理性(左脳域/計算)と感性(右脳域/感情)
簡単に言えば、尊皇攘夷論者も孝明天皇(こうめいてんのう)も観念(異人嫌い)が優先して「左脳域の計算」の情況判断を無視した事で、薩英戦争(さつえいせんそう)、下関戦争(馬関戦争/ばかんせんそう)は主として「右脳域の観念=感情」で始められる。
しかし列強と戦をしてみて初めて「攘夷など無謀な事」と言う「左脳域の計算」が働くようになり、尊皇攘夷論者から「攘夷」が消えて「倒幕」に変わる。
感性(右脳域/感情)を主体にした発想は、時として現実をも否定する厄介なもので、信条・信念と言えば格好が良く聞こえるが、右脳域的感性(感情)は「無意識脳」としての「右脳域の観念」を満足させる為の稚拙なもので、凡そ知的とは呼べないものである。
勿論、理性(左脳域/計算)ばかりの発想に拠る味気ない人間関係や政治も真っ平だが、「右脳域の観念」は「左脳と右脳の論理」で言えば「感情」だけの片側思考のバランスの悪いものであり、明治維新前の風潮は「間違いは改むるに如(し)かず」だった。
つまり「武士道の精神」と「天孫降臨伝説(皇国史観)」は、維新政府の統治の為に政治利用されたに過ぎないのに、「感情」だけの片側思考のバランスの悪い主張をする者にその自覚は無い。
戦犯合祀した靖国社へ総理大臣が参拝する問題に於いても、「何んの為に戦い、命を失ったのか」を想い遣る時、無駄死に扱いは「余りにも可愛そう」と言う言い分である。
だが、それこそ「左脳域と右脳域」の論理で言えば、「左脳域の計算」などまったく無い「右脳域の観念」であり、「感情」だけに拠る偏向した主張である。
尊い御霊(みたま)であればこそ、何故その尊い命を失ったのかを検証すべきで、この英霊に対する「右脳域の観念」は、「左脳と右脳の論理」で言えば「感情」だけの片側思考のバランスの悪いものであり、こう言う綺麗事の主張をする者にその自覚がない。
こうした「右脳域」の論理が「集合的無意識(しゅうごうてきむいしき)」として働き集団同調性(多数派同調)バイアスが起こり、本来冷静な対処が求められる国際間に於ける関係を、互いの国民感情が悪化させる事になる。
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