賀茂神社(かもじんじゃ)と斎王代(さいおうだい)
二つの神社伴に「延喜式神名帳」では名神大社に列し、社格は官幣大社である。
京都・上賀茂神社に継承(伝わる)「葵祭り」には斎王代(さいおうだい)が登場する。
これは天皇家が娘を神様に捧げる様式を、儀典的に現している。
つまり葵祭りの斎王代(さいおうだい)は、天皇でさえ賀茂神社の主神・事代主神(ことしろぬしのかみ)には娘を捧げる儀典形式を踏んでいるのである。
斎王代(さいおうだい)は、本来の斎王(さいおう)の代わりを務める形式的な神事の様式であり、元は皇室と賀茂・葛城氏の古事に習う儀典と解される。
本来の斎王(さいおう)は未婚の内親王(皇女)または女王(親王の娘)が勤め、厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称した。
伊勢神宮の斎王を「斎宮(さいぐう)」、賀茂神社の斎王を「斎院(さいいん)」とも称し、この古事に習う儀典は斎宮の儀典が古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院の儀典は平安時代から鎌倉時代まで継続した。
この事が、神武王朝四代と葛城御門(かつらぎみかど)の経緯を表しているのであれば、「賀茂・葛城一族」は古事記や日本書紀が伝えるごとくに単なる畿内の豪族・県主(あがたのぬし)ではなく、神武王朝に匹敵する相当の実力を擁した御門(みかど)だった事は間違いない。
尚、藤姓・斎藤氏の斎の文字は、この斎王代(さいおうだい)や斎宮(さいぐう)の儀典頭・斎王頭(さいおうのかみ)や斎宮頭(さいぐうのかみ)を世襲した藤原氏出自の官人から発生した。
詳しくは【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。
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