藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱
藤原純友(ふじわらのすみとも)は藤原氏の中でもっとも栄えた藤原北家流の出身で、大叔父には摂関政治の最高位・摂政関白太政大臣・藤原基経(ふじわらのもとつね)がいる名流の出自である。
純友(すみとも)自身は、大宰少弐(大宰府の官)だった父・藤原良範(ふじわらよしのり)を早くに失う不遇で出世の道を絶たれ地方官となる。
赴任先は伊予国で、父の従兄弟である伊予守・藤原元名に従って伊予掾(律令制・伊予三等官)として、瀬戸内に跋扈する海賊を鎮圧する側に在った。
所が純友(すみとも)は、朝廷の機構改革で人員削減された瀬戸内海一帯の富豪層出身の舎人達が税収の既得権を主張して運京租税の奪取を図っていた海賊行為を鎮圧するも、元名帰任(役を解かれる)後も帰京せず伊予国に土着する。
当時の土着武士は自らの勲功がより高位の受領クラスの下級貴族に横取りされたり、それどころか受領として地方に赴任する彼らの搾取の対象となったりした事で任国制の受領支配に不満を募らせていた。
その為に純友(すみとも)は、九百三十六年(承平六年)頃に京の貴族社会から脱落した東国初期世代の武士と同様の境遇にある土着の中級官人層の不満を集める頭目として、伊予国日振島を根拠に千艘以上の船を操る組織を有する海賊となり、瀬戸内海全域に勢力を伸ばす。
純友(すみとも)は、坂東(関東)で平将門(たいらのまさかど)が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こす。
この両者、時を同じくしての蜂起に共謀説も在るが、将門(まさかど)がいち早く新皇を名乗り曲がりなりにも国家の体裁を整えたに比べ、純友(すみとも)はそうした事に着手しなかった点で、都に攻め上り関白・藤原忠平(ふじわらのただひら)に取って代わる野心が在ったのではないだろうか?
藤原純友(ふじわらのすみとも)の勢力は畿内に進出、九百三十九年(天慶二年)には純友は部下の藤原文元に摂津国須岐駅にて備前国介・藤原子高と播磨国介・島田惟幹を襲撃させ子高の鼻を削いで捕らえ、妻を奪い子供らを殺した。
朝廷側の太政大臣・藤原忠平(ふじわらのただひら)は、九百四十年(天慶三年)小野好古(おののよしふる)を山陽道追捕使、源経基(みなもとのつねもと)を次官に任じるとともに純友の懐柔を謀り、従五位下を授ける一方で兵力を東国に集中させる両面の策を講じる。
純友(すみとも)は従五位下を受けたが海賊行為は止めず、同年(天慶三年)には、淡路国、讃岐国の国府を、さらに大宰府をたて続けに襲撃し略奪を行った。
山陽道追捕使・小野好古(おののよしふる)は、淡路国の兵器庫を襲撃して兵器を奪った純友(すみとも)の水軍が「京に向かって漕ぎ上りつつある」と報告、朝廷は純友が京を襲撃するのではないかと恐れた。
京の各所で放火が頻発し、藤原慶幸を山城国の入り口・山崎に派遣して警備を強化するが、その山崎が謎の放火に拠って焼き払われるなど事件は続いた。
京への直接的脅威と言う点では極めて深刻な状況で、純友の勢力は瀬戸内海のみならず平安京周辺から摂津国にかけての所謂「盗賊」と呼ばれている武装した不満分子にも浸透しとの見方もある。
しかしこの緊迫した状況は、坂東(関東)より「平将門(たいらのまさかど)討滅す」の報告が京にもたらされ一変する。
平将門(たいらのまさかど)討滅すの報に動揺した藤原純友(ふじわらのすみとも)は、本拠地・日振島に船を返し、純友(すみとも)は戦闘行為を自粛した為、大宰府から解状と朝鮮半島・高麗からの牒、中華大陸・呉越に対して使者派遣が無事に行われている。
戦闘行為を自粛した純友(すみとも)だったが、朝廷は東国の将門が滅亡した事に拠り兵力の西国への集中が可能となった為、純友討伐に積極的になり、将門討伐に向かった東征軍が帰京すると、純友(すみとも)方・藤原文元を備前国介・藤原子高襲撃犯と断定して追討令を出す。
将門討伐の成功によって純友鎮圧の自信を深めた朝廷が、純友(すみとも)を挑発し文元を引き渡して朝廷に従うか、それとも朝敵として討伐されるかの選択を迫るものだった。
交戦の決断を下した純友(すみとも)は水軍・四千艘を率いて出撃、順次伊予国、讃岐国、備前国、備後国、長門国、土佐国を襲い放火・略奪を繰り返すも、翌年早春に純友方の幹部・藤原恒利が朝廷軍に降り、形勢が替わって本拠地・日振島を朝廷軍に攻められる。
純友(すみとも)方は敗れて西に逃れ、大宰府を攻撃して占領して柳川に侵攻するが大宰権帥の橘公頼の軍に蒲池で敗れ、到着した小野好古(おののよしふる)と大蔵春実(おおくらのはるざね)率いる官軍に大宰府と博多湾で大敗、純友は小舟に乗って伊予に逃れる。
逃亡した藤原純友(ふじわらのすみとも)は伊予国に潜伏している所を警固使・橘遠保(たちばなのとおやす)に捕らえられ、二年に及ぶ乱は幕を閉じ、純友(すみとも)獄中で没した。
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