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阿倍氏・安倍氏(あべうじ)

六百年代(奈良時代)、どうも渡来部族では無いらしい阿倍氏が歴史書に現れる。

阿倍・安倍氏について、渡来系部族であるとの説を採る者が居るがトンデモナイ誤解である。

左大臣・阿倍倉橋麿と越国守・阿倍比羅夫(あべのひらふ)と言った顔ぶれである。

越国・阿倍氏は、独立した有力部族説があり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)や阿倍氏一族が、どの時点で大和朝廷(ヤマト王権)に参加(一体化)したのか、現時点では定説はない。

藤原氏の台頭に時を合わせるように力を失って行く古代の有力豪族、大和朝廷黎明期の阿倍氏、阿倍倉橋麿や阿倍比羅夫について、その出自が所謂(いわゆる)土着の部族王・御門(みかど/臣王)であれば色々と説明が着く。

そして越後守(越後国主)は、まさに臣王(おみおう/御門)であり、中央の大和朝廷が任命派遣したのではなく、都市国家もどきの小国群の残滓(ざんし)、既存の越国(えつのくに)の部族王・御門(みかど/臣王)の阿倍比羅夫を「越国守と追認した」と考えるのである。

陰陽師安倍清明は、阿倍倉橋麿から数えて九代目の子孫にあたり、阿倍倉橋麿と阿倍比羅夫(あべのひらふ)は「従弟にあたる」と言う説もある。

この阿倍氏と安倍氏は古代の系図上同じとされ、阿倍氏は孝元大王(こうげんおおきみ/第八代天皇)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)を祖先とする皇別氏族とされるが確たる証拠は無い。

歴史上はっきりとした段階で活躍するのは宣化大王(せんかおおきみ/第二十八代天皇)の大夫(だいふ)であった阿倍大麻呂(あべのおまろ)が初見であるが、大と火の書文字が似ている事から阿倍火麻呂(あべのほまろ)とする説もある。

つまり阿倍氏として始めて中央に登場する阿倍大麻呂(あべのおまろ)なる人物が、この物語で述べる阿倍氏蝦夷王説の「安倍=アピエ(火)説」と別説名・火麻呂(ほまろ)の名の一致点は偶然だろうか?

そして阿倍氏は、まだ大和朝廷(ヤマト王権)の統治が落ち着かない東国支配の強化に朝命を持って活躍し、その子孫が蝦夷俘囚長の奥州安倍氏(引田系阿倍氏)・安倍貞任(あべのさだとう)安倍宗任(あべのむねとう)兄弟に繋がると言うのだ。

安倍貞任(さだとう)、安倍宗任(むねとう)兄弟の父・安倍頼時(あべのよりとき)は平安中期の陸奥(むつ)の豪族で、千五十年代に前九年の役で源頼義義家父子と戦っている。

一方、中央に在った阿倍朝臣(あべあそみ)阿倍氏は、大化の改新の新政権で左大臣・阿倍倉梯麿(あべのくらはしまろ・六百八十年代活躍)、遣唐留学生から唐帝国高官・阿倍仲麻呂(あべのなかまろ・七百五十年代活躍)などを経て、九百年代中期に陰陽師・安倍清明を輩出している。

以後土御門家として陰陽頭を任ずる貴族となる。

謎が多過ぎる氏族とされるこの安倍氏・安倍氏の謎については、日本人単一民族説や大和朝廷(ヤマト王権)の貴族が全て渡来氏族と錯誤していては永久に解決しないのではないだろうか?

七世紀(奈良時代末期)の中頃には、大和朝廷(ヤマト王権)の勢力範囲は日本海岸沿いで北陸の越国まで達しており、この頃の阿倍比羅夫(あべのひらふ)は大和朝廷の将軍で越国守を任じ、北陸の越国(えつのくに)の国司をしていた。

つまり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)は大和朝廷の勢力範囲の最前線に居て、阿倍氏一族の内、「引田臣」と呼ばれる集団を率いていた。

また一説に拠ると越国(えつのくに)・阿倍氏は、独立した有力部族長説(国主=国造=倭国王の一人)があり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)や阿倍氏一族が、どの時点で大和朝廷に参加(一体化)したのか、現時点では定説はない。


実は先住民族(蝦夷/エミシ) の王族から大和朝廷に合流して豪族と成ったアピエが、当初の当て字「安倍(アピエ=あべ)」を名乗ったのが安倍氏の始まりと言う説が有力である。

「安倍氏」から、一部が「阿倍氏」となり、遥か後に大阪地域に組み込まれて一部となる阿倍野は、大和朝廷主力豪族の「阿倍氏」の本拠地(支配地)だった。

他に「安倍氏」の一部は、部民名の安部・阿部を用いる者も出現した為、安倍・阿倍・安部・阿部は全て同系統と考えられる。

従って京都・晴明神社や名古屋・晴明神社は安倍晴明表記だが、晴明生誕の地と言われる大阪市阿倍野区の安倍晴明神社の表記は安部晴明神社とある。



安倍晴明は、阿倍倉橋麿から数えて九代目の子孫にあたり、阿倍倉橋麿と阿倍比羅夫(あべのひらふ)は「従弟にあたる」と言う説もある。

この説では阿倍比羅夫(あべのひらふ)は後の「前九年の役」での源氏の敵役、俘囚長と言われた安倍貞任の七代先祖である。

すると、阿倍氏・安倍氏には蝦夷王(えみしおう)の立場と大和朝廷(ヤマト王権)下での臣王(国造/くにのみやっこ)の立場が並立する。

民族的抵抗派を抑えるのは同族の恭順派を使うのが古今の常識だから、或いは早い時期に恭順した蝦夷王(えみしおう)・阿倍氏・安倍氏が、マツラワヌ蝦夷族(えみしぞく)を大和朝廷(ヤマト王権)に恭順させる役目を負って居たのではないだろうか?

一説に拠ると、阿倍氏は欠史八代(実在しないとみられている天皇)とされる第八代・孝元天皇の皇子・大彦命の末裔で、大和朝廷(ヤマト王権)では北陸・東国経営に大きく関った為に、「アベの一族」は現在でも東日本に多いとされている。

孝元天皇の皇子・大彦命については、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣にその名が刻まれた事から「実在する」との説もあるが、何しろ実在を疑われている聖徳太子にしてもその名をかざす寺が建立されるなど、出土品が事実を示すかどうかの検証は難しい。

孝元天皇の末裔説については、「アベの一族」が北陸・東国経営に大きく関ったされる事も、逆説的考えれば古代の独立した部族王が大和朝廷(ヤマト王権)に合流するに際し、皇統のすきまを繕い、有力王族(部族王)の符系を政治的にまとめた疑いが強く感じられる。

いずれにしても安倍氏は、六百年代(奈良時代)に成って突然古代豪族・阿倍氏として登場し、その本拠地とした所が奈良県桜井市に「安倍」や「阿部」と言う地名となって残っている。

阿倍氏・安倍氏の詳しくは【日本語のルーツと安倍氏】を参照下さい。

関連小論【賀茂忠行(勘解由小路家)と安倍晴明(土御門家)の謎】を参照下さい。

名字関連詳細・小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】<=クリックがお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2010-09-29 16:55  

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