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平将門(たいらのまさかど)の乱・詳細その(二)

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その後も平将門(たいらのまさかど)を狙った動きは続き、将門は、上総介・平良兼(かずさのすけ・たいらのよしかね)に騙されて一時は滅ぼされそうになるが、何とか勢力を盛り返した。

その勢いで平国香(たいらのよしまさ)の子「平貞盛(たいらのさだもり)」を戦いで破るが、討ち取るに到らず取り逃がしている。

これらの争いは、所領をめぐる同族の私闘で有る。

この関東の平一族同士の理不尽な土地争いの揉め事を朝廷がうまく裁けず、現地の事務方役人・藤原氏も手が付けられず、放置状態にして将門を怒らせてしまった。

将門にとって不幸だった事に、そうした指導力欠如の朝廷とのいざこざは、将門の所ばかりでなかったので、関東の揉め事に将門の出番が増え、将門の名声が上がって行って坂東(関東)武士の盟主に成ってしまった。

この事例はどこかで聞いた様な話で、今でも現場を確認しない役人の怠慢によるトラブルは、後を絶たない。

そこに決定的な事件が起きた。

常陸国の住人・藤原玄明(ふじわらのはるあき)が国司(国府長官)・藤原維幾(ふじわらのこれちか)と対立、維幾(これちか)が玄明(はるあき)を追捕するを将門が庇護し争いに介入する。

九百三十九年(天慶二年)十一月、平将門(たいらのまさかど)は、軍兵を集めて常陸国府に追捕撤回を求めるも常陸国府はこれを拒否し宣戦布告をされるを持って終(つ)いに挙兵する。

つまりその争いの介入の過程で引くに引けない国司との合戦が起き、朝臣(朝廷の役人)藤原維幾(ふじわらのこれちか)を捕らえてしまったのだ。

事は都から遠く離れた関東で起きている殺気立った揉め事で、事は迅速を要し悠長に朝廷の裁定など待っては居られない。

平将門(たいらのまさかど)は反乱を起こして中央派遣の朝廷役人を捕縛または追放し、勝手に役人を独自に任命して関八州に配置、関東の地を一時中央政権から独立させた。

相馬の小次郎・平将門は、平貞盛(後の伊勢平氏)、押領使・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)ら討伐軍とは「猿島郡の北山」で迎え撃つ事に成った。

尚、この時の押領使・藤原秀郷は藤原南家流(ふじわらなんけりゅう)で、子孫が遠近江から駿河、伊豆などに土着し、後に工藤氏伊東氏・入江氏らを輩出、さらに工藤氏から天野氏や狩野氏、入江氏から吉川氏(きっかわうじ)などが別れ出て源頼朝の平家追討の旗揚げに呼応している。

旧暦二月の半ば、僅(わず)かに春先で在ったが関東の沼地はまだ寒い。

この時期は都合が悪い事に農繁期で、その上に関八州の押さえの為に手勢の兵を散らしていて、甲冑に身を固めた将門の軍勢は思いの外に整わなかったが仕方が無い。

それに平貞盛は以前何度か戦をまみえて、取り逃がしてはいるが破っているから恐れるに足りない自負が将門にある。

両軍対峙して見たが、平貞盛ら討伐軍との互いの兵力が拮抗して、そう簡単に決着が尽くような状況に無く、北山の戦は混戦の様相を呈していた。

北山の地で平将門(たいらのまさかど)勢と平貞盛勢は激突して各所で切り結び槍を突き、怒号が乱れ飛んでいた。

所がその混戦の中、思わぬ事態が発生した。

混乱の中、有ろう事か白羽根の矢が一本、シュルシュルと味方の陣営から飛来して、将門の額を貫いた。

「バタッ」と将門が仰向けに倒れた。

慌てた味方が駆け寄って将門を抱き起こしたが、既に息絶えていた。

矢は額に刺さったままの壮絶な死で、即死だった。

この一瞬の出来事で、正式に将門討伐を組織した朝廷の征東軍が到着しない内に反乱軍の盟主が討たれ、戦いは終っていた。

関東で起きた将門の乱は、あっけなく平定されたのである。

尚、この平将門の乱を鎮圧した事に成った平貞盛(たいらのさだもり)は坂東(関東)の地に居られなくなって伊勢国に移住し、その子孫から平清盛(たいらのきよもり)が出て平家(へいけ)となり、平清盛(たいらのきよもり)は天皇の外祖父にまでなって権勢を振るった。

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by mmcjiyodan | 2010-04-17 00:41  

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