金と日本人
日本人の感性として金持ちが「如何(いかが)わしく思える」のは、金持ちが金の生かし方を知らず貯め込むばかりだからである。
簡単な話し、金持ちは金を遣わないから金持ちで、貧乏人は金も無いのに金を遣うから貧乏なのである。
金が世の中に出廻ってこそ経済なのに、金の無い善人の日本人には遣う金が廻って来ず、その金を遣わない金持ちに優遇政策で更に金を持たせてどうする?
国民性と言えば国民性だが、日本人は手持ちの金を貯める人種で余り中国人の様に「投資をする」と言う考え方はない。
信用されるまでは大変だが「仁の国」の中国人は、一旦信用するとその相手に「投資」をする人種で、余剰の金が有ればその金が事業資金として世に出廻る国である。
それが中国人として華商(華僑・ファージャオ/かきょう)と言う形で成功して行くのだが、経済活動が盛んな台湾や盛んに成って来た大陸に於いてもこの「投資をする」と言う考え方が今後効果的に働き、金を抱え込んでしまう日本を置いて発展して行くだろう。
日本人は「投資」と言う概念が薄く「他人に金を貸せるな」が先祖伝来の教えで、それは建前の武士道の国が、実は利害で動いている現実に「義」が無い事を知っているからである。
そんな体たらくの建前の国だからこそ、日本に於ける「仁義」はやくざ映画の世界の事に成ってしまった。
かと言って欧米人の様に、日本人の金持ちには余り「成功の代償として寄付をする」と言う習慣も無い。
つまり日本人は「寄付をする」と言う意識に薄く、金持ちが只々貯め込むばかりだから海外で成功した日本人の評判が現地ですこぶる悪い。
武士道の国は、裏を返せば「失敗すれば切腹をする自己責任」の冷たい国で、「孤独死/無縁死」は金を貯めない本人の責任と言う国である。
まり日本の武士道精神は「失敗に対する再起」を念頭に入れていないから日本人に「投資の概念」は薄く、金持ちは金を貯め込む一方と言う事になるのである。
尚、この日本史上を通して僅か五パーセントくらいのウエートだった武士の精神と対極に在ったのが庶民の共生村社会(きょうせいむらしゃかい)精神だった事を付け加えて置く。
詳しくは、小論【金と日本人】を参照。
関連記事
【国際競争力と法人税率再軽減論の怪】
【第六巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2010-09-02 19:27