、天武天皇(てんむてんのう/第四十代)の嫡流にあたる皇族がいなかった為、称徳天皇の遺宣(遺言)に基づいて白壁王(しらかべのおう)の立太子が行われた。

白壁王(しらかべのおう)は光仁天皇(こうにんてんのう/第四十九代)として即位、即位後は井上内親王(天武系・聖武天皇の第一皇女)を皇后とし、皇后との長男・他戸親王(おさべしんのう/聖武天皇の外孫)を皇太子とするが、二年後の七百七十二年(宝亀三年)井上内親王を呪詛による大逆を図ったとして罪し皇后を廃し皇太子の他戸親王も廃した。

その翌年、またも井上内親王が光仁天皇(こうにんてんのう/第四十九代天皇)の同母姉難波内親王を呪ったとして幽閉され、連座して王に落とされた他戸親王もともに幽閉されてやがて二人とも変死する。

この変事に拠り天武天皇(てんむてんのう/第四十代)の皇統は完全に絶え、光仁天皇(こうにんてんのう)は翌七百七十三年(宝亀四年)に側室・高野新笠(たかののにいがさ)から生まれた山部親王(やまべしんのう)を立てて皇太子とした。

この変事の背景には山部親王(やまべしんのう)とそれを擁立する「太政大臣・藤原百川(ふじわらのももかわ)らの陰謀が在った」と目され、その山部親王(やまべしんのう)こそが後の歴代最強天皇となる桓武天皇(かんむてんのう)である。

桓武天皇(かんむてんのう)】に続く。
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by mmcjiyodan | 2010-03-11 00:30  

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