歴代朝鮮王朝略史(三)
唐(とう・中国の帝国)の援助を受けて、初めて朝鮮半島(ちょうせん・チョソンバンド)を統一した新羅(シルラ)王朝は、三百五十六年から半島の一部を領有する国に始まり、約六百年続いたが、その内の約二百四十年が統一新羅(シルラ)である。
七百八十年に、統一新羅(シルラ)の太祖・武烈王(金春秋=キム・チュンチュ)の王統が絶えると王位継承の争いが激しくなり、王位纂奪や王都内での反乱が頻繁に発生する様になった。
また骨品制(血統)により、新羅王族のみが上位官僚を占めるようになり、新羅(シルラ)の官僚制度は行き詰まりを見せていた。
この時代には、地方の村主や王位継承に破れ、王都から地方に飛び出した王族や官僚らが、私的軍事力を背景に勢力を伸ばし、新興の豪族として勃興(ぼっこう)した。
そして、地方で頻繁に反乱を起こす様になる。
豪族の独立が頻発し、その中でも有力な私的軍事勢力であった農民出身の甄萱(キョンフォン)が、八百九十二年に半島南西部に後百済を、新羅(シルラ)王族の弓裔(クンイェ)が九百一年、北部に後高句麗を建て、新羅・後百済・後高句麗の三国が鼎立する後三国時代に入る。
その中で後高句麗の武将であった王建(ワンゴン)が、九百十八年に弓裔(クンイェ)を追放して建てた高麗(こうらい・コリョ)が勢力を伸ばし、九百三十五年に最後の王・敬順王が君臣を挙げて高麗に帰順した事により新羅(シルラ)王朝は崩壊、滅亡した。
その後「新羅(シルラ)」は、十世紀に入って起こった「高麗(こうらい・コリョ)」に取って代わられたが、この頃には日韓互いに完全に独立した文化・言語が育ち、日本列島からも、朝鮮半島からも、倭(わ)人、倭の国々の意識は失われて行った・・・・。
【歴代朝鮮王朝略史(四)】に続く。
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皇統と鵺の影人
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