渡来人(とらいじん)
日本列島に新天地を求めて遣って来た征服部族の一団が都市国家もどきの倭の国々を創り、その国々が大和合して成立したのが大和朝廷(ヤマト王権)であるならば、本来、原日本列島の住民は縄文人(蝦夷族)である。
つまり初期大和朝廷(ヤマト王権)成立の時点を切り取れば、本来は縄文人(蝦夷族)系の臣王族(国造/くにのみやっこ・県主/あがたぬし)である安倍臣や宇治県主(うじあがたのぬし/猿田彦)等を除けば大半が渡来人(とらいじん)の家系と言う事に成る。
所が、古事記・日本書紀などを編纂して天から降臨した神話に拠って現住民・縄文人(蝦夷族)から土地を武力強奪した事実はおろかその現住民・縄文人(蝦夷族)の存在をも消し去り、あたかも征服部族が有史以前から日本列島の住民で在ったがごとく装った為に、事実が錯綜した。
そして天武大王(てんむおおきみ/第三十九代天皇)が始め、桓武天皇(かんむてんのう/第五十代)の御世に古事記・日本書紀などの編纂が完成したのは七百年代だから、現在の渡来人の歴史用語定義・「四世紀から七世紀に列島に渡来した者の総称を渡来人とする」は、何処かで四世紀代の歴史経緯(征服部族の渡来)を意識的にロスト(欠落)して居る。
もしこの大和朝廷(ヤマト王権)の成立時を先住の基点とするならば、本来は秦氏(はたし/はたうじ)などは時系列的には先住の部族であるにも関わらず何故か渡来人(とらいじん)の扱いである。
我輩が推測するに、秦氏(はたし/はたうじ)は秦の始皇帝を始祖と自称していた所から大陸系で、倭の国々を創った半島系の自称天孫族とは異なる為、そうした血統を渡来人(とらいじん)扱いにしたのかも知れない。
もっとも我輩が提唱している広域倭国であれば、半島も列島もある時点では倭の国々だったから大陸系の秦氏(はたし/はたうじ)が渡来人(とらいじん)とされたにも合理的な理由が存在した事に成る。
まぁ天孫降臨伝説以降は広域倭国の枠が消滅して、以後半島からの人々も渡来人(とらいじん)の扱いになる経緯を辿ったのではないだろうか?
いずれにしても、近頃の歴史音痴の方が「渡来人(とらいじん)=朝鮮系だ」と個人攻撃の材料にする稚拙さは目に余る。
それで居てそう言う方に限って氏族系出自を主張したがるが、歴史の経緯からすると氏族系の大半は朝鮮半島からの征服部族であるから、大いに矛盾した主張なのである。
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