陰間(かげま)と野郎歌舞伎
陰間(かげま)とは江戸期に於ける性風俗の一種で、数え十三〜四から二十歳頃の美少年が茶屋などで客を相手に男色を売った男娼に拠る売色の総称である。
陰間(かげま)は所謂(いわゆる)両刀使いで、男性だけでなく女性も客に取り、特に数え二十五歳を過ぎた陰間は女性を相手にする事がほとんどだった。
語源の由来は、野郎歌舞伎でまだ舞台に出ていない修行中の少年役者の事を「陰の間の役者」と呼んだ事が、彼らが売色を兼業していた為に、陰間(かげま)が「男娼を差す語となった」とされる。
こうした背景には、遡ると歌舞伎の源流である歌舞音曲の発祥が神前巫女舞(神楽舞い)の音楽と舞いからで、神前巫女が娼婦を兼ねていた事からの伝統として娼婦を兼ねる高級遊女・白拍子が生まれ、やがて出雲阿国に拠る巫女舞を発祥とする旅回りの阿国歌舞伎が始まったが、勿論娼婦は兼業だった。
女歌舞伎が娼婦兼業だった為に、「風紀が乱れる」とした江戸幕府は歌舞伎に女性が出演する事を禁じたが、しかし野郎歌舞伎に成っても伝統の売色は無く成らず、女性の売色が美少年の売色に成っただけだった。
江戸期も時代が下ると、陰間(かげま)の語源を離れて舞台に立たない専業の男娼(陰間)を抱える陰間茶屋が出現し、役者が売色もする芝居小屋とは一線を画す業態も出現するようになって行った。
当然ながら、当時の風俗では氏族階層に於ける稚児小姓の習俗も残っている時代だから、「色道の極みは男色と女色の二道を知る事だ」と言われていた為、同性愛者と言うよりは粋と珍奇を求める遊客で陰間茶屋は大いに栄えた。
芸者などが「芸は売っても身は売らぬ」と言うものの、それは現代に成ってからの話しで、つまり我が国の歌舞音曲の遊興には、売色とセットが昭和の始め頃までは永い間常識だったのである。
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