鬼八伝説(おはちはちでんせつ)と高千穂(たかちほ)
高千穂(大明神)神社の由来には、【平安時代末期には高千穂庄十八郷八十八社の総社として、上古高千穂皇神(日向三代の神々)を祀る】とある。
高千穂・猪掛け祭りは、新暦一月中旬(旧暦十二月三日)のこの日に執り行なわれる収穫祈願祭りである。
来る年の豊作を願って執り行なわれる年末の神事が、子作り神事と共通していても不思議では無い。
「乙女を縛(しば)きて吊るし掛けに供し・・・男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。」
この縛(しば)きが「しめ縄」であるなら即ち乙女は「尻久米(しりくめ)縄」に掛けられた事に成り、いかにも性交呪詛の実行が伺われる。
鳥居内の神域(境内/けいだい)に於いては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女或いはその年の生け贄はその神とのコンタクトの媒体である。
祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女の存在、或いはその年の生け贄の前に、「ご利益を得よう」と神とのコンタクト(交信)の為に、縛(しば)かれて尻久米(しりくめ)縄で吊るされた乙女に、老いも若きもの男衆の行列が出来るのである。
高千穂神楽(たかちほかぐら)と所謂(いわゆる)「日本神話」との関係については、誰も異論は無いだろう。
だが、高千穂神楽を語る時、避けて通れないもう一つの「神話」がある。
それが高千穂に伝わる「鬼八伝説」である。
畿内への東征(神武大王の東征?)から帰郷したミケヌ(三毛入野命)は、後に神武大君(じんむおおきみ・神武大王・初代天皇)となるカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命・神日本磐余彦尊)の兄で、高千穂神社の祭神である。
そのミケヌが、「アララギの里」に居を構えた同じ頃、二上山の洞窟に住んでいた荒ぶる神・鬼八(きはち・蝦夷族?)は山を下り、美しい姫・ウノメ(鵜目姫。祖母岳明神の孫娘)を攫(さら)ってアララギの里の洞窟に隠した。
或る時、ミケヌが水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けた。
「ミケヌ様、鬼八に捕らえられているウノメをお助け下さい。」
水面に映し出されたウノメの姿に助けを求められたミケヌは、他にも悪行を繰り返す鬼八(蝦夷ゲリラ?)の討伐を決意する。
「心配には及ばぬ。私が必ず助け出す。」
ミケヌは、四十四人の家来を率いて鬼八を攻めた。
鬼八は各地を逃げ回った挙句、二上山に戻ろうとした処でミケヌらに追い詰められ、遂(つい)に退治された。
しかし、そこは妖怪である。
鬼八は何度も蘇生しようとした為、亡骸は三つに切り分けられ別々に埋葬された。
この鬼八伝説、単純に聞けばよく在り勝ちな「おとぎ噺」だが、一説には往古の先住民族と大陸系征服民族の抗争が描写されていて、その先住民族の末裔達がこの地方独特の「ある姓を名乗る人々ではないか?」とも言われて居る。
実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。
その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。
後日談では、救出されたウノメはミケヌの妻となり、「八人の子をもうけた」と言う。
その後末裔が「代々高千穂を治めた」とされている。
処が、ここからが問題で、死んだ鬼八の「祟り」によって早霜の被害が出る様に成った。
この為、「鬼八の祟り」を静める為に「毎年慰霊祭を行う様に成った」と言う下りである。
「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」
【掛ける】は、古来より性交を意味する言葉である。
この慰霊祭の風習では、過って永い事生身の乙女を人身御供としていた。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、祭りの性交行事が認められていた。
その生贄に供えたのが慰霊祭の人身御供だった。
だが、戦国時代になって、供される娘を不憫(ふびん)に思った城主・甲斐宗摂(かいそうせつ)の命により、イノシシを「乙女の代用とせよ」と、呪詛様式が改革されるように成った。
さて問題は、高千穂神楽には陰陽師の呪詛様式が色濃く残っている点である。
この伝説自体に高千穂神楽との結び付きが出て来る訳ではないが、慰霊祭「猪掛祭(ししかけまつり)」は注目に値するのだ。
いかにも修験者の仕事らしい伝説だからである。
まずこの「人身御供」は、神代の時代からの伝承に基づき、戦国時代の甲斐宗摂(そうせつ)の命令があるまで、生身の乙女を供する事が続けられて居た。
すると、何者かが鬼八伝説を利用して、「人身御供」のシステムを作り上げ、少なくとも数百年間は、それが継続していた事になる。
「この伝説の中で始まった」とされる鬼八の慰霊祭も今日に伝わっていて、高千穂神社で執り行われる「猪掛祭(ししかけまつり)」がそれである。
猪掛(ししかけ)の「掛け」の意味は、人架け(獲物縛りに吊るされてぶら下がった状態の人身御供)を指す。
代替として「人身御供」の乙女の代わりに、社殿に猪を縄で結わえて吊り下げるからで、単純に考えれば以前は「人身御供の娘を結わえて吊るしていた」と考えられ、陰陽呪詛的な匂いを感じるのである。
【日本の伝説リスト】に転載文章です。
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