市中引き廻し(しちゅうひきまわし)
市中引き回しは死罪相当の重罪に対する見せしめの付加刑で、本刑は打首獄門や極刑である火刑や磔(はりつけ)が該当し、知名度の高い罪人が引き回しに処される時にはさながら物見イベントと化した。
罪人が貧相な風体をしていると江戸市民の反感を買いかねない為、それを嫌った幕府は引き廻しの時に調度を整えさせ、死出の旅と言う事で、罪人には金子(きんす/お金)が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり煙草を買わせたりした。
伝馬町牢屋敷から江戸城の外郭にある日本橋、赤坂御門、四谷御門、筋違橋、両国橋を巡り、当時の刑場である小塚原や鈴ヶ森に至る「五ヶ所引廻」の後打首獄門なら牢屋敷、火刑は鈴ヶ森の刑場、磔(はりつけ・磔刑/たっけい)は小塚原の刑場で執行された。
この市中引き廻し(しちゅうひきまわし)とその後の処刑・火刑や磔(はりつけ)の一切の雑用をするのが同じ穢多(えた)・奴婢(ぬひ/奴隷)身分の男性・非人手下(ひにんてか)の役目だった。
八百屋お七の火刑場について一部の解説に小塚原刑場説があるが、火刑は鈴ヶ森の刑場と決められていた。
断って置くが、今でこそ死刑を「残酷だ」などと言っている西洋文化では近代化以前の処刑はもっと残酷で、日本の処刑のように罪人を着飾ったり求めに応じて酒食を与えたりせず、男女構わず素裸体で市中引き廻す見せしめをした。
その上、鋸挽き刑(のこぎりびきけい)、十字架刑(じゅじかけい)、杭打ち刑(くいうちけい)、串刺し刑(くしざしけい)、石打ち刑(いしうちけい)などの絶命までに時間を要する処刑を公開でしている。
正直共産政府の一部では現在でもみせしめの市中引き廻し(しちゅうひきまわし)は存在し、回教徒の国では宗教上の理由から今でも杭打ち刑(くいうちけい)や石打ち刑(いしうちけい)が残っている。
つまり近代化が図られる前の江戸期の刑罰は、若干「目糞鼻糞を笑う」の感はあるものの、当時の処刑水準としては飛び抜けて残酷とは言い難いものだったのである。
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