加羅族(からぞく/農耕山岳民族)
列島の民のルーツの内、農耕山岳民族(天一族・加羅系)の発祥の地は、遠く「中国大陸南部、雲南省」と言われている。
雲南省の人々の稲作文化、それにまつわる風習、伝承等、数え上げれば限がないほど、日本のそれぞれに共通するものが多い。
その農耕農耕民族(天一族・加羅系)が長い歳月をかけて北上し、中国各地に足跡を残しながら朝鮮半島を南下、任那(みまな/加羅族)国を造り、更に対馬を経て日本列島の山陰地方と九州北部に上陸して集落を築き、やがて邪馬台国を形ち造って行った。
雲南省の家族体系は昔から女系であり、家は女性が継ぎ、男性の夫は生家から通って来る「通い婚」だった。
この「通い婚」の風習は、日本列島に於いて平安初期の貴族社会で見られるものである。
つまり家の主は女性だったから、天一族が農耕民族(加羅系)ならば女系女王(卑弥呼)を頭にいただくのが当たり前ではないだろうか。
その天一族も、朝鮮半島に至るまでに農耕民族(加羅族)として呉の国(今の中国福建省などを中心とした国)などで大陸文明を蓄えてから、陸路や海路を列島に渡って来た様だ。
一方で、隼人系の「呉族」の様に一旦中国大陸で大国(呉帝国)を作り、文明を携えて一気に東シナ海を渡り日本列島に渡来して来た者達もいる。
今に伝わる浦島竜宮伝説などは、その名残とされている。
この農耕民族(天一族・加羅系)と海洋民族(隼人族・呉族系)と言う二つのまったく違う民族が、幾つかのルートを経て九州の地で遭遇し、生きる為の土地をかけて覇権を争う。
この争いの期間が、神代の時代だったのだ。
つまり、日本列島に渡来した呉族系海洋民族が奴国(なこく)を造り、その奴国(なこく)は一時期は邪馬台国に圧迫されたが、やがて盛り返して海洋民族国家・狗奴国(くなくに)が成立、その狗奴国(くなくに)が勢力をまして邪馬台国を圧迫、誓約(うけい)に到って両者が統一を為して日本列島の西半分が神武朝・大和朝廷の基礎と成ったのである。
日本列島の氏族が呉族(ポリネシア)系部族と加羅族(中国雲南省発祥の山の民)系部族の二系統が存在する証拠は、漢字と呼ばれる文字の読み方にも名残を残している。
例えば原(はら)の文字は、呉族(ポリネシア)系の「海の民」が原(バル)が「はら」と読み、加羅族(中国雲南省発祥)系の「農耕民族(山の民)」の原(ユェン)が「げん」と読むのではないだろうか?
それなら海彦・山彦の民話伝承も、符合して来るのである。
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◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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