歴代朝鮮王朝略史(五)
千三百八十年代、朝鮮半島に在って四百七十年続いた高麗王朝(コリョワンジョ)が、衰え行く「元(げん・ユエン)帝国派」と元を滅ぼそうと言う「明(みん・ミン)帝国派」に分かれて揺れていた。
その後、元が衰退すると、「明」と結んだ「李氏朝鮮王朝」が成立し、明の属国、或いは、同盟国として五百年続く。
日韓双方とも、相手とは滅多に関わらない歴史を歩み、倭(わ)の国は、遥かな記憶の中に失われて行った。
千三百八十八年、高麗朝末期の親明帝国派武将・李成桂(イ・ソンゲ)がクーデターを起こし事実上の実権者になる。
李(イ)氏一族は朝鮮半島北部に勢力を持つ軍閥的な存在で、元帝国に占領された地域で元の地方官を勤めていたが、元の衰退とともに高麗王朝(コリョワンジョ)の恭譲(コンヤン)王に助力して占領地を奪還し、高麗王朝の有力武将家に納まっていた。
千三百九十二年になると、その李成桂(イ・ソンゲ)が高麗朝の恭譲(コンヤン)王から王位を簒奪して高麗王に冊封(さくふう・明国に申請して王と認められる)されて即位、翌年には明の皇帝に国号を選ばせ、「朝鮮(チョソン)」に変更する。
これにより、終(つ)いにこの後五百年続いた李氏朝鮮(朝鮮王朝・チョソンワンジョ)が成立し、創始者の李成桂(イ・ソンゲ)は太祖<テジョ> 康献王となる。
「李氏朝鮮王朝」は通算五百年続き、大陸の歴代覇権帝国に属国扱いされながらも生き延びたが、この間、千五百九十二年(文禄元年年)に日本の太閤・豊臣秀吉が子飼いの大名・加藤清正、福島正則、小西行長、黒田長政、浅野幸長らを主力に、十六万の大軍勢を編成して朝鮮半島に送り出し「朝鮮征伐(文禄・慶長の役)」なる侵略戦争を起こした。
当時の李氏朝鮮王朝は然したる軍事力を持っては居なかったので、当初半島に攻め入った遠征軍は勝利を重ねて半島の南部を簡単に制圧占領している。
しかし他国の侵略では、民族が団結して民衆まで敵に廻り朝鮮半島進攻軍は泥沼に陥る事になる。
その後朝鮮の宗主国・明帝国の軍勢が南下して来て一進一退の攻防となり、小西行長と石田三成が謀って「明帝国」の降伏を偽り一度講和に持ち込んで遠征軍は戦勝を果たせず引き上げている。
秀吉の朝鮮征伐(文禄の役)の折には、「李氏・朝鮮王朝(チョソンワンジョ)」側に朝鮮民族の英雄「李舜臣(イ・スンシン)海軍提督」が現れ、日本側の水軍(海軍)は壊滅的打撃を受けた。
偽りの講和交渉がまとまる訳も無く、決裂して秀吉は千五百九十七年(慶長二年)に十四万の大軍勢を持って二度目の出兵を命じているが、二度目の遠征中に豊臣秀吉が病に倒れ遠征は終わった。
やがて宗主国・明帝国が滅ぶと、次に大陸の覇権を握った清国の属国を経て千八百九十七年(明治三十年)、李氏朝鮮王朝は「国号を大韓、国王を皇帝」と改め完全独立を達成する。
時代が進んで百年ほど前、李氏朝鮮王朝は日本同様に欧米諸国の圧力を受け、近代化を急ぎ「大韓帝国」と体制を改める。
しかし、そうした抵抗の甲斐なく、十四年後、武力を背景とする日本に「併合」されてしまう。
千九百十年、朝鮮半島の国は日本との間で「日韓併合」を行い李氏朝鮮王朝は滅亡した。
【日清戦争(一)対朝鮮・李氏王朝交渉】に続く。
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