織田信長の虚け者(うつけもの)
まぁ常識を主張する横着者に進歩は無いのだが、そう言う輩に限ってはみ出し者に敵意を抱く。
もっとも「常識」とは、コモンセンス(common sense)の訳語として明治時代頃に日本に普及し始めた言葉で、実はこの時代に常識(じょうしき)と言う概念も用語も存在はしなかった。
従ってこの時代に「常識」と言う言葉を明治維新以前に使うのは時代考証に触れるのだが、現代的には説明がし易いので「常識」と言う言葉を使わしてもらった。
「武士道のフェアプレィ精神(尋常に勝負)だ」と綺麗事を喧伝する輩がいるが、命をやり取りする切り合い(殺し合い)にフェアプレィが存在するなど本来おかしな話である。
戦国時代になって特にこの傾向が顕著になったのだが、この事は後に講談師や脚本家、果ては明治維新政府から昭和初期の戦陣訓にまで利用される武士道の精神にまで発展するので明記して置くが、武士道のフェアプレィ精神(尋常に勝負)など建前主義者の嘘っぱちな綺麗事である。
武士道に於けるフェアプレィ精神(尋常に勝負)のルーツをバラセば、実の所「恩賞の確定」と言う止むに止まれぬ事情が在っての事で、何の事は無い、旧勢力にとっては「名乗ってから切り合う個人戦」が、譲りがたい利権だったのである。
その個人戦だった事が良く判るのが、戦場での旗指物の変遷である。
この旗指物、戦場での「敵味方を判断する為」とする簡単な解説が多いが、実はそれだけの解説では不充分である。
何故なら織田信長が歴史の表舞台に登場するまでは、戦が個人戦の集積型だったからである。
戦国期に様々で個性豊かな印が登場した理由は、主に「手柄の確定」だった。
本来、戦場で自分の手柄を公に認めさせる為に始めた「名乗ってから切り合う」は当時の武士の暗黙の了解で、それが「恩賞の決め手」と言う常識なのだ。
それを、団体戦にされると手柄を雑兵に持って行かれる。
つまり織田信長の提案した団体戦は上級武士の利権がらみなのであるから、それで事の是非ではなく旧勢力は頭から抵抗する。
周囲は何時(いつ)も「決まっている」の大合唱だった。
これには参った織田吉法師(信長)だったが、直ぐに「これはイケル」と思い着いて喜んだ。
発想の転換が、新しい物を生み出す事は言うまでも無い。
これだけ既成概念に取り付かれた者ばかりであれば、「それを利用すれば戦に勝てる」と吉法師(信長)は踏んだのである。
この時の閃(ひらめ)きが、織田信長の生涯の武器になった。
人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求「一貫性行動理論」がある。
織田吉法師(信長)の周囲の既成概念で凝り固まった者にとって、自分達の意識と一致しない吉法師(信長)の行動は理解出来ない困りものだった。
確かに現状を肯定すれば楽に生きれるかも知れないが、現状を否定しなければ未来の進歩は無い。
何かに挑(いど)む事が何もしない事より遥かに価値が在る事を、天才・織田信長は知っていた。
才能有る者の感性は凡人には判らない。
「社会性」と言うものとの本質は妥協であるから、「社会性」と「非凡な才能」は中々相容れられるものではない。
その判らない奴が、自分の感性を基準に才能有る者を判断する評価が「織田の小倅(こせがれ)、大虚(おおうつ)け者」の正体である。
彼らは、自分達の意識や価値観と一致しない異端児・吉法師(信長)を「大虚(おおうつけ)者」と呼んだ。
そんな彼らを、吉法師(信長)は相手にしなかった。
時は戦国、繊細で尚且つ豪胆な男で無ければ生きられない時代だった。
織田家の家督を継いだ後も、常識的に物を考える家臣達相手に「新たらしい発想を、迷う事なく実行させる事に腐心する」のは、信長にとって余分な苦痛だった筈である。
そこで信長は、自らで新しい意識や価値観の旗本家臣団を育てる為に、吉法師時代から身分の差など構わない遊び仲間を結集し、それこそ「決まり事」を無視した遊びを繰り返した。
後に御案内する今川義元との桶狭間の一戦も、発想が常識に決まっていた義元と決まっていない信長の戦だったのである。
実は、約束事を壊すのが成功の秘訣である。
約束事は人まねであり、その範囲で物事をするだけなら安全だが注目もされないし進歩も無い。
若干無礼な表現だが、我輩を含め凡人はこの「約束事」に拘(こだわ)ってしまう。
目標に苦悩する事は大いに結構だが、「約束事」に迷っては進歩も成功も無い。
迷う者は、生涯迷い続ける事に成る。
つまり、何をするにしても如何なる事でも、如何に早くその境地に辿りつくかで、その道で大成するかどうかが決まる。
これは現代でも通用する事で、数百数千の発想の中から何か新しいものに挑戦して僅かに生き残った独自の物以外、既存業種に挑戦して常識論や理想論だけで新規事業に成功するのはかなり難しい。
それが企業犯罪で成功するのでは困るが、つまり成功の鍵は「他に類を見ない独特(ユニーク)なもの」と言う事に成る。
織田信長のように、利巧な人間ほど好奇心が強く何か思い付けば「試そう」と努力する。
そうした人間が進歩するのだが、大概の人間には思考範囲に於いて錨(いかり)を降ろして既成概念化する「アンカリング効果(行動形態学上の基点)」と言う習性が存在し、中々既成概念(錨/いかりの範囲)から抜け出せないので進歩しないのである。
人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)があり、つまり何かを出来る出来ないは、意識と一致していないから「出来ない」と言う事で、裏を返せば織田信長のように意識を変えてしまえば今まで「出来ない」と思っている事が出来る様に成るのだ。
これをもう少し深く突き詰めると、「出来ない」事の言い訳をする為に「決まっている」と言う物言いの決り文句があるのかも知れない。
本来、価値観何てものは別に唯一絶対な訳ではない。
所が、何時の時代の人間もアンカリング効果(行動形態学上の基点)と一貫性行動理論(意識と行動を一致させよう)に縛られて、織田信長のように新たな発想をしようとしない。
それは、どう生きようと個人の勝手で、アンカリング効果(行動形態学上の基点)や一貫性行動理論(意識と行動を一致させよう)の範囲で判断した価値観の幸せも、自己満足では在るが本人は幸せを感じる。
しかしこの「アンカリング効果(行動形態学上の基点)」は、安全ではあるが別の側面から見れば「平凡で詰まらない人生」と言う淋しいものに成る。
自ら思考範囲を狭(せば)めたアンカリング効果は、周囲を正しく見渡す事を阻害する。
このアンカリング効果(行動形態学上の基点)は、織田信長のように錨(いかり)を上げて自由な思考にしまえば価値判断の範囲も変わるもので、全く違う発想が持てるのである。
一貫性行動理論(意識と行動を一致させよう)においても頑固に既存意識を守ろうとせず、一貫して意識改革をし続ける事自体に行動の基点を置けば良い訳だ。
つまり、この織田信長のようにアグレシブ(攻撃的)な発想を持って、既成概念をぶち破り、知略・戦略おいて「まさか?」と思う事が出現すれば、相手は戦略上対処が出来ない理屈である。
そして信長は天下掌握(天下布武)達成の直前、誰もがその事実を疑う信長流の大胆にして奇想天外なある秘密の策略を試みる。
だからこそ、この物語はその後世に大きく膨らんで行くのである。
信長の「虚(うつ)け振り」も、周囲に警戒されない様に周りを欺く「策略」と解説する見解の方も居られるが、そうは思えない。
単純に、常人が当たり前と思っている「常識」が、怪しいものだと気付いている信長は、当時の常識など意に介さない。
むしろ、積極的に破壊しょうとした。
信長は、日頃から異様な風体で城下に繰り出し、若者を集めて奇妙な遊びに興じて家臣のいさめなど、問題にしない。
周りの家臣が、信長の行動が枠からはみ出す事を、ルール無視の「虚(うつ)け者としか理解できなかった」と解釈している。
「出る杭は打たれる・・・」
大概の所、世間から突出する者が居ると、周囲の多くが失敗を望んで敵に廻る。
しかしながら世間に迎合していては道は開けず、失敗を恐れず一歩前に出るかどうかでその人物の可能性は広がる。
しかし、それはあくまでも可能性止まりの話で、つまり成功の確立が低いからこそ、実は挑戦する事が面白いのである。
奇想天外なものを発想したり開発したりするのは、大概の処普段は変人扱いされている人々である。
言い換えれば、変人扱いされるくらいでないと良いものは出来ない。
それなのに凡人は、相手が自分達と変わっているとそれだけで憎しみさえ抱く。
信長は、凡人の「物差し(ものさし)」からすると、「常識外れな事ばかりする。」、家臣が手を焼く困り者だった。
それで、寄って集って何とか枠に嵌め様とし、出来ないと判ると領主の座から外そうと常識的な弟・織田信行(おだのぶゆき/信勝)を擁立して戦を仕掛けたのである。
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織田信長(おだのぶなが)については第三巻の主要登場人物です。記載項目が多過ぎてブログでは書き切れません。詳しくは皇統と鵺の影人・本編の第三巻をお読み下さい。
【第三巻】に飛ぶ。
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