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京極高次(きょうごくたかつぐ)(一)

一時没落した宇多源氏佐々木流京極氏を再興した京極高次(きょうごくたかつぐ)は戦国時代の武将であり、江戸時代初期の若狭国小浜藩初代藩主及び丸亀藩京極家初代の大名である。

室町期から京極高次(きょうごくたかつぐ)の代までの京極氏を追うと、佐々木流京極氏は惣領の京極導誉(きょうごくどうよ/佐々木高氏)が亡くなると、京極氏の家督は三男である高秀が本領・京極氏の当主を継ぐ。

千三百七十九年(天授五年/康暦元年)に起こった康暦の政変では、美濃国守護・土岐頼康と共に、管領・細川頼之の罷免を求めて近江で兵を挙げ、それを成し遂げる。

京極高秀の嫡子である高詮(たかのり)は、父のから継いだ飛騨の守護職に加え、千三百九十一年(明徳二年)に山名氏が蜂起した明徳の乱での活躍により出雲と隠岐の守護職も任ぜられる。

京極高詮(きょうごくたかのり)の代に、京極氏は四職家の一家となり、以後の当主は江北、出雲、隠岐、飛騨を領し、侍所司を務める事となり、高詮(たかのり)の弟である高久は近江の尼子郷を分け与えられ、尼子氏の始祖となる。

その後、本領・京極氏の当主は高光、持高、高数と続き、それぞれ侍所所司として室町時代に頻発した乱の鎮圧にあたる。

高数の後を継いだ持清は、千四百六十七年(応仁元年)に足利将軍家の家督相続などから生じた応仁の乱で一万余騎を率いて東軍に属し京で戦い、翌年からは近江で西軍の六角高頼と戦い優勢を得るが、その最中に病死する。

京極持清の長男・勝秀と次男の政光は既に亡くなっており、勝秀の嫡子と考えられている孫童・吉童子丸が当主を継ぐが、僅(わず)か一年後に死去し、その惣領跡継ぎを巡って政経と高清の間で京極騒乱と呼ぶ争いが起きる。

始めは政経が高清を近江から追放し、出雲、隠岐、飛騨の守護職を得るが、政経はその後の六角氏との戦いに敗れ、さらには徴税の命令に従わなかった出雲、隠岐の守護代である佐々木京極流・尼子経久(あまこつねひさ)を追放するも、逆に出雲の拠点である月山富田城を奪い返された。

その後、近江で高清との争いに敗れ、追われた政経と長男・材宗は、経久と和睦し出雲に拠点を移したと考えられており、長男・材宗の子である吉童子丸へ京極家の家督を譲り亡くなるが、その吉童子丸の行方は分からず出雲は戦国大名となる尼子氏の領国となる。

当主の座を得た京極高清は近江に在ったが、その後継を巡って、次男の高吉を押す高清らと、長男の高広を押す浅井長政の父・浅井亮政らの間で争いが生じ、高清は亮政らに敗れ追放される。

すぐに高清は亮政と和睦し江北へと戻るが、これを境に京極氏は江北の支配権は「浅井氏に奪われた」と考えられている。

但し、一介の小国人に過ぎなかった浅井氏による江北支配も順調ではなく、なお暫(しばら)くは京極氏を名目上の守護と仰ぐ時代が続いた。

だが、千五百六十年(永禄三年)に浅井賢政が佐々木流・六角氏との断交を機に京極高吉が復権を画策して六角氏と結んで挙兵を企てるが失敗して江北を追われ、京極氏の江北支配は完全に幕を閉じた。

その浅井氏の下克上を受け、没落した名門京極氏に京極高次(きょうごくたかつぐ)は高吉の子として生まれる。

初め幼少期を美濃へ人質として送られて織田信長に仕え、足利義昭を攻めた信長に従い参戦して近江奥島五千五石を与えられる。

千五百八十二年(天正十年)に本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、高次は姉とも妹とも言われる京極竜子が嫁いでいた若狭の武田元明と共に光秀に属し、羽柴秀吉の居城である長浜城を攻める。

しかし山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れ、高次は秀吉からの追及を受けて武田元明は自害し、高次は初め幼少期に過ごした美濃、さらに若狭の武田領へと逃れ、一時は柴田勝家に匿われていた。

それでも何処に運が転がっているかは判らないもので、武田元明に嫁いでいた京極竜子(きょうごくりゅうこ・たつこ/松の丸/京極殿)が羽柴秀吉の側室となった事から竜子の嘆願で高次は許される。

千五百八十四年(天正十二年)に、京極高次(きょうごくたかつぐ)は近江高島郡の二千五百石を与えられ、名門好みの羽柴秀吉が側室である妹・竜子への寵愛が深かったのか加増を重ね、翌々年には高島郡で五千石となった。

その後、京極高次(きょうごくたかつぐ)は九州攻めの功により近江大溝城一万石で大名となり、小田原攻めの功により近江八幡山城二万八千石、千五百九十五年(文禄四年)には近江大津城六万石へと封じられ、左近衛少将に任ぜられる。

更に朝廷より豊臣の姓と関白・太政大臣を賜り天下人となった羽柴秀吉は、高次(たかつぐ)とは従姉妹(いとこ)にあたる浅井三姉妹の長女浅井茶々(淀君)を側室に迎える。

千五百八十七年(天正十五年)、京極高次(きょうごくたかつぐ)は信長の妹である市の娘・浅井三姉妹の二女・浅井初(父は浅井長政)を正室とする。

京極高次と浅井初は従姉妹(いとこ)同士で、秀吉側室・浅井茶々(淀君)は妻・初の姉に当たる所から、高次(たかつぐ)の出世は竜子(松の丸/京極殿)や妻・初の「尻の七光(閨閥)に拠った」とされ、陰で「蛍大名(ほたるだいみょう)と囁かれた」と伝わっている。

まぁ、そんな事は「やっかみ」で、人を殺して出世する戦国の世に、血筋の良さが有利だろうが、姉の尻だろうが妹の尻だろうが従姉妹(いとこ)の尻だろうが、「尻の七光(閨閥)」で何が悪い。

だいたい天下人・豊臣秀吉の血統コンプレックスは相当なものだったから、主筋・織田家の血筋を引く浅井茶々(淀君)や、その茶々(淀君)拠りも格上の京極氏の血筋である竜子(松の丸/京極殿)を抱くのは、喜びだったに違いない。

京極高次(きょうごくたかつぐ)(二)】に続く。
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by mmcjiyodan | 2010-06-13 15:22  

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